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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 49

第5章-10.ライプツィヒ、1838年:不調と不安

ライプツィヒ、1838年1月20日

 ミラノの「戯曲」君。君の手紙の、人を小馬鹿にしたような書き出し、締切厳守のリマインダーを見下す振る舞いで、僕はもう決心しました。第一に、僕自身は締切厳守を徹底すること、そして第二に、もう君にリマインドをするのをやめる、ということをです。
 ですが、僕が第一の決議を守れていないことは手紙の日付から分かると思います。また、第二の決議を厳守できたかどうかや、この手紙に時折紛れ込むリマインダーについても答えることができません。それを受け入れるも無視するも君の自由です。
 まあご覧の通り、決心した時期もあったということです(つまり「改善は不可能」)。

 冗談はさておき、君の催促もあったのだし新年早々に手紙を送るべきだったのですが、昨年末に僕を襲った体調不良という最もやっかいな理由でそれができなかったのです。
 しかも申し訳ないことに、まだ完治していません。僕は気分が悪くなり、絶望的になってしまう時さえあるほどです。
 今日も、良くなるまで待っていても無駄だと思って書いているだけです。

 4年前と同じ症状に苦しんでいます。片耳は完全に聞こえず、頭や首などが時々痛みます。耳はずっと聞こえないままだというのに、指揮と演奏をしなければならなかったのです(それまで二週間自室にこもっていたのに)。君なら僕の苦痛が想像できるでしょう。オーケストラの音も自分のピアノの音もよく聞こえないんです!
 前回は六週間で快復したので、神は今回も同じようにするつもりなのかもしれません。ですが、どんな治療も役に立たず、同じ部屋の中で話している人々の声すらも聞こえないのでは、いくら気力を総動員してみても不安を拭い去ることができずにいます。

 それに加えて、別のさらに大きな不安があるのです。その不安から解放されることを毎日願っていますが、しばらく逃げることはできません。
 義母がここ二週間滞在しています。何故だかわかりますか。君が自分の幸福と自分の人生全てが、いずれ来るある瞬間に懸かっているとわかった時、すごく特殊な気持ちになるでしょう。

 気候がよくなれば、僕の体調は多分よくなると思っています。
 こんな冬は初めてです。この二週間はマイナス14℃から22℃の寒さで、昨日ようやく穏やかになりましたが吹雪が続いていて通りはほとんど通行止めです。ミラノの方はどうですか?

解説という名の蛇足(読まなくていいやつ)

 今回からは、メンデルスゾーンからヒラーに宛てられた1838年1月20日の手紙を、3回に分けて紹介する。
 年も改まり1838年。新年最初のメンデルスゾーンからの手紙は、ちょっと穏やかじゃない書き出しから始まる。
『人を小馬鹿にした書き出し』、『締切厳守のリマインダーを見下す振る舞い』……この前のヒラーの手紙がいったいどんな内容だったのか、非常に気になる。往復書簡集を出してほしい。

 ヒラーがどうだろうと自分は締切を守る事と、もうリマインダーなんかしない事を決意した、と怒りと共に書きなぐっている……かと思いきや、すぐにおちゃめな筆で剣呑な雰囲気をぶっ飛ばすメンデルスゾーン。
 ほんとうにおちゃめ。

 さて、冗談はさておき、と前置きして手紙が遅れた理由を体調不良だと書いている。
 メンデルスゾーンは、当時の不摂生で不健康で病弱な文化人たちと比べると、どちらかといえば健康体に分類される(と思っている)。趣味はピクニックだし、山登りや水泳もこなす。指揮者が体力を必要としているのは、現代と変わらないのかも。
 だが、何せ仕事の量がやばい。どう考えても万年過労気味だ。加えて、メンデルスゾーンの家系は脳卒中で亡くなる人が多いらしい。
 メンデルスゾーンの祖父モーゼス、父アブラハム、母レア、姉ファニーも脳卒中で急逝している。そして、フェリックスもだ。
 死因を知っている我々としては、この手紙に書かれた体調不良の詳細を読むとハラハラしてしまう。4年前も同じ症状で苦しんだとあるが、25歳という若い頃から兆候があったのか……。

 音楽家と病の関係については、そのうち読んでみたい興味深い本が何冊もある。自分用のメモ代わりにリンクを貼っておく。

音楽と病のポリフォニー 大作曲家の健康生成論
音楽と病〈改装版〉: 病歴にみる大作曲家の姿
偉大なる作曲家たちのカルテ
ミューズの病跡学〈1〉音楽家篇

 音楽家が聴覚を失うことがどれだけ恐ろしいか、想像するだけで震えがくる。
 聴覚に障碍を持った音楽家と言えば、押しも押されぬ有名人・ベートーヴェンがいる。メンデルスゾーンももちろん、自分の耳が聞こえない間、彼のことは念頭にあったと思う。
 余談だが、筆者は学生の頃から友人知人に『視覚と聴覚のどちらかを失うとしたらどちらを残したいか?』という質問をよくするのだが、音楽クラスタの友人知人が増えてからこっち、「聴覚」を選ぶ人の割合が爆上がりした。
 それまではモノカキ・読書クラスタが周囲に多かったので、視覚を残したいと答える人の方が多い印象だった。

 閑話休題。
『自分の体調不良よりももっと大きな不安』についてだが、メンデルスゾーンはその内容をハッキリとは伝えず、匂わせのように以下の情報を挙げている。

・その不安から解放されたいが、しばらく続くことは確定している。
・セシルさんのお母さんのジャンルノー夫人(愛称リリさん)が来ている。
・自分の幸福と自分の人生全てが、いずれ来るある瞬間に懸かっている。

 鋭い方は、2つ目あたりでピンと来るのかもしれないが、筆者はミステリー小説も推理は完全に放棄して読むほどの鈍さなので、今回紹介した手紙の次に収録されている、1838年4月14日付の手紙を読むまでまったく分からなかった。
 読んでくださっている皆さんも、ぜひ推理してみてほしい。
(答え合わせがだいぶ先になってしまうので申し訳ないが……)

 この年のヨーロッパはなかなか寒かったようで、1838年1月21日にロシアのヤクーツクでは-60℃が観測され、1885年に塗り替えられるまで50年近く世界最低気温とされていた。
 さすがにロシアほどではないが、ライプツィヒでも-14℃~-22℃の寒さだったとのこと。日本の気候が穏やかな地方にしか住んだことのない筆者にはちょっと想像のつかない寒さだ。
 穏やかになったけど吹雪が続いているってどういうこと? 穏やかとはいったい??
 ミラノの1月の平均最低気温は2℃とのことだが、wikipediaによれば、1946年以降に-15℃を記録した年もあるようだ。もしかしたらこの年の冬も例年より寒かったのかもしれない。
 それでもライプツィヒよりは遥かに暖かいので、「ミラノの方はどうですか?」という短いセンテンスの中に、イタリア好きのメンデルスゾーンからの羨望の想いが見て取れる気がしてくる。

次回予告のようなもの

 今回も画像のない回になってしまった……華やかさに欠ける記事……。
 ともあれ次回も引き続き1838年1月20日の手紙を紹介する。次回は中盤だ。
 この手紙の中盤には、当時人気急上昇中だったドイツ人ピアニスト、アドルフ・ヘンゼルトが登場。コンサートピアニストには致命的な彼の性格について、メンデルスゾーンがあたたかい視線で語る。

 第5章-11.あがり症のヘンゼルト の巻。

 次回もまた読んでくれよな!

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