イシュマエル・ノヴォーク

架空の書物と短編小説

イシュマエル・ノヴォーク

架空の書物と短編小説

最近の記事

カウチ・ソファより永遠に

 元旦、マーティン・ルーサーキング牧師記念日、大統領の日、戦没者祈念日、奴隷解放記念日、独立記念日、勤労感謝の日、コロンブス記念日、退役軍人の日、感謝祭、クリスマス。すべての祝日が顕現してクリフトン・シアーズの前で膝をついたとしても、彼がこれほど浮かれることはない。静謐な図書館で本の管理と貸出業務を行うシアーズの毎日はすべての人々同様、繰り返されているにせよ、今の彼は最愛の存在であるベアトリーチェに導かれるダンテのようである。熱に浮かれたシアーズは部屋を飾りつけることに心血を

    • ジェシカの白

       ジェシカは床と壁をビニールで覆った部屋を歩く。色彩が飛び散った空間には音階が鳴り響いている。赤はAエオリアン、薄緑はGリディアン、白はCアイオニアン、紅藤はFドリアン。しかし、実際に部屋に響いているのは履き潰したブーツが床を踏む音のみ。部屋の真ん中には大きなテーブルがあるので、彼女は隅から隅へと規則正しく歩かなくてはならない。足を止めたジェシカはテーブルに置いた一二〇号サイズの合板に顔を近付ける。多層に接着されたオレゴン生まれの針葉樹からは薄っすらと化学薬品の臭いが漂ってい

      • 黒い羊

         ぼくの職場はデンバーで最も高いビル、リパブリックビルにあった。ビルは五六階建てで、多分、今でもデンバーで一番高い。ステップ気候に区分されるデンバーは一年のほとんどが晴れている。一般には年間三〇〇日晴れるとされるけれど、実際は二四五日ほど。残りは曇りか雨か雪。    うんざりして仕事を辞めたけれど、気候のことを気に病んだというわけじゃない。ただ、なんとなく。億劫になった。辞める時は規則通りデスクを綺麗にした。次に座る誰かが気持ちよく過ごせるぐらいに。書類にサインして、アパート

        • 巨人の足跡

           開いた窓の近くに立つヴァンは壁に掛かった絵画を見る。キャンバスには競泳水着を着た若い女の後ろ姿が描かれている。彼女は飛び込みをしようとしているように見えるが、背景はヴァンが立っている窓と同じものである。ヴァンは未詳の画家が残した、合わせ鏡の世界に魅了されている。ヴァンは爪が綺麗に切られた指で窓枠をなぞり、指先に付着した黒い滓を親指で落とす。それから、部屋に敷かれた絨毯を踏みしめるように歩き、電子ピアノの前にある四本足の椅子に腰を下ろした。ミカエル・グラス製のウッドベースを構

           ミイラのように毛布に包まっていたジャン・ビカードは目覚めるなり薄暗い天井を見つめる。天井に斜めに走った染みは角に交わり、床までのびている。芋虫のように身体を捩ってベッドから抜け出すと、生暖かい毛布の抜け殻が主人の体臭を吐き出す。歪んだ十字架の下で欠伸をしたビカードはゆっくり歩き、黒い滓に覆われた台所で湯を沸かす。ガスコンロに灯る青い炎、五徳の先端が赤く染まっている。缶に入った粉末コーヒーをカップに落としたビカードは湯を注ぎ、コーヒーを啜る。それから、ベッドの近くまで戻る。床

          ファン・マヌエル・スアレス『殺しの街』

           ファン・マヌエル・スアレスは私と同じようにボカ地区に住んでいる。彼は測量技師で、生活態度も酒癖を除けば良い。ファンはワインを空にして上機嫌になるとその足で背広を買い、ラ・プラタ川に飛び込んだ。川から上がってくる時には、背広は消えている。  ファンは旅行好きで、私の知り合いの中でアメリカ旅行を実行した数少ない一人だ。彼が旅行したのはニューヨーク州のブルックリン地区だった。『殺しの街』はブルックリン地区を歩いたファンの記録である。物語には登場人物と呼べるようなものは存在せず、会

          ファン・マヌエル・スアレス『殺しの街』

          モーセの電話

           朝六時に電話が鳴った時、ベッドの中でまどろんでいたモシェは手を伸ばして受話器を手にとった。はじめは無言だったが、一〇秒ほどすると意を決したように 「もしもし……えーっと、モーセ様ですか?」という舌足らずな声が聞こえた。モシェは眉を顰めて 「あぁ」と答えた。 「えっと……その……ぼくは正直になります。ぼくはこれから、あなたが言った通りにします。だから……その……ぼくは天国に行けますか?」  モシェは面食らった。ほとんどの人々同様、彼もそういった質問をされたことがなかったから。

          マルティン・ソリアーノ『太陽黒点』

           最愛の人を失うことは誰しもが経験する。マルティン・ソリアーノもその一人だった。 〈どのようにして、心の痛みを乗り越えるのか?〉  この問いについては、いささか味気ない回答がある。 〈時が経つのを待て〉  これは薄情者の考えではないが、言葉足らずではある。人は心の痛み、喪失を癒すために夢想にふける。 〈もし、あの時にあのように振舞っておけば、このような結果にはならなかった〉  自らか、他人の選択が誤ったことで現実を引き寄せたと考える。本来あるべき、美しい姿の世界に思いを巡

