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マジックエンターテインメントで地球をバズらせたい! 永遠の少年の夢

僕が社長になった理由-能登 竜真さん
マジックというエンターテインメントを使った企画や演出などを手掛ける仕事をしている能登さん。非常にコアでありながら、世界的に通用する手段です。そんな仕事をスタートさせた能登さんは、「自分はガマンができない子どもなんです」と語ったとおり、イヤなものはガマンならないし、望むものは何としてでも手に入れたいと思うのだそう。思い込んだたらまっしぐらな能登さんの、猪突猛進ストーリーの始まりです。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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能登 竜真(のと たつま)さん

株式会社ROUTE13(ルートサーティーン)代表取締役社長
多くの芸能人のマネジメントを経て
2014年 日本初の、マジッククリエイター集団『ROUTE13』を発足
Webマーケティングの分野に、マジックを活用した驚きの演出手法を取り入れ、プロデュースした動画のトータルビューは、5,000万を超える。
“人の持つ無限の可能性”にフューチャーしたプロデュースで、舞台、映画、web動画、広告、イベントなど数々の企画を仕掛けている。
2017年 起業

お笑いを目指していた学生時代。
そのままプロデューサーとして働きだしたものの…

 小さいころからお笑い好きで、進学校だった高校時代には、周りに将来のビジョンを持っている人が多くて、自分はおもしろい人になりたいからお笑い芸人になろう! と漠然と思っていました。大学では、早稲田の寄席演芸研究会に入って漫才をやっていました。当時、小島よしおくんや、かもめんたるが出身のWAGEとかもいて、早稲田のお笑いはすごくレベルが高かった印象です。

 友だちとコンビを組んで、プロのライブにも出演させてもらったりもしていたんですが、相方がやめることになり解散。お笑い劇団を作ったり合同ライブを開催したり、イベントプロデューサーとして活動するようになっていきました。
 そんな活動をしていたから就職もせずに、このお笑い劇団を盛り上げていこうと考えて活動していましたが、あるとき父親から「オマエのやっていることはオレだってできる。なぜなら単なるイベントでビジネスじゃないからだ」と言われました。ものすごく頭にきたんだけど、確かに認めざるを得なかったんです。まったくお金は儲けられてなかったですから。。。

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 一度、芸能ビジネスをしっかり学ぼうと思って、芸能事務所にマネージャーとして入社しました。女優さんが多い事務所だったんですが、バラドルとかが全盛期の時代で、僕はプロレスラーでありながらバラエティにも出演される方を担当させてもらいました。ドラマや映画より、バラエティの現場にいたいと思ったからです。ところが、彼女は現役プロレスラーだったため、芸能の仕事は全体の3割程度。当然ヒマになってしまい、他の女優さんの現場を担当することが多くなり、悶々としていました。
 あるとき、行きつけの飲み屋のママにグチっていたら、有名なタレントさんの現場マネージャーを探しているって話を聞いて、翌日退社願いを提出しちゃいました。まだ先方のほうで、正式に採用が決まっていたわけでもないんですけどね(笑)。

 なんとか現場マネージャーに就任できた、とにかくスキルを積みたいと思って必死で働きました。仕事を始めてすぐは62日間休みなしでした。彼女はものすごいプロフェッショナルに徹底した人で、コチラに求める事もレベルも非常に高いんです。翌日のスケジュール確認のタイミングや、彼女が欲しいものをとっさに気づくなんてことは当然、彼女の周りの人への気遣いも適当では許されませんでした。
 でも、そんな業界トップの人に付くことができたおかげで、普通では決して見られない景色をたくさん見せてもらうことができたし、彼女と共演するトップレベルの方たちの現場やオフの顔なんかも見せてもらうことができたのは、本当に大きい経験だったと思っています。

芸能界のトップに君臨するタレントさんの全盛期に、現場マネージャーとして付き、最高級レベルの気遣いを学んだ能登さん。プロの世界を間近で見たことで、エンターテインメントの世界の厳しさや楽しさを知りました。一方で、多忙とストレスが重なり、カラダと心が悲鳴をあげて。。。ここでも“子どもなオレ”が出てしまったようです。

忙しいマネージャー業と思い通りにいかない現実に
ついにメンタルが耐え切れずに爆発!

