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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 46

第5章-7.ライプツィヒ、1837年:引っ越した新居が最高な件


ライプツィヒ、1837年12月10日

 親愛なるフェルディナント、僕の方は送らなかったのに11月に手紙をくれて、本当に心からありがとう。信じられませんでした。
 新居の手配、引っ越し、多くのコンサートと仕事の引き合い――僕のようなつまらない凡人はこんな感じで列挙するしかないけど、君のようなスマートで明るいイタリア人風に言うと――家主、居住者、そして定期コンサートの音楽監督という3つの職に着任したこと――これら全てが、先月の僕の定期連絡を邪魔したのです。
 でもだからこそ僕は君にお願いしたかった、そして今とても真剣に頼みます。僕らの立場や環境が驚くほど違ったとしても、毎月の文通の約束は固く守り通しましょう。
 お互いの近況を聞きあうのは、きっと僕達二人にとって二倍楽しくていいことだと思うのです。他人からは奇妙に見えるかもしれないけど、親友だからっていう理由だけで十分ですよね。

 ミラノとリストとロッシーニについて考える時に、君がそれらの中に含まれていることを思い出すと、なんだか変な感じがします。「ロンバルディアの平原と君」という組み合わせの違和感は、君が「僕とライプツィヒ」という組み合わせを思う時と似ているのかもしれません。
 だけど次に君が書くのは、長くて詳しくて微に入り細を穿った手紙でなくてはいけません。僕がそれをどれだけ楽しみにしているか、君は想像もつかないでしょう。
 どこに住んでいるのか、何を書いているのか、リストとピクシスとロッシーニについて君が知れるだけ全て、白い大聖堂とそしてあの大通りのこと――僕はあの魅力的な国が大好きです。そしてその国にいる君からの便りは二倍の喜びなので、小さい便せんなんか使っちゃだめですよ。

 果たして君は、僕と同じくらい余すところなく大いに楽しむことができているのかな? 教えてくださいね。
 僕がしたのと同じように色々なことをして、同じようにたくさん酒を飲んで、同じようにその国の雰囲気に夢中になって、そして同じように計画的に日々怠惰に過ごしてください――あれ、なんでこんな事言わなきゃならないのかな、どうせ君はやるだろうにね?
 そんな日々について、たくさん書いて教えてくれるだけでいいです。

 僕がここで満ち足りた気持ちでいるかどうか知りたいですか? これで満足すべきでないというなら、何で満足すればいいのか君から教わりたいものです。
 庭と畑と街の建物を見渡せる、新しくて素敵で快適な家で、セシルと一緒に暮らす。実家を出て以来、こんなに穏やかで楽しい気持ちになれたのは初めてです。どこを向いても素敵なものと素敵な想いばかりに囲まれているんですよ!

 僕は断言します、ここ以上の場所などどこにもありません。某所での某氏の処遇を聞いて、ますます強くそう思いました。
 十頭の馬でも、一万枚のターラー銀貨でも、僕をそこに連れていくことは出来ないでしょう。小さな宮廷はその卑小性から大きな宮廷よりも気取っていて、矮小な音楽活動は完全に孤立しており、六か月の自由を得るためには、まるまる一年その地に留まって劇場とオペラ座を監督しなければならないのです。
 ですが、役職になんて就かないのが一番だと思う日もたくさんあります。

解説という名の蛇足(読まなくていいやつ)

 今回からは1837年12月10日付でメンデルスゾーンがヒラーに送った手紙を、3回に分けて紹介する。細切れで申し訳ないが、本文が少し長めなのでこうさせていただいた。
 苦肉の策として(?)、サブタイトルをラノベ風のキャッチーな感じにしてみた(……が今となってはこれも少し古い表現なのかなあ)。ともあれ、お付き合いいただければ幸いだ。

 さて前回の手紙は、新婚旅行を中断し嫌々バーミンガム音楽祭に参加したため、愚痴と泣き言がメインだった。
 今回は音楽祭も終わり、ライプツィヒの新居で新妻のセシルさんとの生活をスタートさせた頃の手紙だ。前回とは打って変わった余裕のノロケと落ち着きぶりをご覧いただきたい。

 まず書き出しは、手紙へのお礼。メンデルスゾーンとヒラーは少し前に、「毎月1日にメンデルスゾーンが、15日にヒラーが手紙を書く」という文通の約束をしていた。先月11月は、ヒラーは約束通りメンデルスゾーンに手紙を書いたようだ。メンデルスゾーンは書かなかったのに、だ。
 約束が守られた期間:4回(推定)。長いか短いかは皆さんの判断に任せる。
 自分は書かなかったからヒラーからも手紙は来ないだろうと諦めていたところに手紙が届いたので、お礼とともに「信じられませんでした」と書いてしまっている。正直すぎィ!

