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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 56

第5章-17.ベルリン、1838年:ベルリンであった良い事悪い事

 五月からずっと故郷に滞在しています。なんだか不思議な感覚になりました。故郷も、僕自身も、あの頃と比べて本当にいろいろ変わったというのに、一度も離れたことがないかのように快適なくつろいだ雰囲気なのです。
 それに僕の家族は、ここではずいぶん世間と交わらず隔絶した場所にいるので、ベルリンのことをほとんど知らず、身内以外との接触はほとんどありません。これには良い面も悪い面もあります。
 今、家を出た者としての視点で偏見を持たずに周囲を眺めてみると、やはり留まらなくてよかったと思っています。家族のことを思うと後悔がないとは言い切れないけれど。

 その上ここは気候も空気も悪いし、いいとこ無しです。勉強したり仕事したり、一人になりたいのならベルリンはいいところですが、楽しいことは何もありませんね。
 今までの僕の人生すべてが、初めてはっきりしました。昔の敵対関係や自分が立たされていた苦境、それらすべてがなんのせいだったのか、必然のなりゆきだったことをまざまざと理解させられました。だからこの数ヶ月間は、ずいぶん興味深いものでしたよ。
 今ではお互いに満足しているし、総合的に言えば僕はベルリンが大好きです。というのも、ベルリンに対して抱いていたみじめな気持ちを完全に消し去った今、苦い思いをせずにこの場所の良いところを楽しめるからです。

 到着して最初の晩、僕達は劇場でグルックの『アルミード』を聴きました。オペラをこんなに楽しめたのは、ほぼ初めてです。
 よく鍛錬された演奏家と歌手たちの大集団、スポンティーニの巧みな指揮、超満員の素晴らしい劇場、巧妙な演出、それらによって出来上がる最高の音楽。
 小さな町で、乏しい資材に少人数の集まりで出来る事なんて何もない……ここで見たものとは何もかも全然違いすぎる、別物だと思わざるを得ませんでした。だけどその後、何度もそれを撤回しなければならなくなりました。

 早くもその翌日。彼らはいわゆる「ベートーヴェン記念祭」を開催し、交響曲イ長調をあまりにもひどい演奏で披露したので、僕はすぐに僕の小さな町と乏しい資材に許しを請うことになりました。
 あんなに劣悪で不遜な演奏、生まれて初めて聴きました。僕は、プロイセンのお役人たちはみんな、音楽を聞かせることと拘束衣を着せることをほぼ同等だと考えているのだ、そういう性質なのだと自分に言い聞かせることしかできませんでした。というか、意図せず拘束衣になってました。
 さて、その後も僕は数多くの四重奏曲や交響曲が台無しにされているのを聴き、私的な集まりで演奏や歌を楽しんでは、ますます僕の小さな町への謝罪の気持ちを深くしたわけです。

 この街のほとんどの場所で、音楽は相変わらず平凡で無頓着、そして思い込みで演奏され続けています。僕が昔感じていた怒りと、それを鎮めるために選んだ、とても不完全なやり方が十分分かるでしょう。
 時や状況、公的な立場が、全て密接に絡まりあっています。どこへ行っても十分な楽しみを得られることもあれば、まったく何一つ得られないこともある。グルックのオペラは、良い事のひとつに数えられるかもしれませんね。

 変だと思いませんか? いつでも劇場は満員で、聴衆は毎回拍手喝采しながら歌手の背中に称賛を浴びせていて? 世界で唯一ここだけが、それが実現する場所なのか? 次の夜の『ポスティリオン』も満員御礼で? 一方バイエルンでは、神を冒涜するからという理由でカトリックもプロテスタントも教会での音楽演奏を禁じられて? そしてコラールは代わりに劇場で演奏される? ……なにもかも滅茶苦茶ですよ。

解説という名の蛇足(読まなくていいやつ)

 前回に引き続き、1838年7月15日付の手紙を紹介する。故郷ベルリンに滞在中のメンデルスゾーンが、ヒラーに宛てた手紙だ。

 音楽体験の原点というべき場所ながら、ユダヤ人の自分たちに優しくはなかったベルリンのこと。愛してはいるけれど、自分の愛する妻との結婚を歓迎してはくれなかった家族のこと。文化の中心! 大都会! みたいなデカい面しながらひどい音楽を垂れ流すお役人。
 いろいろ複雑な思いはあれど、メンデルスゾーンはベルリン滞在を概ね楽しんでいたようだ。楽しくない出来事も含めて、面白おかしく書ける程度には消化しながら。

