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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 1

序文


 写真は時に我々に、同じ人物の全く違う面を示す。それぞれに見えるものがあるが、全てを表現することはない。
 それができるのは、真の芸術家が描いた肖像画だけだ。真の芸術家は、脳内で何枚もの像を重ね、被写体の姿だけでなく被写体の『全て』を描き出す。

 同じように、よく知られた人物の個人的な思い出を提示されることで人々がつかむ特徴は、たとえ最も誠実なつもりでも、常にその一面しか描き出さない。
 見聞きしたこと、推測したことすべてを重ね合わせ、その人物像を完全な姿で白日の下に描き出すことができるのは、真の伝記作家だけだ。

 誰もが自分をさらけ出すはずの手紙や会話でさえ、写真のようにある一面しか映さない。それらは一個人に向けられたものであり、多くの人は接する相手によって(自分自身に対してさえも)、自身の性格をある程度演じ分けるからだ。
 私は毎ページに、私の記憶の中のメンデルスゾーンを映した「写真」を提示するよう努めた。
 よっておそらく、たぶん、将来の伝記作家に豊かな才能ある男の新たな一面としての資料を提供し、または、既出の貴重な文章や手紙が私たちに示したある一面の写真を補強する助けくらいにはなるだろう。
 彼の忠実な芸術仲間の同志との親交を、私が思い通りに描き出すことが許されるのなら。

 彼が幼くして天賦の才を実らせた時分から、その高名を轟かせてのちまで、彼と私の関係性は特別だった。ただ仲の良い関係ではなく、真の交友がそこにはあったのだ。
 彼と楽しく親交していた時期に、日記をつける習慣を持っていなかったことを、激しく後悔している。
 私はまだ友人の姿を目の前に明確に描き出せる。だが、貴重な細部がいくつか私の記憶から飛んで行ってしまった。
 しかし私が言うことはすべて、当然のように確度の高いこととして受け取られるのだろう。

 音楽については、説明できない。言語で作曲を説明することは全く不可能で、かけ離れすぎてしまう。
 同じように、二人の親密な音楽家の間に実際にあったコミュニケーションについても、言語で説明できることはごくわずかだ。
 私がメンデルスゾーンとピアノの前で過ごした時間、私達を含むあらゆる人物・あらゆる種類の音楽や作曲について意見を交換したこと。それはある意味、彼と過ごした最高に幸せで最高に楽しい時間だ。だが私はその言葉で、凡庸な説明以上のものを示せない。
 一方、もし私が愛するわが友の発言をより多く収めようとした場合、ひょっとしたらささいな、取るに足らない言動ばかりになるかもしれない。だが私は確信している。偉大な男がオロオロしている時のような、そういったほんのささいなことこそが面白いのだと。

 私が彼との交流について長い間だんまりを決め込んでいたことについて、メンデルスゾーンを敬愛する人々には恨み言を言われた。
 差し控えていた理由はいろいろあるが、とりわけ、『彼との友情をダシにして名を売ろうとしたのでは』という非常に薄っぺらな非難をしたい者達に、その機会を与えてやりたくなかったからだ。

 神聖すぎて利用する気になれなかった自分を、今も昔も誇りに思っている。しかし今、私は思い切って、故人の何気ない言動ばかりのこの本を上梓する。
 ドイツ芸術の天空に最も美しく燦然と輝く星の一人が、ほかならぬ彼の故国で、嫉妬と無理解と無分別による攻撃にさらされている。
 それは批判者に不名誉をもたらすだけであり、彼の栄えある名誉を損なうことなどできはしない。純金は決して錆びることはないのだから。

 私は友愛をこめて、若き巨匠の額を飾る不滅の月桂冠に、このシンプルな花冠を足し添える。
 それらは永遠に彼を彩るだろう――芸術の本質が、理性と感情、明快と深淵、自由と美しさである限り。

フェルディナント・ヒラー
1873年9月19日 ケルンにて

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