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痛み止め~サタデー・ナイト・サタナイトショー
テレビを見ながらレイは指で脇腹をなぞった。爪に引っ掛かる凹凸は切り立った崖のように感じられる。腹腔鏡手術によって切除された虫垂は最早ないにも関わらず、臓腑の中で領有権を主張している。しばらくすると、虫垂の主張は痛みという声に変わり、死骸を分解するために地中から派遣された地虫のように這い回りはじめた。泣き喚きながら床に転がり、ありとあらゆる呪詛を吐くことをしないのは一四歳のレイが強靭な精神を備えて
もっとみるカウチ・ソファより永遠に
元旦、マーティン・ルーサーキング牧師記念日、大統領の日、戦没者祈念日、奴隷解放記念日、独立記念日、勤労感謝の日、コロンブス記念日、退役軍人の日、感謝祭、クリスマス。すべての祝日が顕現してクリフトン・シアーズの前で膝をついたとしても、彼がこれほど浮かれることはない。静謐な図書館で本の管理と貸出業務を行うシアーズの毎日はすべての人々同様、繰り返されているにせよ、今の彼は最愛の存在であるベアトリーチェ
もっとみるファン・マヌエル・スアレス『殺しの街』
ファン・マヌエル・スアレスは私と同じようにボカ地区に住んでいる。彼は測量技師で、生活態度も酒癖を除けば良い。ファンはワインを空にして上機嫌になるとその足で背広を買い、ラ・プラタ川に飛び込んだ。川から上がってくる時には、背広は消えている。
ファンは旅行好きで、私の知り合いの中でアメリカ旅行を実行した数少ない一人だ。彼が旅行したのはニューヨーク州のブルックリン地区だった。『殺しの街』はブルックリン
マルティン・ソリアーノ『太陽黒点』
最愛の人を失うことは誰しもが経験する。マルティン・ソリアーノもその一人だった。
〈どのようにして、心の痛みを乗り越えるのか?〉
この問いについては、いささか味気ない回答がある。
〈時が経つのを待て〉
これは薄情者の考えではないが、言葉足らずではある。人は心の痛み、喪失を癒すために夢想にふける。
〈もし、あの時にあのように振舞っておけば、このような結果にはならなかった〉
自らか、他人の選
エトゥアール・チャトウィン『忘却』
ブエノスアイレスに住む者は寂寥という言葉の意味をプエルト・マテロ地区の日没から知る。ラ・プラタ川をゆっくりと行き交うフェリー、萎んで垂れ下がるヒマワリのような街灯、どこからともなく聞こえる話声、投げ捨てられた声は紅く輝くラ・プラタ川の水面を滑りながら溶けて最後には気泡となって消える。
エトゥアールと出会ったのは一九五三年の五月のことだ。当時の彼はラ・プラタ川の港湾労働者で、フランス語訛りのス
バロ・チャベス『蟹の甲羅』
物語はこのようなものだ。主人公であるバルトロはケチで臆病な男で、泥棒であるにもかかわらず、盗む品物はいつも値打ちのないものばかり。この男には泥棒としての才はあるが、金貨や宝石を盗む度胸がない。二束三文のものをポケットにしまうだけで心臓は破裂寸前。読者は自身の胸に手をあてて自身の人生を振り返ってみるといい。おおよその人々はバルトロよりも悪党になるだろう。
一六二六年の春。バルトロはトリニダッド広
ロサスの時代~『エル・ガウチョ』に挟まれた紙片
停泊したイギリス船から伸びる縄の上をサーカス芸人のように器用に走ったネズミは木箱に置かれた残り物に齧りついた。手短に夕餉を済ませたネズミがうなずき、垂れた大きな耳が黒い目を覆う。ネズミは灰褐色の毛並みを撫で、一二の乳頭を愛撫した。イギリス生まれのネズミは紳士然とした態度で木箱の上でくつろいでいる。波止場では男たちがせっせと荷下ろしをしている。仕事を終えるか、仲間の目を盗むことに成功した男たちは隅
もっとみるアルトゥーロ・コジマ『エル・ガウチョ』
アルトゥーロと初めて会ったのは一九八三年の九月、第二週の金曜日だった。場所はオラル・モレルが毎週金曜日に古書店で開催した〈金曜会〉だ。そして、この名前の由来はステファヌ・マラルメによる〈火曜会〉にちなんでいる。
グアテマラからトラックの荷台に揺られてやってきたばかりのアルトゥーロは年若く、髭も伸び放題。浅黒い肌をしており、目つきは鷹のように鋭かった。それまでの彼はグアテマラの農場を渡り歩いて生
誰がハンノ・リーヴァスを殺したのか?
ハンノ・リーヴァスはポール・ゲティ美術館で一一年間、絵画の修復に従事した。彼はチェーザレ・ブランディによる『修復の理論』を体現したような人物であり、芸術作品を未来に伝達することを目的とし、芸術作品の物理的実体と対極をなす美的、および歴史的な二面性において芸術作品を認識する方法論的な瞬間を成り立たせることに使命を感じている。そのようなハンノがポール・ゲティ美術館を辞めた理由は判然としない。ハンノは
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