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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 57

第5章-18.ベルリン、1838年:新しい音楽への渇望

 だけど一番重要なのは、できるだけ多くの新しいものを手に入れることです。この世界には良いものと美しいものが山ほど存在しているはず。だから僕は君の序曲とオペラにとても注目してるんです。
 僕がケルンで開催された音楽祭に行ったことは、もう知ってますよね。万事うまくいきました。
 あのオルガンはヘンデルで非常に効果を発揮し、バッハではさらに効果的でした。バッハの曲は君もまだ知らない新しく発見されたもので、豪華な二重合唱があります。

 だけどそれすらも、少なくとも僕的には、未知のものや初めて試すものに感じる興味関心・ワクワク感に欠けていました。
 僕は、自身や聴衆がそれぞれの意見を持つ余地を残しているような、不確実性のあるものが大好きです。ベートーヴェンやヘンデル、バッハを聴く時は、どう思うか、そしてどう思うべきか、他にも数々の情報があらかじめ分かってしまっています。
 イタリアでは毎年新しい音楽があり新しい意見があるのでそっちよりいいよ、という君の論説は確かに正しいですよ。でもその音楽とその意見が、もうちょっと上等だったらいいんですけどね。
 ここで君は鼻を鳴らしてこう言う:「『上等』って何だよ」
 まあ言ってしまえば、もっと僕好みのやつってことです。

 だけど実際、ドイツは悪魔に取り憑かれ操られているみたいです。
 グーアが先日『天地創造』の素晴らしい二度の演奏を行ったのですが、全ての新聞が『光あれ』の一節について記事にしていました。
 グーアが教会に配置したオーストリアとプロイセンの連隊軍楽隊によって、全力で吹き飛ばされた一節をですよ。
 チェチーリア協会はVが指揮しています。僕が知る限り最高の人選です。そしてSはモーツァルトの栄誉を称え講演などしていますが、全然僕の好みじゃありません。
 結局のところ僕の好みが偏っているんじゃないか――その可能性が僕の頭に浮かんできましたが、でも最大限に努力して飲み込まなくてはいけません。
 コウノトリが浅い皿からお粥を飲み込むのと同じくらい難しい事だと分かっていてもね。

 コウノトリで思い出しましたが、僕の息子は元気でまるまるしていてご機嫌で、容姿も性格も母親似です。
 僕にとって言葉にできないくらいの喜びです。だって彼にできる最善を尽くしてくれているわけですからね。
 セシルは元気で生き生きしています。君にくれぐれもよろしく伝えてほしいと。

 ああそうだ、僕が今書いているもの、音楽のことですけど、その話をしていませんでしたね。ピアノのためのロンドを2曲――オーケストラ付きの曲と、なしの曲。ソナタを2曲――片方はヴァイオリン付き、もう片方はチェロ付き。詩篇を1曲。それからちょうど今ヴァイオリン四重奏曲第3番を書いています。頭の中には交響曲の構想があって、もうすぐ取り掛かるつもりです。変ロ長調だよ。
 君はどうですか? 序曲を送ってくれませんか?

 君のお母さんに千回愛のご挨拶を。楽園のような国での生活を楽しんで、僕のこともちゃんと思い出してね。

君のF.M.B

解説という名の蛇足(読まなくていいやつ)

 今回もだいぶ間が空いてしまい申し訳ない。
 前回に引き続き、1838年7月15日付の手紙を紹介している。故郷ベルリンに滞在中のメンデルスゾーンが、ヒラーに宛てた手紙、その後半から結びにかけてだ。

 バッハやモーツァルトを尊敬し、ロマン派の時代区分を生きながら古典派の流れをくむ作風のメンデルスゾーン。
 だが、本人は意外と新し物好きの一面もあったようだ。
 思えばライプツィヒ時代のメンデルスゾーンは、同時代の作曲家たちの新しい作品を、シューマンと共にたくさん世に紹介した功績もあった。そりゃ新しいものを避けて通る人なわけがない。
 ……ただ、好みはうるさかったようだけれど(笑)

「この世界には良いものと美しいものが山ほど存在しているはず」という一文は、メンデルスゾーンがここまで辿ってきた人生とこれから辿る人生を思うと、ちょっと涙腺にくるものがある。
 人種差別や、家族や友との死別を繰り返してなお、この言葉が出てくるのってすごいなと思う。セシルさんと息子君のおかげかも。
 ロマン派ってけっこう、退廃的だったり鬱々とした印象が強いので、こんなにも明るく真っすぐに世界の美しさを信じる言葉が聞けるとは思っていなかったのもあって、心に残った。
 未だに送ってもらえていないヒラーの曲を、良いもの美しいものとみなしているとサラリと書けちゃうこのスマートさ。素敵だ。

