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2019年12月の記事一覧
旅館のよさを、多くの人や海外の人たちに伝えるための自社サイトプロデュース
僕が社長になった理由-浦澤修さん-
「父が浅草の靴職人で、小さいころは日常的に外国人との接点があったんですよね。そんなところが僕のルーツかもしれないですね」と語る浦澤さん。雑誌の編集者としての仕事を続けながら、イチ早く外国人旅行者に目を付け、ウェブメディアへ移行したのだそう。紙とウェブ、二刀流で活躍する浦澤さんのスタイルにあこがれるライターも多いと思います。
2019年夏、”いわみんプロジェクト
血友病と共に生きることで見える世界。自分だからできることがキャリアに
僕が社長になった理由-梅原昌宏さん
小学生2年生のときに自分が血友病だと知ったという梅原さん。「風邪をひいたくらいだと思って、何度も治るの? と聞いたけど、母がつらそうにしていたので、聞けなくなった」と言います。自分は血友病ではないと思うようにしていたのだとか。幼少期のつらい記憶である反面、非常になじみのある医療の現場を自分のキャリアとしても目指すようになったそうです。
2019年夏、”いわみん
バス釣り好きの少年は、今、日本がグローバルに進出するときの心強いサポーターに
僕が社長になった理由-村山忠昭さん
「山口県宇部市で生まれで、父は板前、母は床屋を営む田舎の子だった」という村山さん。小さいころから釣りが大好きでバス釣りをしたい一心で、釣り部がある大学、さらにバス釣りの聖地・河口湖に行ける関東を目指したのだそう。グローバルに展開している企業の社長さんとは思えないほど謙虚で、自虐ネタも交えてのインタビューはあっという間に2時間超。ユニークすぎる村山さんの人生劇場の
増収増益が続く絶好調を支えるヒミツ。心理学で学んだ自分が幸せになること
僕が社長になった理由-荒尾純平さん
初対面で挨拶したときは、一瞬ひるむような貫禄を感じたのですが、笑顔を絶やさず仏のようにすべてを受け入れる雰囲気を持った荒尾さん。不思議なオーラを感じて聞いたところ、数年前から心理学を趣味のように習っているのだそう。キッカケは経営における悩みを解決したかったからだとか。今では増収増益が続き、2019年秋に、新社屋へ移転を果たしました。そんな絶好調のヒミツをお聞きし
独自の英語力アップのメソッドを確立。3年間1000本配信したメルマガで会員獲得
僕が社長になった理由-竹末研一さん
幼少期に父の仕事の関係で、シンガポール、タイ、エジプトなどで過ごし、インターナショナルスクールの多言語環境に置かれた経歴を持つ竹末さん。圧倒的な知性を感じさせる竹末さんは、一般人には理解しがたいレベルのことを次々とやり遂げ、オリジナルの英語メソッドを完成させてしまったといいます。そのメソッドを引っ提げての独立。一体どんなステップを踏んだのでしょう。
2019年
大阪で癒されたい時はここへ。自分に気づき、心から癒されることで頑張れる
僕が社長になった理由-秋庭宏是さん
秋庭さんにお会いしたのは、私が禅に興味を持ちだしたころ。「おもしろい経歴で、ものすごいリラックスできる人がいる」という謎が深まる紹介のされ方でした。実際にお会いして謎が解けました。すべてを受け入れるような器の大きさを感じ、何も求めないスタンスでそこにいる。それだけでこちらの気持ちが落ち着いてくる人。仕事も謎すぎる展開の仕方で、不思議すぎるそのオーラや魅力を解明し
学校の課題を解決するために、地域の人たちを巻き込んでいくプロジェクトに
僕が校長を終えた理由-山下由修さん
千代田区立麹町中学の工藤校長の著書『学校の「当たり前」をやめた』を読んだ私に、「静岡にも同じように、情熱をもって教育改革をしてきた校長先生がいる」と紹介され、山下さんとのインタビューが実現しました。先生たちがシフト制で働けるような制度を入れたり、放課後の部活を地域の事業所や高校大学生を巻き込んだサークル活動にしたり、大胆な改革を推進した方です。インタビュー少し前
マジックエンターテインメントで地球をバズらせたい! 永遠の少年の夢
僕が社長になった理由-能登 竜真さん
マジックというエンターテインメントを使った企画や演出などを手掛ける仕事をしている能登さん。非常にコアでありながら、世界的に通用する手段です。そんな仕事をスタートさせた能登さんは、「自分はガマンができない子どもなんです」と語ったとおり、イヤなものはガマンならないし、望むものは何としてでも手に入れたいと思うのだそう。思い込んだたらまっしぐらな能登さんの、猪突猛進ス
70歳になって酒蔵改革に乗り出した。そのバイタリティに迫る!
