見出し画像

「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 52

第5章-13.ライプツィヒ、1838年 セシルの出産と不調、子煩悩まっしぐら

ライプツィヒ、1838年4月14日

 親愛なるフェルディナント。長くご無沙汰してしまって、きっと怒っていることでしょう。再度許しを請う事しかできません。
 そして僕の噂に名高い拳を目にした君が、怒りを思いやりに変えてくれることを願っています。

 前回の手紙から今までの間に色々な事が起こり、そのせいで手紙を書けませんでした。君のお母さんから既に聞いているかもしれませんが、2月7日にセシルが僕に息子を授けてくれました。
 ですが、その月末に彼女が突然の病に倒れ、四日四晩の間高熱とあらゆる痛苦と戦わなければいけなかったことは、君はまだ知らなかったかもしれません。
 その後神のご加護により、彼女は快復しました。予想より早いとはいえ治りはなかなか遅く、病の影がすっかり消えて完全に良くなり、君の記憶と同じ元気で活発な元通りの彼女に戻ったのはつい最近のことです。

 あの時は僕の体験していたことを、手紙でも言葉でも君に伝えることはできませんでした。
 でも親愛なるフェルディナント、君ならきっと、自分のことのように想像し分かってくれると思います。

 全ての心配事も消え去り、妻子共に元気になった今、僕はとても幸せですが、「俗物」には全然なっていません。
 母親譲りの青い目とまるい鼻を持ってこの世界に生まれてきたちっちゃな坊やが、母親のことをよく分かっていて彼女が部屋に入ってくるたびに笑いかけたり、彼女の胸につかまって二人ともとても幸せそうにしている――そんな光景を見るのがあまりにも素敵で楽しくて、嬉しすぎてどうしていいか分からないくらいです。
 笑いたければ好きなだけ笑ってください、僕は気にしませんので。
 この頃僕は、食卓へのお誘いを辞退したり、「もうやめて」と言われるまで誰彼構わず指遊びを披露し続けたりしてようやく、これは君に笑われても仕方ない、かまわないと思えるようになったのです。

 数日後には、セシルを僕の妹や家族全員に紹介するため、ベルリンに向かいます。
 パウルとその奥さんは先月来訪し、小さな坊やの洗礼式で代父母となってくれました。その小さな坊やの名は、カール・ヴォルフガング・パウルです。
 ベルリンでは、僕の妻が実家へどのようにして乗り込むかを見届けるつもりです。大丈夫そうなら単身ケルンの音楽祭へ向かい、四週間滞在してからベルリンへ戻って、そこかライプツィヒで静かな夏を過ごしつつ仕事をしたいと思っています。
 大丈夫じゃなさそうなら、セシルを連れてケルンへ行きます。でも僕の母も姉妹もそんなことはさせたがらないでしょうから、彼女は僕の家族達と過ごし、ライン地方へ僕と戻るのは来年になるでしょう。

 以上が僕の現在の予定です。君の方はどうですか?


解説という名の蛇足(読まなくていいやつ)

 今回から3回に分けて、1838年4月14日付のメンデルスゾーンからヒラーに宛てられた手紙を紹介していく。
 前回までは1838年1月20日の手紙を紹介していたが、その次が4月。一か月に一回ずつ手紙書こうねと言っていた約束はどこへ行ってしまったのか。
 だが今回ばかりは、それも仕方ないかなと思える内容が書いてある。

 まず書き出しは、前回の手紙から間が空いてしまったことへのお詫び……と思いきや、まさかの拳で黙らせる宣言。
 ここの一節が面白すぎて、訳した後も何度か読み返してしまった。噂に名高いメンデルスゾーンの拳……正直ものすごく強そうには見えないのでそれを含めての冗談なのか、それとも本当にある程度噂に名高かったのか、気になるところだ。
「怒るとめちゃ怖い」くらいは言われててもおかしくないような気がするが。

 手紙が遅れてしまった理由であり、そしてこのひとつ前の手紙で思わせぶりに書いていた「しばらく逃げることができない、自分の体調不良よりもさらに大きな不安」についての謎がようやく解けた。
 セシルさんが出産準備をしていたというわけだ!
 19世紀の産科医療がどれほどのものなのか詳しくないのだが、何か月くらいで分かるものなんだろうか。なんにせよ、妊娠が分かってからこっちメンデルスゾーンはずっと、不安と期待にもみくちゃにされながら激務をこなしていたのだろう。おつかれさま。セシルさんもおつかれさま。
 だが、出産後セシルさんは体調を崩し、快復したのはつい最近とのこと。現代でも出産は命がけだが、当時は出産で命を落とす女性が今よりも多かった。メンデルスゾーンも気が気ではなかっただろう。
 愛妻セシルさんが快復するまで手紙なんて書く気が起きなかったと言われれば、ヒラーも文句は言えまい。

 現代でも「安定期に入るまでは周囲にはあまり話さない」という妊婦さんおよびその夫の話はたまに聞くが、メンデルスゾーンは無事生まれるまではあまり周りに言わないようにしていたということだろうか。
 これが19世紀のスタンダードなのか、それともメンデルスゾーンの個人的な選択だったのか。
 あんな思わせぶりなこと書くくらいなら言っちゃえばいいのでは……? と筆者などは思ってしまうのだが。親友相手でも話せないことはあるのだなあ。
 メンデルスゾーンはヒラーに「君も僕の気持ちわかるでしょ」と書いている。実際、ヒラーは分かっていたのだろうか。

