「あなたは私のヒーローです」と言ってもらえた話
長い間、自分に自信がありませんでした。
他の人よりも繊細すぎるところがあったり、感受性が強すぎたりして、どうしても社会の中でギャップを感じることが多かったのです。
特に20代の頃は苦労することも多く、日々傷つきどおしでした。
「自分がこんなに辛い思いをしているのは、心が弱いからなんだ」
そう思ったこともあります。
ここ数年、経験や視野が広がることによって、ようやく自己受容が出来るようになったと思います。
そんな中、ある友人との再会によって報われたことがありました。
今回はそんなお話です。
※友人とのエピソードは、許可を得て掲載しています。
* * *
小説の依頼
2021月10月末。
里帰りし、仕事もまもなく産休に入る…という頃、1件のメッセージが届きました。
相手は何年も連絡を取っていなかった大学時代の同級生です。
わたしが電子書籍を出版したことを知った彼女は「オーダーメイドの小説を書いているんだよね?」と問い合わせてくれました。
(現在はお休み中ですが、以前はココナラというサービスでオーダーメイド小説を書いていたのです。)
※来年から再開する予定です!
彼女から依頼されたのは「自分をモデルにした小説を書いてほしい」ということ。
ご依頼を受けたわたしは、その作品を出産までに書き上げたい、と思いました。
出産してからだと、自分の感性や見えている景色が、今までとは違ったものになると思ったからです。
こうして、小説の執筆が始まりました。
芸術大学時代
彼女とわたしはかつて、大阪芸術大学で一緒に演劇の勉強をしていました。
芸大の舞台芸術学科にはクラス分け制度があり、彼女とはクラスが一緒になったことはありませんでしたが、いつの間にか仲良くなって色々な話をしたのを覚えています。
芸大での4年間は毎日が怒涛で、刺激の連続でした!
世間の思っている「大学生」という華やかさや気楽さは一切なくて、演劇の勉強をしては実際に舞台を制作し、上演する、ひたすらその繰り返しだったのです。
さらにわたしは同級生たちと一緒に、学校外の劇場を借りて【自主公演】を上演していました。
【自主公演】では既存の演劇作品を上演することもあれば、自分で書いた作品を上演することもありました。
俳優として演技を学んだり、上演するための戯曲(ドラマの台本のようなもの)を制作したり……
とにかく24時間365日、演劇の事ばっかり考えていたのです。
当然ながら、欲しい本や観に行きたいお芝居がたくさんありました。
そのため、アルバイトは必須。
しかし、朝から晩までみっちり勉強したあとは、演劇を作るためのお稽古があったので、アルバイトに行く時間などありません。
そこでわたしは授業の始まる前、早朝に24時間営業のファミリーレストランでアルバイトしていました。
深夜2時に帰宅し、朝5時に起きる、というそんな生活がほぼ4年続きました。
コンパも卒業旅行も、何も経験していません(笑)
自分としては演劇が好きで好きで、少しでも長い間演劇に触れていたかったからそんなライフスタイルを選んでいただけだったのですが、自然と人の目についたのか、プロの舞台で主役を張らせてもらったり、校内の公演でも、主役をもらうことが多くなっていきました。
そのことが嫉妬の対象になったり、他の学生よりも批判されることも多かったですが……。
自分には「演劇をするしか道はない」と思っていたから、演劇以外の仕事をするなんて選択肢はどこにありませんでした。
そんな4年間に出会った友人たちはとてもかけがえのない存在で、その中の何人かは、現在でもわたしの人生になくてはならない人です。
激動の4年間を過ごしたのはわたしだけではありません。
今回小説を依頼してくれた彼女も、自分の大学4年間の出来事を小説にしてほしい、と言ってくれました。
わたしの視点から描いた彼女の姿を、ひとつの小説にしてほしいというのです。
彼女が自分の大学時代の経験を小説にしてほしい、というのには理由がありました。
彼女は今度出演する舞台を最後に、演劇の世界を引退するそうなのです。
だからその前に、ひたむきに頑張っていた学生時代の思い出を作品にしてほしい、と思ってくれたそう。
それを聞いて、
重大な使命を任せてもらえた。彼女に報いなければ。
と思い、背筋が伸びるような気持ちでした。
今のわたしが彼女に出来ること