 岡目八目とでもいうべきか、外から傍観者の目で冷静に見つめなおすことができたのは、メンデルスゾーンにとってとても良いことだったのだろう。
 たとえ故郷だろうが、血のつながった家族だろうが、『適切な距離感』というものはある。近すぎても遠すぎてもうまくいかない。
 ライプツィヒという別のホームがあって、愛妻セシルさんと愛息パウル君という新たな家族を作れた1838年のメンデルスゾーンだからこそ、こんなにも穏やかにベルリンと実家の家族たちと接することができたのだと思う。
 他の音楽家たちに比べ、生まれ育ちに恵まれている(と思われがちな)メンデルスゾーンだが、衣食足りて礼節を知っているものでも、悩みがない人間などいない。この本は、偉人でも聖人でもない、人間メンデルスゾーンを事あるごとに目の当たりにさせてくれる。
 そう、「総合的に言えばベルリンが大好きです」と書いておきながら、すぐ次のセクションから悪口を言い始めるような人間らしさを(笑)

 グルックのオペラ『アルミード』は、16世紀イタリアの詩人タッソーによる『エルサレムの解放』を下敷きに書かれたオペラ。1777年にパリで初演されている。
 タッソーの『エルサレムの解放』をもとに書かれたオペラは山のようにあり、どれだけの人気を誇ったかがよく分かる。タッソー自身の人生すらも、ゲーテによって小説にされたりしている。大人気作家の大人気作。

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画像:Wikimedia commons

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画像:Wikimedia commons
 画像は2枚とも、メイユール嬢(1766-1818)扮するアルミード役の衣装。
 どちらも「1818年以前」としか描かれた年代がわからないのだが、なんか同一人物が同一役を演じているとは思えない2枚だ……。
 なんとなくだけど、ドレスの感じからして1枚目の方が、後年のものかもしれない? あと……アルミードがお年を召して見えるし……ごにょごにょ。
 こちらのサイト(フランス語)によれば、メイユール嬢は1782年に歌手デビュー、1813年に引退しているそうなので、その間のどこかだろうか。

 第1次十字軍によるエルサレム奪取を題材とする『エルサレムの解放』で、アルミードははじめイスラム教側で登場するが、キリスト教側の騎士と恋に落ち、まあ何やかんやあってキリスト教に改宗する魔女だ。
 グルックの他にも、リュリ、ヴィヴァルディ、サリエリ、ハイドン、ロッシーニなど錚々たるメンツがアルミードを主役に据えたオペラを作っている。ちなみに19世紀に同じく人気だったヘンデルの『リナルド』は、アルミードの相手役リナルドが主役だ。
 ベルリオーズは通っていたパリの医大が騒動で閉鎖されていた間に、音大の図書館に入り浸り、グルックのオペラ総譜をよく眺めていたとのこと。  
 同じくベルリオーズが尊敬し影響を受けたとされるスポンティーニが、この時のオペラの指揮者だったようだ。

★ガスパーレ・スポンティーニ(Gaspare Spontini, 1774-1851)
 イタリア出身、フランス・ドイツで活躍した作曲家、指揮者。ナポレオン夫妻から多大な恩寵を受け、19世紀初頭のフランスオペラ界を牽引。パリのピアノメーカー、セバスチャン・エラールの姪と結婚した。
 1820年からはベルリンに拠点を移し、プロイセン宮廷楽長を務める。メンデルスゾーンが17歳の時に初演したオペラ『カマチョの結婚』を酷評した。
 ドイツ国民楽派が台頭する中で人気を失っていき、1842年に引退。楽長の後任はマイアベーア。

 うーん、メンデルスゾーン的には遺恨のある相手と言えなくもない。とはいえ、スポンティーニの指揮の腕は確かなようで、到着したその夜に聴いた演奏に関して、メンデルスゾーンは大いに満足したようだ。
 と同時に、今や押しも押されぬ強国となったプロイセンの首都ベルリンが誇る、資材と人材の豊富さに舌を巻き、自分のホームであるライプツィヒと比べて「こりゃ敵わん……」と思ってしまったとのこと。
 だが早くも翌日、メンデルスゾーンはその考えを撤回することになる。

 ここで書かれた「ベートーヴェン記念祭」がどんなものだったのかは、まだ調べきれていないのだが、折しも1月に急逝したフェルディナント・リースとフランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー共著による「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する伝記的覚書」が刊行されたばかり。
 メンデルスゾーンがすでにこの本を読んでいたかどうかは定かではないが、敬愛するベートーヴェンの楽曲を、資材人材豊富なベルリンで聴けるのだ、さぞや名演奏を期待していたことだろう。
 だが、ベートーヴェンの交響曲イ長調(第7番にあたる)は、あまりにもひどい演奏だったらしい。