 妻子ともに元気で幸せ絶頂のメンデルスゾーン、「でも僕は俗物にはなってないよ」とのこと。ここで言うところの「俗物」とは、今までにも何度か出てきた「芸術を解さない人」「無教養な人」という意味の「ペリシテ人(Philistine/philisterhast)」という単語なのだが、多分これは冗談で書いているのだと思う。
「俗物にはなってないよ、全然(キリッ」と書いたそばから、息子にメロメロな様子を書き綴っているからだ。
 幸せすぎてどうしていいか分からない、と書いた後、笑いたければ笑っていいですと続けるあたり、やはり冗談なのだとわかる。
 仕事帰りや休日に「飯食いにいこーぜ」と誘われても、「あっいえ、家で妻子が待ってるんで」と爆速で帰宅し、息子が喜んでくれた指遊びを「うちの子これが大好きなんですよ見てくださいよ」と誰彼構わず披露するメンデルスゾーン。なんて愛すべき俗物だろうか。最高じゃないか。
 一応最初はクールにカッコつけようとしてはみたけど、妻子の可愛さの前には全面降伏、俗物だと笑われてもまあ仕方ないか、と思えるようになったということか。
 手紙を読んだヒラーも思わずニッコリでしょこんなん。

 出産を済ませ、体調も快復したセシルさんを連れ、ベルリンのメンデルスゾーン邸へ行く予定だと告げている。
 ベルリンの家族たち(母レア、姉ファニー、妹レベッカ、弟パウル)は、フェリックスとセシルの結婚を良く思っておらず、結婚式にも一族の中からは叔母しか出席してくれなかった件は以前の記事で紹介した。
 ここで家族の中でもとりわけ妹の名を挙げているのはなぜなのか、よく分からない。
 フェリックスの妹レベッカさんは、1811年生まれでフランツ・リストと同い年だ。1832年に数学者のディリクレと結婚してベルリンに暮らし、翌年には息子ワルターが生まれている。
 ベルリンには住んでいるが、親・姉夫婦が住むライプツィヒ通り3番地に同居はしていない模様。別の家に住んでいるからあえて名を挙げたのだろうか。

 弟のパウル君は、夫婦でライプツィヒへ来訪、フェリックスの長男の洗礼式で代父母となってくれたらしい。
 パウル・メンデルスゾーンは1812年生まれ、4兄弟では末っ子だ。1835年に銀行家の娘アルベルティーネ・ハイネと結婚している。
(ちなみにそれなりに歴史に名を遺したパウル・メンデルスゾーン・バルトルディは、フェリックスの弟、フェリックスの息子、フェリックスの孫と3人もいるのでややこしい)

 1838年2月7日に生まれたメンデルスゾーンの長男は、カール・ヴォルフガング・パウルと名付けられた。
 こちらのサイト(ドイツ語)によると、「カール」は恩師・ツェルターから、「ヴォルフガング」は祖父のように親しんだゲーテから、「パウル」は作品としても思い入れのある聖パウロから取ったとのこと。名づけからしてフェリックスの溺愛っぷりがよく分かる。
 カール君は正直言ってこの先の人生は割とハードモードなのだが、少なくとも幼少期は両親から愛されて育っている。はずだ。頑張ってほしい(※故人です)

 ファニー姉さんの旦那さんが画家なので、メンデルスゾーン家の面々は彼が描いた絵がよく残っている。以下の肖像画点は、全てドイツデジタルミュージアムから。

画像1

父アブラハムさん(1829年の作品)

画像2

母レアさん(制作年不明)

画像3

長女ファニーさん(1847年の作品)

画像4

長男フェリックス(1840年の作品)

画像5

次女レベッカさん(制作年不明)

画像7

次男パウル君(1829年の作品)
 こうして並べてみると、誰がお父さん似で誰がお母さん似かわかるかも?

画像7

ちなみにセシルさん(制作年不明)と、

画像8

フェリックスの長男カール君の絵もある。かわいい!
 フェリックスが言う通り、幼い時は母親似の部分が多く見られる気がする。大人になってからの肖像画をまだ見つけられていない……誰か見つけたらご一報ください!

 さて、結婚したときは祝福しに来てもらえなかったが、あれから1年近くが経ち、息子も生まれた。そろそろ家族の方も冷静になっただろうし、ちゃんと紹介できるだろう、とメンデルスゾーンは考えたわけだ。
 セシルさんにとっては義実家、しかもあまりよく思われてないことが分かっている義実家だ。きっつい。
 とりあえず実家へ乗り込む(笑)のを見守り、仲良くやれそうならフェリックス一人でケルンへ向かうとのこと。この年のライン川下流域音楽祭は、ケルンでの開催なのだ。急逝したリースを追悼する意味合いも濃かった模様。
 こんな俗物になってしまったのに一人で1か月も出張なんて大丈夫なんだろうか? また「ベルリンにいたかった!」を連発してしまうのでは??

 もし仲良くやれなさそうだったら、セシルさんもケルンへ連れていく(つまりおそらくは乳飲み子のカール君も連れていく)予定だそうだが、多分大丈夫でしょ! 母さんも姉さんもそんなことさせるはずないよ! と楽観視している。
 セシルさんの義実家突撃は首尾よく行ったのか……次回の手紙が待ち遠しい。

次回予告のようなもの

 手紙の前半はメンデルスゾーンのほっこりする近況で埋められた。
「君の方はどうですか?」とある通り、次回はヒラーの近況を尋ねつつ僕だったらこうする、という形でイタリア行きたいなあという気持ちがにじみ出る文面が続く。
 だがこの男、イタリアの楽壇はどうしても好きになれないのであった……!

次回、 第5章-14.イタリアとドイツ の巻。

 次回もまた読んでくれよな!


よかったら投げ銭程度にサポートいただければ嬉しいです!