彼女と一緒に演劇をしていた頃には、舞台上の自分の姿とか、演劇に向き合う自分の姿を見せることが、彼女の力になれることだったからもしれません。
ですが、今のわたしがするべきは、その力の貸し方ではありません。
あれだけ大好きだった、そして頑張ってきた演劇を辞めて、一度は挫折を味わったわたし。
傷だらけの中なんとかもがいて、小さな頃から大好きだった「書くこと」に再会しました。
(こちらの経緯については、自己紹介記事に詳しく書いておりますので、よかったらお読みくださいね。記事末にリンクを記載しておきます)
そして「書くこと」を仕事にし、挫折から立ち直った今の私が、彼女のために出来ること。
それはやっぱり、「彼女にとって特別な物語を書く」ということです。
それが、今のわたしにできる唯一無二の方法だったのです。
「あなたは私のヒーローです」
作品を納品すると、彼女はものすごく喜んでくれました。
彼女の力になれたということは、わたしにとっても感謝すべきことでした。
母になる直前のタイミングだったからこそ出て来たアイディアもあり、この時期に彼女からの連絡がなければ、この物語は生まれることはなかったでしょう。
ひとつの物語を生み出すきっかけをくれて、彼女にはすごく感謝しているのです。
* * *
そんな折、彼女が1本の動画を送ってきてくれました。そこには数年ぶりに見る彼女の姿がありました。
動画の中で、彼女は自分の気持ちをありのままに話してくれました。
なぜわたしに依頼をしようと思ってくれたのか。
連絡をとっていない間、わたしのことをどれだけ気にかけてくれていたのか。
そして、彼女がしんどかった時、かつて観たわたしの出演舞台を思い出して涙してくれていたこと。
わたしの書く物語が大好きだったから、自分もわたしの物語の登場人物になりたかったということ。
わたしの生き方が、わたしの知らないところで彼女に勇気を与えていた、と教えてくれました。
そして動画の最後に、彼女はこう言ってくれたのです。
「あなたはいつまでも私のヒーローです。本当にありがとう」
生きていれば、いつか報われる
挫折し、夢を諦めた時には本当に辛かったです。
まさか自分が挫折するなんて思っていなかったから。
「なんでわたしが演劇を辞めなきゃいけないの?」という気持ちと、「もう無理、これ以上はこの世界で生きていけない」と思う気持ちが交錯していました。
演劇を辞めたところで何のスキルもなかったし、オーディションを受けては舞台に立つ日々の中、アルバイトで食いつないでいたので職歴もありませんでした。
一体、これから何をしていけばいいのか。
ずっと目的を持って生きていて、それが叶うと信じて疑わなかった自分にとって、これが何よりも辛いことでした。
幸いにも、その後にとても良いご縁があって、多くの人に助けられ、今の生活があります。
挫折から5年ほど経ちましたが、今の自分のことはすごく好きだ、と思えています。
それは、挫折しても諦めず、なんとか道を探そうと模索して、今の幸せやこれから掴みたい目標などを手に入れたという自負があるからです。
演劇を学んでいた時期、俳優の仕事をしていた時期は、確かに華やかだったかもしれません。
たくさんの賞をいただいたし、ファンと呼ばれる方々にも応援してもらいました。
今でも俳優をしている当時の同胞たちを見ると、いつまでも若々しくて、きゃぴきゃぴしているなー、と思います。
以前はそんな彼らを見て「この世界に戻りたい…でも、怖くて戻れない」と、悶々としたこともありました。
でも、今はそうじゃない。
今のわたしにしかできないことが、誰かを救うことができた。
そして、自分ではわからなかったけど、必死に生きていたおかげで「あなたは私のヒーローです」と言ってもらえるようになったのです。
わたしの生き方は、決してスマートではありません。
ですが、いつも目の前の運命に必死に食らいついて来た、という自信はあります。
5年前、絶望の中で泣いていた自分に言ってあげたい。
「大丈夫!5年も経てばあなたは新しい道を見つけて、誰かの【ヒーロー】になっているよ!」と。
* * *
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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