「ケルンの音楽祭」は、この年のライン下流域音楽祭のことだと思われる。当シリーズでも何度か取り上げているこの音楽祭、1838年の開催地はケルンだった。メンデルスゾーンは6月3日~6日にかけて、当地で演奏を指揮した模様。
 前年に音楽監督を務めたフェルディナント・リースは、すでに鬼籍に入ってしまった。彼への追悼の色合いも濃い音楽祭になったようだ。

 この年の音楽祭で、メンデルスゾーンはヘンデルとバッハの曲を演奏したことを述べている。
 調べてみるとヘンデルのオラトリオ『ヨシュア』と、バッハの教会合唱曲『天のいと高きところには神に栄光あれ』だったという資料を見つけた。
 オラトリオ『ヨシュア』は、ヘンデルの代表作の一つ。より代表作として挙げられることの多い『ユダ・マカベウス』内の超有名曲『見よ、勇者は帰る』は、もともと『ヨシュア』で使われた曲だったそうだ。
 そしてバッハの『天のいと高きところには神に栄光あれ』(BWV191)。メンデルスゾーンは、「新しく発見された曲」と言っているが、実はこの曲、バッハの傑作と言われている『ミサ曲ロ短調』(BWV 232)の一部をクリスマス用の合唱曲として作曲者本人が再編した曲らしい!
『ミサ曲ロ短調』は、今では信じがたいがバッハの生前から1859年まで、全曲通して演奏された記録がないとのこと。
 メンデルスゾーンもこの曲をケルンの音楽祭で演奏するのに、だいぶ交渉を重ねたらしいので、マタイ受難曲のように忘れ去られた曲だったのだろう。調べた情報が全て本当なら、これも「蘇演」と呼んで差し支えないかもしれない。

 この二曲は、ケルンのオルガンで効果的に演奏できたとのこと。有名なオルガンだったんだろうか。この頃、音楽祭がケルンのどこを会場としていたのかがまだ調べられていないので、そのうち調べてみたい。
 さて、こんなに上出来だった二曲さえ、メンデルスゾーンの好奇心は満足させられなかったらしい。
 ヘンデルもバッハの新しい曲も、メンデルスゾーンにとっては聴きなれた音楽だ。もっとワクワクする曲が欲しかったらしい。どこのサイヤ人だ。
 ヒラーはメンデルスゾーンとは違ってイタリア・フランスの音楽を好んでいるので、それについてチクリと皮肉を言うのを忘れない。
 メンデルスゾーンからヒラーへの手紙、ちょくちょくト書きのような、ジョセフの「お前は次に○○と言うッ!」のような文が入るのが楽しい。男友達ならではなのか、ファニーさんへの手紙にはあまりない気がする(笑)

 前回でベルリンの悪口は言いつくしたと思ったが、今度はドイツの愚痴が出てきた。
 グーアさんは、以前の記事で紹介したカール・グーアさんだろう。フランクフルトのカペルマイスターだ。
 ヒラーにこき下ろされているお方なので、メンデルスゾーンもおそらく慕ってはいなかっただろうなーというのは、この文章からも見て取れる。
『天地創造』はハイドンのオラトリオ作品。ハイドンの作品の中でも、当時から非常に人気のあった有名作だ。
 一度は「素晴らしい演奏」と書きつつ、肝心の「光あれ」の部分は粗野で乱暴な演奏に吹き飛ばされていたと説明。それをこぞって褒めたたえるドイツの新聞各紙を嘆いている。記者たちはどんな悪魔に操られてその記事を書かされたんだろうか(笑)

 ヒラーの古巣とも言える合唱団、フランクフルト・チェチーリア協会は、シェルブルの死後リースが代表に就いたが、指導期間わずかにして急逝してしまった。
 その後、シェルブルの弟子で、代表不在時にメンデルスゾーンやヒラーと共に臨時で指揮を執っていたフォークトさん(Carl Voigt, 1808-1879)が、1838年に代表に就任した。
 ここでメンデルスゾーンが言っている「V」はおそらくこのフォークトさんだろう。

