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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 目次 兼 進捗

「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる!で所信表明したとおり、誤訳を恐れず重訳を恥じず、GoogleとWikipediaの力をふんだんにお借りしてちまちまと翻訳するシリーズをはじめた。

 ここには、進捗状況一覧を兼ねた目次を掲げておく。記事をアップしたら目次の各章タイトルにリンクを貼っていこうと思う。
 なのでこの記事は、都度都度更新していく予定だ。
 また、底本の冒頭にはメンデルスゾーンの略歴がついているので、そちらも目次の後に載せておく。

 底本とした英訳本は、「Mendelssohn, letters and recollections」(Ferdinand Hiller著、M. B. von Glehn訳)。リンク先で読めるしDLもできる。パブリックドメインばんざい。

「メンデルスゾーンの手紙と回想」目次

女王陛下への献辞

序文

第1章 フランクフルト――1822年~1827年
 1.フランクフルト、1822年:フェリックスとの出会い
 2.フランクフルト、1825年:フェリックスの即興演奏
 3.フランクフルト、1825年:アンドレとベートーヴェン
 4.フランクフルト、1827年:シェルブル
 5.フランクフルト、1827年:新曲の作曲
 6.フランクフルト、1827年:とある冒険譚

第2章 パリ――1831年12月~1832年4月
 1.パリ、1831年~1832年:ワルプルギスの夜
 2.パリ、1831年~1832年:序曲「フィンガルの洞窟」
 3.パリ、1831年~1832年:メンデルスゾーン、太鼓をたたく
 4.パリ、1831年~1832年:チェス、そしてマイアベーア
 5.パリ、1831年~1832年:カルクブレンナー
 6.パリ、1831年~1832年:オーレ・ブル、ケルビーニ
 7.パリ、1831年~1832年:管楽器、追加するね
 8.パリ、1831年~1832年:レオンティーヌ・フェイ
 9.パリ、1831年~1832年:モーツァルト、そしてパリよさらば

第3章 アーヘン、デュッセルドルフ――1834年5月~1835年3月
 1.アーヘン、1834年:メンデルスゾーンの手紙(1834年5月23日)
 2.アーヘン、1834年:ヘンデル『デボラ』
 3.デュッセルドルフ、1834年:ショパンとシャドウ
 4.デュッセルドルフ、1835年:メンデルスゾーンの手紙(1835年2月26日)・上
 5.デュッセルドルフ、1835年:メンデルスゾーンの手紙(1835年2月26日)・下
 6.デュッセルドルフ、1835年:メンデルスゾーンの手紙(1835年3月14日)・上
 7.デュッセルドルフ、1835年:メンデルスゾーンの手紙(1835年3月14日)・下

第4章 フランクフルト、ライプツィヒ――1836年、1837年
 1.デュッセルドルフ、1836年:『聖パウロ』初演
 2.フランクフルト、1836年:メンデルスゾーンの激高
 3.フランクフルト、1836年:ロッシーニ
 4.フランクフルト、1836年:喝采
 5.フランクフルト、1836年:愛の中で――ジャンルノー一家
 6.ハーグ、1836年:プファライゼンにいたかった!
 7.ハーグ、1836年:手紙を焼くか、君が焼けるか
 8.ハーグ、1836年:奇妙なシンクロ
 9.フランクフルト、1836年:メンデルスゾーンの婚約
 10.ライプツィヒ、1836年:真の友人とは
 11.ライプツィヒ、1836年:ヒラー『序曲 ホ長調』
 12.ライプツィヒ、1836年:クリスマスに休暇を
 13.ライプツィヒ、1837年:ほら、カツラだよ!
 14.ライプツィヒ、1837年:ヒラー『序曲 ニ短調』
 15.ライプツィヒ、1837年:天賦の才と、培った技量