 プロイセンのお役人たちはみんな、音楽を聞かせることと拘束衣を着せることをほぼ同等だと考えている

 ここがヤバい。この音楽は拷問だと言っているのと同じだ(笑)
 メンデルスゾーンがここまでこき下ろす演奏、逆に気になってしまう。いったいどんな演奏だったんだ。
 前日の夜、「こりゃ敵わん……」と思ったのを撤回し、「いやこれライプツィヒの方がマシだわ比べたりしてマジごめん」と心の中でライプツィヒの仲間たちに許しを請うメンデルスゾーン。漫画で読みたいシーン。

 以前からドイツの楽壇について忌憚ない意見を綴り続けてきたメンデルスゾーン、ここでは疑問文を立て続けに5文も炸裂させている。
『ポスティリオン』は、バレエ音楽『ジゼル』で有名なアドルフ・アダンが作曲したオペラ『ロンジュモーの御者(Le postillon de Lonjumeau)』のことだと思われる。1836年にパリで初演、ベルリンでは1837年に初演された。ジゼルとは正反対の、ドタバタコメディ調のハッピーエンドものだ。

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画像:Wikimedia commons
 この画像は、初演時の主役シャプルー(演者:ショレ)とヒロインのマドレーヌ(演者:プレヴォスト)を描いたもの。
 メンデルスゾーンがこのオペラのことをどう評していたのか、記録を探してみたいものだが……この書き方だとあまり好感は持っていなさそうだ。まああまり彼の好みではないかも。
 筆者はあらすじ読んで普通に面白そう見たいと思いました。メンデルスゾーンとは趣味が合わないかもしれません。

 つらつらとドイツ楽壇のおかしな点を書き連ね、何もかも滅茶苦茶だ(Confound it all.)と嘆くメンデルスゾーン。以前の記事のアツい言葉がなければ、ああ~メンデルスゾーンめっちゃ呆れてるじゃん……ドイツ見限られちゃうよ大丈夫? と思っただろう。……いやまあ、呆れてはいると思うけれど。
 それでもある種のどうしようもない魅力を放つドイツ楽壇から離れられないメンデルスゾーン。なんだか、だメンズ好きみたいに見えてきた。頑張れ、幸あれ、メンデルスゾーン&ドイツ楽壇!

次回予告のようなもの(&お知らせ)

 次回予告の前に、少しだけお知らせ。
 『「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる!』と題したこのシリーズ、毎週更新から隔週更新に変更し、不定期にお休みをいただきながら続けてきましたが、定期更新を一度お休みさせていただくことにしました。
 理由は恥ずかしながら、翻訳が追いつかなくなってきたからです! 不甲斐ない!
 定期更新を一旦休み、翻訳が進んだ段階でまた記事の更新を再開したいと思っています。
 楽しみにしていただいている方、励ましのコメントなど下さっている方には心苦しいのですが、もしよろしかったら待っていて下さるととても嬉しいです。
 数か月か半年かそれとも1年先か……なるべく早く更新を再開できるよう、まずは翻訳を頑張っていきたいと思います。
 目次ページは翻訳の進捗を兼ねているので、こちらは翻訳が進むごとに更新していく予定です。思いだした時にでも覗いてもらえたら、そしてサブタイトルで想像を膨らませてもらえたらありがたいです!

 閑話休題。

 さて次回は、1838年7月15日付のこの手紙を最後まで紹介する。
 メンデルスゾーンと言えば、時代区分ではロマン派に属しながらも作風は古典派の薫りを残す作曲家、というイメージが強いと思う。少なくとも筆者はそういうイメージが強い。
 ならば、古典主義の頭でっかちで、古い曲ばかりを好んでいたのかと言うと、そういうわけでもなさそう。むしろ同時代の作曲家たちが作る「新しい曲」を心待ちにし、鑑賞するのを楽しみにしていたようだ。
 次回はメンデルスゾーンのそんな面が見える一文に注目してもらえたら嬉しい。……とは言えやっぱり好みにはうるさく、自分の好みじゃない作品には容赦ないのだが。
 そしてそして、今回は「ベルリンであった良い事悪い事」と銘打ちながら悪い事の割合が多かった気がする回だったが、次回もまだまだベルリンの悪口は終わらない!(笑)

 次回、第5章-18.新しい音楽への渇望 の巻。

 次もまた読んでくれよな!

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