 あまり面白いことの書けない堅物真面目な自分を嘆き、その対比としてもともとイタリア贔屓でイタリアに馴染んでいる(と思われる)ヒラーに対し、「君のようなスマートなイタリア人」と冗談めかして書いている。
 いやメンデルスゾーンさんもかなり面白いですよ。自信持って。
 自分から約束破ったのに、「文通の約束は固く守り通しましょう」だなんて、なかなか書けないよ。その部分を読んだ時のヒラーの顔が見てみたい(笑)。

 ミラノとリストとロッシーニについて思い出すとき、今やヒラーもそこにセットになっていることに未だ慣れていない、と白状するメンデルスゾーン。
 でもヒラーから見たら、ライプツィヒとメンデルスゾーンというセットにも慣れてないかもね、とまたジョークを飛ばす。セシルさんと一緒だと、ほんとに絶好調ですね。

 パリ時代には短期間ながらもつるんでいた同年代の超絶技巧ピアニスト、フランツ・リスト(25)はこの頃、タールベルクとの象牙の決闘を終え、マリー・ダグー伯爵夫人との不倫逃避行を続行中。イタリアのベッラージョで暮らし、たびたびミラノを訪れていた。ミラノのロッシーニや楽譜出版社のリコルディなどと親交を深めていたようだ。
 リストとダグー夫人の間にはすでに長女のブランディーヌが生まれており、のちにワーグナーの妻となる次女のコジマも、ベッラージョ滞在中に生まれている。
 不倫は珍しくないけど子供まで生んじゃうのは当時でもレアケースだったらしい。だけどそれはフランスや貴族階級の話。メンデルスゾーンはそのあたり、割と潔癖な気がする。
 リストのピアノ演奏については辛口コメントが残っているが、リストの不倫逃避行についてのコメントは残っているんだろうか。そのうち調べてみたい。

 ロッシーニはこの頃、生活の拠点をミラノに置いており、ヒラーも彼を頼りにして行先をミラノにした部分もあると思われる。
 すでにオペラ界を引退してはいたが、未だに権力と影響力を持つロッシーニ。毎週金曜日にサロンを開き、北イタリアの楽壇を盛り上げていた。
 リストはこのサロンにたびたび出入りしていたとのこと。ヒラーもおそらく同じだろう。リストとはパリ時代のようにつるんでいたかもしれない。
 もう25歳だしパリでカルクブレンナーを揶揄った時のような悪童めいたことはしないだろう……と思いつつも、アラフォーの自分としては20歳と25歳ってそんな変わんねーよな……という思いもある。
 ミラノでも浮名と悪名を轟かせていたかもしれない(笑)。

 ピクシスさんについては、てっきり今までに紹介しただろうと思っていたがしていなかった(二度目)。

★ヨハン・ペーター・ピクシス(Johann Peter Pixis, 1788-1874)
 ドイツ生まれ、フランスおよびドイツで活躍したピアニスト、作曲家、音楽教育家。
 1830年代のパリを代表するピアニスト。
 キャリアの前半をウィーンで過ごし、ベートーヴェン、マイアベーア、シューベルトらと親交を得たがあまり芽が出ず、人気の絶頂はパリで迎えた。
 ヘクサメロン変奏曲やディアベリ変奏曲のメンバーにも名を連ねている。
 パリでは28歳年下のお嬢さん(フランツィッラさん15歳!)を養女にしてゆくゆくは結婚も考えていたらしいが、断念した模様。
 リストやショパンの伝記にちょくちょく困ったおじさん役で登場する。

 ピクシスさんがどの段階でフランツィッラちゃんとの結婚を考え直したのかは分からないが、1837年当時は、ソプラノ歌手として名をあげていたフランツィッラのコンサートツアーに同行しており、ウィーン、パリ、ロンドンなどを経てイタリアに滞在中だった。
 きっとロッシーニのサロンにも出席しただろう。フランツィッラは翌1838年に、ミラノ・スカラ座で上演されたロッシーニのオペラ「チェネレントラ」(シンデレラ)でデビューする。

 ヒラーや周囲の人々の近況について、大きな便せんでたっぷり書いてよねとの要求。
 メンデルスゾーンがグランドツアー(当時上流階級の子弟の間で流行っていた大卒業旅行みたいなもの)としてイタリアを訪れていたのはパリへ向かうより前の1830年から31年にかけて。音楽は退廃していたけれど、歴史と文化にあふれる風光明媚なイタリアはメンデルスゾーンの好みに合っていた。
「白い大聖堂」は、ミラノのドゥオーモ(大聖堂)のことだろう。ミラノの象徴で、ミラノの中心に建っている、500年かけて建設された教会だ。第二次世界大戦中ですらも、連合側が意図的に爆撃を避けたとのこと。

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画像:Wikimedia commons
 19世紀の様子、とのことだが、通行人の服装からして19世紀半ばかと思われる。

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画像:Wikimedia commons
 こちらは中の様子を描いた1837年頃の絵画。めちゃくちゃ天井高い。