第5章 フランクフルト、ロンドン、ライプツィヒ――1837年~1839年(メンデルスゾーンの結婚)
 1.フランクフルト、1837年:メンデルスゾーンの結婚と新婚旅行
 2.フランクフルト、1837年:詩篇第42篇
 3.ビンゲン、1837年:すれちがい
 4.ビンゲン、1837年:文通の約束
 5.ロンドン、1837年:ヒラー、イタリアへ行く!
 6.ロンドン、1837年:女の子達が書くような、追伸
 7.ライプツィヒ、1837年:引っ越した新居が最高な件
 8.ライプツィヒ、1837年:ノイコムとノヴェロの話
 9.ライプツィヒ、1837年:お気に入りの自作、そうじゃない自作
 10.ライプツィヒ、1838年:不調と不安
 11.ライプツィヒ、1838年:あがり症のヘンゼルト
 12.ライプツィヒ、1838年:フェルディナント・リースの急逝
 13.ライプツィヒ、1838年:セシルの出産と不調、子煩悩まっしぐら
 14.ライプツィヒ、1838年:イタリアとドイツ
 15.ライプツィヒ、1838年:『聖パウロ』ドレスデン初演の愚痴
 16.ベルリン、1838年:筆不精な文通相手
 17.ベルリン、1838年:ベルリンであった良い事悪い事
 18.ベルリン、1838年:新しい音楽への渇望
 19.ベルリン、1838年:お堅い哲学博士
 20.ベルリン、1838年:ライプツィヒ通り3番地での生活
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第6章 ライプツィヒ――1839年~1840年冬

第7章 フランクフルト、ベルリン、ライプツィヒ――1842年冬

第8章 ライプツィヒ、ベルリン――永眠

後記

メンデルスゾーンの略歴年表

1809年 ハンブルクで生誕。2月3日。
1815年または16年 ライプツィヒに一家で転居。ツェルターに師事。
1821年 ゲーテを初めて訪ねる。
1822年 スイス旅行。
1825年 八重奏、トランペット序曲。パリ旅行、ケルビーニに会う。
1826年 序曲「真夏の夜の夢」。
1828年 序曲「静かな海」。
1829年 ロンドンを初めて訪れる。スコットランドを周遊。交響曲を改訂。
1830年~31年 ゲーテを3度目の訪問。イタリア旅行。
    序曲「フィンガルの洞窟」、交響曲イタリア、ワルプルギスの夜。
1832年 ミュンヘン、パリ、ロンドン。協奏曲ト短調。
1833年~34年 デュッセルドルフ、ロンドン。
    序曲「美しいメルジーネの物語」、オラトリオ「聖パウロ」。
1835年 デュッセルドルフ、ライプツィヒ。11月19日、彼の父が亡くなる。
1836年 ライプツィヒ、フランクフルト――婚約。5月22日聖パウロ初演。
1837年 3月28日結婚。協奏曲ニ短調、詩編第42篇。バーミンガム。
1838年 ライプツィヒ――セレナーデ、アレグロ・ジョジョーソ――
    四重奏変ホ長調。
1839年 ライプツィヒ――ルイ・ブラース、三重奏ニ短調、多くの歌曲。
1840年 ライプツィヒ、イングランド――
    祝祭歌(グーテンベルク・カンタータ)、賛美歌。
1841年 ライプツィヒ、ベルリン――
    アンティゴネ、交響曲スコットランド、厳格な変奏曲。
    最初の病気。
1842年 ベルリン、ライプツィヒ。妻とロンドン。スイス。
    12月、彼の母が亡くなる。
1843年 ライプツィヒ、ベルリン――
    劇付随音楽「真夏の夜の夢」、アタリー、詩篇。
1844年 ベルリン、ロンドン、ゾーデン――
    ヴァイオリン協奏曲、三重奏ハ短調、序曲「アタリー」、
    オルガンソナタ。
1845年 ベルリン、フランクフルト――
    オイディプス、変ロ四重奏、エリヤ始まる。
    ベルリンのポストを辞任。
1846年 ライプツィヒ。8月25日、バーミンガムでエリヤ演奏。
    ラウダ・シオン。
1847年 ライプツィヒ、ロンドン、スイス。
    5月14日、彼の姉ファニーが亡くなる。
    オラトリオ「キリスト」、ローレライ、四重奏ヘ短調。
    11月4日永眠。


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