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サチュレーション

 私がチャプレンという仕事を選択したのは、ハイスクールを卒業するために必要な社会奉仕活動からでした。私が行ったのは老人ホームでした。老い衰え、昼も夜も区別がつかない、一時間前に食事をしたことも忘れてしまう老人たちを前にした時、私は衝撃を受けました。私は彼らに同情しませんでした。若い頃の彼らが不品行なことをしたためにこうなったわけではないのですから。誰しも、私もあなたも同じようになる。不思議なことは何もない。

 彼らは私を昔ながらの友人のように扱ってくれました。それはまるで、何十年もの間、毎週同じバーでビール片手にお喋りした友人のようだった。私は十代でしたが、彼らはお構いなしでした。彼らは少々、短気で頑固ではありましたが、それは私も同じでしょう。
 二週間の社会奉仕活動を終えた時、進むべき道は決まったように感じていました。父も母も反対せず、応援し、私を誇りだと言ってくれました。

 プログラムを受けてチャプレンとして登録したのは二〇〇七年のことです。チャプレンは警察や軍隊、消防、学校、医療機関などで働きますが、私が選択したのは刑務所でした。私は真面目に仕事をしたと思います。しかし、できることは限られていた。知っていますか? 刑務所にいる囚人たちにはまったくの無実の者や、罪に対して課される刑が重すぎる者がいることを。彼らの多くは貧困家庭の出身であり、コミュニティも劣悪です。幼い頃の彼に、誰か……誰でもいい。たった一言、心から『愛している』と言うだけで彼らは違った人生を歩むことができたでしょう。ですが、そんな人は一人も現れなかった。わざわざ神が顕現する必要もないのに。たった一言、思いやる気持ちを口に出すだけなのに。

 ジョージ・マクネアとは二〇一三年に知り合いました。マクネアと親しくなった理由は、彼が私と年齢が同じ上に、同じペンシルベニア州ピッツバーグ出身で、同じようにNFLのスティーラーズのファンでした。私と彼の違いは通った学校と両親の有無ぐらいでしょう。マクネアは一九九八年に殺人事件を起こしました。彼から聞いた話だけを信用することはいささか不公平なことかも知れませんが、憤りを覚えました。彼は満足な教育を受けていないばかりか、財産もありません。弁護士は公選です。たとえば、未成年者をレイプした富裕な著名人は有能な弁護士を雇って無罪を勝ち取ることができるかも知れない。ですが、マクネアやマクネアに似た境遇の者は同じことができない。公選弁護士のすべてが悪いとは言いません。情熱があり、真実のために心血を注いでいる人がいることも確かです。ですが、残念ながら一握りです。考えてみてください。あなたが罪を犯し、法廷に立たされた時のことを。あなたの命運を握るのは一握りの熱心な弁護士でしょうか? それとも、怠惰で仕事以上のことは決してしない、しようと試みたこともない弁護士かも知れない。あなたの命運は運次第ということになる。確かに、私たちの人生は運次第かも知れません。ですが、そんなもののためにあなたはあなたの人生を賭けなくてはならない。

 マクネアとは沢山の時間を過ごしました。少年時代から付き合っていた友人のように感じました。それはまるで、ハイスクール時代に社会奉仕活動で出会った老人たちと時間を共有していたように感じたように。もっとも、マクネアとの時間は二週間ではありませんが。

 マクネアは死刑囚でした。いつ執行されるかわからない彼はいつも怯えていました。それゆえに、私と会うことは自らの生を実感する瞬間だったのかも知れません。私は裁判所にマクネアの減刑を求めました。彼の証言を整理し、調書の矛盾点を指摘しました。証言者にも会いました。ですが、何も変わりませんでした。それまで、私は何人もの死刑囚と面会をしましたが、死刑執行に立ち会うことはしませんでした。彼らの最期をどのような態度で見ればいいのかわからなかった。ですが、マクネアは最期の瞬間を見てほしいと言いました。私は迷いましたが、最後にはうなずきました。

 私はガラス張りの部屋の真ん中に座りました。最前列だと彼から見えにくいかも知れないと考えたからです。憔悴した面持ちのマクネアがベッドに縛り付けられ、腕にベルトを巻かれていく様に厳かさなどありませんでした。神の言葉が事務的に読み上げられました。彼は泣いていませんでしたが、私の視界は霞んでいました。彼は片腕を動かしました。唇も動いていました。それが彼の最期の言葉でした。私には聞き取ることができませんでしたが、おそらくは『それじゃあ』とか、それぐらいのものでしょう。まるで、通りで会った友人の去り際にかける別れの言葉のように。薬が注射されると、彼は二度痙攣して息を引き取りました。

 家に帰った私は火傷するほど熱いシャワーを浴びながら涙を流しました。それから、妻が眠っているベッドの隣に入り、夜の間、ずっと彼のことを考えました。ですが、答えはありませんでした。仮に答えがあるとすれば、彼が死んだ。刑が執行されたという事実だけです。

 次の朝はひどい気分でした。私の身体に水が染み込み、体重が何倍にもなったような感じです。ひどく憂鬱でした。妻は死人を見たような顔で私を見ていました。それから、妻が私の肩に手を置きました。声を掛けてくれたと思います。少し気分が軽くなった私はこの仕事を続けることができないことを打ち明けましたが、妻は私を意気地なしと罵ったりすることはせず、静かにうなずきました。

 それまでの私はマクネアを理解していると思っていました。彼を友人だと思っていましたし、それは今でも変わりません。しかし、私は彼のことをまったく理解していなかった。同じ地域に育ち、同じチームのファンであったというだけで彼を理解した気になっていた。彼は傲慢な私を許していたのに。

 チャプレンをやめたことに後悔はありません。私にはこれ以上、多くのことを受け入れることができそうにないのですから。私は水を含んで膨らんだスポンジと同じです。

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