僕が社長になった理由-古澤有三さん
新潟県津南町にある酒蔵の社長である古澤さん。26歳の時に自分で会社を興し、時代の勢いと共に多角的にいろいろなビジネスに挑戦してきました。70歳になった今、8年前から引き継いだ酒蔵の在り方を抜本的に改革すべく、新しいスタートを切ったといいます。いくつになっても挑戦し続ける、古澤さんの考え方から今の時代にも通じるヒントをたくさんいただきました。
2019年夏、”い
教師の現状と、日本の教育の問題点。静岡から教育を変革していきたい!
僕が校長になった理由-八木邦明さん
校長先生へのインタビューは初めてで、学校経営というものをどう捉えているのか楽しみにしていたところ、話はまさかの方向に。。。教員としてのゴールともいえる校長職では満足できずに、新たなチャレンジを次々にしている八木さん。今後の静岡や教育について、大きな野望を持って突き進むそのバイタリティのヒミツを教えてもらいました。
2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、
たまひよの生みの親。その当時、センセーショナルを起こし、30年近くNo.1雑誌に
僕が社長になった理由-坂井一之さん
小さい子どもを別にすると日本で知らない人はほとんどいないのではないか?と思われる、通称「たまひよ」の創刊編集長がこの坂井さんです。発行元ベネッセの出版事業がここまでの勢いになったそのスタートがたまひよにあったことは、誰もが認めるところです。そんな時代の革命児に、当時を振り返っていただきました。
2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立し
祖父の代からの会社を継承ー親子の確執と事業の変革に悩んだ日々
僕が社長になった理由-森松長照さん
森松さんを形容するなら、繊細で優しすぎる経営者。とはいえ、ただのいい人ではなく、ビジネスセンスが抜群にいい。多額の負債を抱えた会社を引き継ぎ、完済するために行った大きなチャレンジが成功を収めますが、それは単なる賭けではなく、しっかりと計算されたマーケティング手法によるものでした。会社がひと段落した今、新たに目指すものが見つかったという森松さん。そのお話も聞かせて
結婚後30歳を過ぎて沖縄から上京。家族を呼び寄せるために独立!
僕が社長になった理由-山城憲太郎さん
人の好さそうな笑顔でみんなから愛されるタイプの山城さん。最初の仕事がキャバクラやカジノという予想を裏切るお話で、インタビューののっけから驚いてしまいましたが(笑)。沖縄でのキャリアを築いたあと、30歳を過ぎて関東へやってきたのだそう。今では自身の事業だけでなく、奥さまがスタートさせた事業も抱える二刀流経営者です。
2019年夏、”いわみんプロジェクト”として
シリアルアントレプレナーの夢は、日本を代表するエンターテインメント施設!
僕が起業した理由-後藤貴史さん
バリバリのエンジニアなのかと思いきや、日本大学芸術学部で映画を作ることが夢だったという後藤さん。現在、全国のモールなどで続々と展開しているテクノロジーを駆使したエンターテインメント施設『リトルプラネット』の生みの親です。エンジニアのスキルを学んだのは、大学2年のときのインターンがキッカケだといいます。その後、華々しく学生時代に起業し、成功をおさめます。ところが、起業