          マルティン・ソリアーノ『太陽黒点』

          査証のない月

           イマネ・テノーはカメルーンに二七〇を超える民族集団の一つであるドゥル族の家に生まれた。乳飲み子である彼を背負った母親が切り開いた草木を、父親をはじめとする男たちが焼き払い、作物を植えた。雑穀類と芋類、豆、ウリが育った地は真っすぐな木が生えることのない乾燥地帯において神の御業のように感じられた。イマネは慣習に従い、一二歳まで〈女の家〉と呼ばれる家で暮らした。この家は地面に円形に水を撒き、土が平らになるようにしてからイネ科の植物を刻んで土に混ぜた壁土を盛ったものだが、母親も、と

          エトゥアール・チャトウィン『忘却』

           ブエノスアイレスに住む者は寂寥という言葉の意味をプエルト・マテロ地区の日没から知る。ラ・プラタ川をゆっくりと行き交うフェリー、萎んで垂れ下がるヒマワリのような街灯、どこからともなく聞こえる話声、投げ捨てられた声は紅く輝くラ・プラタ川の水面を滑りながら溶けて最後には気泡となって消える。  エトゥアールと出会ったのは一九五三年の五月のことだ。当時の彼はラ・プラタ川の港湾労働者で、フランス語訛りのスペイン語で相手を口汚く罵ることでは右に出る者がいなかった。彼は結婚をし、二人の子

          エトゥアール・チャトウィン『忘却』

          バロ・チャベス『蟹の甲羅』

           物語はこのようなものだ。主人公であるバルトロはケチで臆病な男で、泥棒であるにもかかわらず、盗む品物はいつも値打ちのないものばかり。この男には泥棒としての才はあるが、金貨や宝石を盗む度胸がない。二束三文のものをポケットにしまうだけで心臓は破裂寸前。読者は自身の胸に手をあてて自身の人生を振り返ってみるといい。おおよその人々はバルトロよりも悪党になるだろう。  一六二六年の春。バルトロはトリニダッド広場の近くにある家に忍び込む。古ぼけた部屋は粗末な家具しかなく、老人が寝ているだけ

          バロ・チャベス『蟹の甲羅』

          ロサスの時代~『エル・ガウチョ』に挟まれた紙片

           停泊したイギリス船から伸びる縄の上をサーカス芸人のように器用に走ったネズミは木箱に置かれた残り物に齧りついた。手短に夕餉を済ませたネズミがうなずき、垂れた大きな耳が黒い目を覆う。ネズミは灰褐色の毛並みを撫で、一二の乳頭を愛撫した。イギリス生まれのネズミは紳士然とした態度で木箱の上でくつろいでいる。波止場では男たちがせっせと荷下ろしをしている。仕事を終えるか、仲間の目を盗むことに成功した男たちは隅に置かれた樽に瓢箪の茶器を置き、マテ茶をまわし飲んでいる。彼らの口から発せられる

          ロサスの時代~『エル・ガウチョ』に挟まれた紙片

          アルトゥーロ・コジマ『エル・ガウチョ』

           アルトゥーロと初めて会ったのは一九八三年の九月、第二週の金曜日だった。場所はオラル・モレルが毎週金曜日に古書店で開催した〈金曜会〉だ。そして、この名前の由来はステファヌ・マラルメによる〈火曜会〉にちなんでいる。  グアテマラからトラックの荷台に揺られてやってきたばかりのアルトゥーロは年若く、髭も伸び放題。浅黒い肌をしており、目つきは鷹のように鋭かった。それまでの彼はグアテマラの農場を渡り歩いて生活していた。彼は正規の教育と呼べるものはほとんど受けていなかったものの、博識さと

          アルトゥーロ・コジマ『エル・ガウチョ』

          誰がハンノ・リーヴァスを殺したのか?

           ハンノ・リーヴァスはポール・ゲティ美術館で一一年間、絵画の修復に従事した。彼はチェーザレ・ブランディによる『修復の理論』を体現したような人物であり、芸術作品を未来に伝達することを目的とし、芸術作品の物理的実体と対極をなす美的、および歴史的な二面性において芸術作品を認識する方法論的な瞬間を成り立たせることに使命を感じている。そのようなハンノがポール・ゲティ美術館を辞めた理由は判然としない。ハンノは美術館から近くにあるアーモンドの木に囲まれた一軒家を借りて自宅兼工房として暮らし

          誰がハンノ・リーヴァスを殺したのか?

          シウダ・ロドリゴから来た男

          あなたがたに乾杯しよう あなたたちは闘牛士とわかりあえる どちらも望んで戦いに赴くのだから  ファン・ガモーは闘牛士だった。彼は馬に乗って軽業を披露し、おかしな動作で観客の笑いを誘うことをしない、頭頂から爪先まで本物の闘牛士だった。冬の到来を感じたハクサンチドリが小さな硬い殻に姿を変えて土の中で過ごすように、泉からふんだんに湧き出た水が渋るように、すべての人と同じように衰えを感じたファンは引退して生まれ故郷のシウダ・ロドリゴで闘牛牧場をはじめた。彼は興奮剤を使わず、昔のやり

          シウダ・ロドリゴから来た男