 じゃあ次の「S」は誰なのか? モーツァルトの功績をたたえメンデルスゾーンの好みじゃない(笑)講演などをしているらしい。
 ここで、以前の記事でも紹介した、チェチーリア協会の歴代指揮者を調べていた時見つけた資料に再度アクセスした。2018年、チェチーリア協会200周年記念の小冊子らしきebook(ドイツ語)だ。
 この本の1838年の項に、「フランツ・クサヴァー・シュニーダー・フォン・ヴァルテンゼーがフランクフルトにモーツァルト財団を設立した」とあった。
 シュニーダーは以前の記事でもちらっと紹介した、スイス生まれの音楽家。やはりヒラーにけちょんけちょんにけなされている人物なので、ここでメンデルスゾーンにけちょんけちょんにされている「S」も彼かもしれない。

 自分の好みが偏っているだけかも? と思えてきたけれど、それでもなんとかして好みの音楽を吸い上げなくちゃ、と続けるメンデルスゾーン。
 コウノトリが浅い皿からおかゆを食べるくらい難しいけど、と皮肉気に書いている。
 なんかこれ聞いたことあるなと思ったら、イソップ童話かな。
 Wikipediaによれば、日本では「狐と鶴のごちそう」というタイトルだが、現代では「狐と鸛(こうのとり)」だそうだ。
 イソップ童話では、キツネに意地悪された鶴はそのまま黙ってはおらず、しっかりとキツネに仕返しをするけれど、悪魔に操られているドイツ楽壇に意地悪されたメンデルスゾーンは……はてさて。
 ちなみにヨーロッパでコウノトリと呼ばれる鳥は、実際は「シュバシコウ」という近縁の鳥らしい。

 そしてコウノトリと言えば赤ん坊を運ぶ鳥。大事な赤ちゃんパウル君のことを思い出し、幸せたっぷりに近況を語る。
「母親に似てくれることが彼ができる最善の努力」という一節が、妻と息子への愛に満ちあふれていてとても素敵だ。
 セシルさんも、義実家で委縮せず元気に過ごしているとのこと。良かった。

 そしてとってつけたように、作曲中の音楽をバーッと書いてくれているので箇条書きにして、この曲のことかな? と思える曲を挙げてみる。
 いくつかは、以前の手紙でも言及のあった曲だと思われる。

・ピアノのためのロンド(オーケストラ付き)
  →『セレナードとアレグロ・ジョコーソ ロ短調』(op.43)
・同上(オーケストラなし)
  →『アンダンテ・カンタービレとプレスト・アジタート ロ長調・ロ短調』(WoO.6)
・ソナタ(ヴァイオリン付き)
  →???
・同上(チェロ付き)
  →『チェロソナタ第1番 変ロ長調』(op.45)
・詩篇
  →『詩篇第114「イスラエルの民エジプトを出で」』(op.51)?
・ヴァイオリン四重奏曲第3番
  →『弦楽四重奏曲第3番 ニ長調』(op.44-1)
・交響曲の構想(変ロ長調)
  →『交響曲第2番 変ロ長調「讃歌」』(op.52)

 ヴァイオリンソナタだけよく分からなかった。未完成となった曲があったりしたんだろうか?
 メンデルスゾーンは、フェルディナント・ダヴィッドに宛てた1838年7月30日付の手紙の中で「来年の冬までに、ホ短調の協奏曲を贈りたいと思ってるよ!」と書いている。かの有名な「メンコン」、『ヴァイオリン協奏曲 ホ短調』(op.64)のことだ。
 もしかしたら、ここでヴァイオリンソナタと書いているのが、ヴァイオリン協奏曲の前身なのかもしれない。

 自分の近況の後には、もう何度目かの序曲の催促を忘れない(笑)
 ヒラー母への挨拶と、イタリアでの生活を楽しんでね、という言葉で、手紙は結ばれている。

次回予告のようなもの

 前回の記事でお知らせしたとおり、この記事を境に、更新は少し長めのお休みに入ります。年内にキリのいい所まで投稿できてよかった……。
 さて次回からは(更新がいつになるかは未定だが)、1838年8月17日付の手紙を紹介する。初っ端からヒラーへの祝福の言葉をこれでもかと連ねられた手紙だ。
 とにかくもうメンデルスゾーンが大喜びするような幸せが、ヒラーに訪れたらしい。
 メンデルスゾーンが自分の事を、頭の堅い頑固者だと自嘲をこめて(?)自称するシーンもあるよ!

 次回、第5章-18.お堅い哲学博士 の巻。

 だいぶ先になってしまうかもしれないけど、次もまた読んでくれよな!

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