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 ハードすぎる生活が5年半くらい続いたある日、事件が起こりました。当時、若手芸人も担当していたんですが、自分が苦労してやっと取ってきた現場立ち合いと、彼女の海外ロケの日程が重なってしまったんです。上司が僕が苦労して取ってきた現場に行き、、自分は海外ロケだと言われ、許せないと思っちゃったんです。
 僕の悪癖でもあるんですが、思い通りにいかないことはガマンできない質で、気持ちが爆発しちゃうんです。さらに、当時生まれたばかりの子どもといられる時間もほとんどなく、たまたま沐浴させようとしたら大泣きさせてしまって大パニックに。
「オレはやりたくもないことをやって、大切なこともちゃんとできず、一体何をやっているんだろう?」と考え出したら、いっぱいいっぱいになっちゃって。気づいたら玄関で倒れてました。

 意識が戻ったものの、僕があまりに落ち込んでいるので、妻に赤子連れで付き添われて、人生初の精神科に行ったほどです。2週間休んで復帰し、現場担当からコンテンツ制作の部門へ異動させてもらうことになりました。その部門で、事務所所属のマジシャン4人を売り出すプロジェクトに参加しました。メンバーの1人からマジックによる舞台演出の話を聞きました。その流れで、日本のトップマジシャン・セロのブレーンとして、マジック演出をしていたテツヲさんと出会いました。

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 彼と話をしていく中で、マジック演出にとてつもない可能性を感じて、この事業で独立したいと思うようになりました。とはいえ、僕の片思い状態だったので(笑)、しばらくはプロジェクトを回しながら、マジシャン達の信頼を勝ち取るようにしました。
 そんな努力が実って、僕が独立の話をしたときに、マジシャン達から「一緒にやりましょう」と言ってもらえたんです。これで、やっと自分の城を持って、人の決めたルールから自由になれると思いました。自由になることは、ある意味、僕がずっと望んでいた夢でもあったんです。

マジック×お笑いや演劇で世界をバズらせる
世界に通じるエンターテインメントを作りたい!

 ところがこの夢も大きな間違いだったことにすぐに気づきました。僕が独立してプロデューサーになると言ったとき、今もブレーンをやってくれている放送作家の米田さんから、僕の足りない部分をたくさん指摘されました。彼は一流のプロデューサーとたくさん仕事をしているので、独立してやっていく上で必要となる事柄を教えてくれました。結果、僕はまったく自分勝手に生きられるわけじゃないことを知りました。当たり前ですよね。仕事にはすべて制約があって、本当に好き勝手にやっていいことなんて何もないんです。僕は自由というものを履き違えた子どもだったんです。
 さらに独立して気づいたのは、自分の弱さと至らなさです。僕は多くの経験やスキルは得たけど、精神性がしっかり育ってなかった。また、特に会計に関しては、初年度の決算をしてめちゃくちゃ怒られて猛反省しました。

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 そんな子どもな部分がある僕ですが、独立当時からずっと言っている目標は、地球をバズらせることです。マジックを使って世界中に新しい体験価値を提供したいんです。今後、日本はもっとグローバル社会になり、芸能もグローバル化していくはずです。そんなとき、言葉が不要のマジック演出に、僕が今まで学んできたお笑いや演劇の要素を加えて、人々があっと驚く感動体験のステージを作りたいと思っています。マジックを使ったチームラボみたいなイメージで、マジカルテクノロジスト集団です。演劇やミュージカルには、イリュージョニストが監修で入っている事も多いんですよ。だから絶対に実現できると思ってます。
 もちろん、永遠の少年でありながら、経営者としてのスキルも身に付けたいです(笑)。

自分のできることとできないことを認識した能登さんは、自信満々にできないことを語ります。大人になると、できないことを認められずわかった振りをしてしまうことが増えます。でも、本当に強い人は、能登さんのように「できないんだ」って宣言できる人なんだと思います。バカでかい夢を見る永遠の少年の能登さん、きっと実現しちゃうんだろうなって気がしてます。


下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!