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画像:Wikimedia commons
 こちらの画像は、1838年にオーストリア皇帝フェルディナント1世がミラノ大聖堂でロンバルド=ヴェネト国王として戴冠式を行う際の、装飾デザイン画。
 ファサード前に豪華にせり出した部分はこの日のための特別誂えだが、大聖堂だけでも十分荘厳な様子が分かってもらえると思い掲載した。

 大聖堂はミラノの中心なので、当然その前の大通りも一番賑わう場所だ。
 メンデルスゾーンはヒラーに手紙を書きながら、昔行ったミラノの思い出を反芻したのだろう。本文中「大通り」は「Corso」というイタリア語で書かれている。
 あの時の僕と同じくらい楽しめるかな? と挑戦的なことを言っておいて、日々怠惰に過ごしてください、言われなくてもするだろうけど♪ とおちゃめな筆だ。

 そして話題は、メンデルスゾーンの新居についてへ移る。
 メンデルスゾーンがライプツィヒで暮らした邸宅は、3か所あるようだ。
 まずは独身時代に住んだ、レイチェルス・ガルテン。1835年から37年までここで過ごしている。
 そして2か所目がルルゲンシュタインス・ガルテン。今回の手紙で書かれているのはこの邸宅。1837年から45年まで、いちばん長い時を過ごした場所だ。

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画像:Wikimedia commons
 こちらが、ルルゲンシュタインス・ガルテンにあったメンデルスゾーンの邸宅。ドイツの古いポストカードになっていた。

 ルルゲンシュタインス・ガルテンはWW2で破壊された。現在のどのあたりなんだろう? と調べてみたら、トーマス教会の裏手、メンデルスゾーンの銅像が建っているあたり一帯とのこと。2015年に自作の乙女ゲームの聖地巡礼したときに行った場所だった。ワオ。

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画像:Wikimedia commons
 画像の「L」と大きく書いてあるあたりがルルゲンシュタインス・ガルテン。その右下にはレイチェルス・ガルテンがある。
 この画像は1830年の地図なので緑色、牧草地・畑が大半だが、この数年後に開発が進み、1837年から1840年にかけてLと書かれているあたりに次々と住宅が建ったらしい。メンデルスゾーンは新築ほやほやの建物に新婚ほやほやで住んだわけだ。幸せすぎかよ。

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画像:Google map
 該当地区あたりの現在の地図をGoogleMapで出してみた。向こうの町並みはどんだけぶっ壊れたり町並み改造されても、教会が目印になって比較しやすくて良い。
 専門家ではないので合ってるかあやしいが、試しにトーマス教会を目印に地図を重ねてみた。こんな感じかなあ……。

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 ちょっと見づらいが、だいたいこの辺りか~と思ってもらえれば幸い。メンデルスゾーンの像がある場所は赤い■を置いておいた。

 庭園と畑が広がり、すぐ目の前にはバッハゆかりの聖トーマス教会を筆頭にライプツィヒの町並みが見える邸宅……うらやましい生活だ。そりゃ自慢したくもなるだろう。
 前述のとおりこの邸宅で8年間暮らしたメンデルスゾーン一家は、1845年にケーニグシュトラーセ(現在のゴルトシュミットシュトラーセ)に引っ越す。ここが終の棲家となり、現在のメンデルスゾーン博物館になるのだが……1837年の幸せいっぱいのメンデルスゾーンには知る由もない。

 この世の楽園と断言するメンデルスゾーンは、某所での某氏の処遇を聞いて、ますます自分の幸福を思い知る。
 某氏が誰なのかはまだ調査中だが、どこか小さな街の宮廷楽長らしい。卑小なとか矮小なとか、散々な言いようだ。何か恨みでもある場所なんだろうか。
 報酬について「ターラー」を持ち出していることもヒントになる……かもしれない。通貨にターラーを主に使っている地域なのかも。調査を続けたい。
 さてその哀れな宮廷楽長は、交代要員がいないせいなのか、まったく休暇が取れないとのこと。
 仕事がないよりはマシだが、仕事が忙しすぎるのも困りものだ。
 ぶっちゃけ経済的には仕事などせずとも暮らしていけるメンデルスゾーンだが、周りが心配するほど多忙に働いているイメージがある。
 でも新婚の今は特に、セシルさんと一緒に過ごす休暇は何よりも大切なものだろう。
 役職になんてつかないのが一番だと思うこともある、なんて打ち明けたところで、次回へ続く。
 

次回予告のようなもの

 次回も引き続き、1837年12月10日付の手紙の続きを紹介する。3回に分けて紹介するうちの2回目だ。
 ワーカーホリックの気があるメンデルスゾーンが、ぽつりとこぼす愚痴に注目していただきたい。
 前回の手紙で登場したノイコムさんとクララ・ノヴェロ嬢も再登場し、ノイコムさんはメンデルスゾーンがミーハー的な熱狂について疑念を覚える材料に、そしてノヴェロ嬢はメンデルスゾーンがヒラーをからかう恰好の題材になっている(笑)。

 第5章-8.ノイコムとノヴェロの話 の巻。

 次回もまた読んでくれよな!


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