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ロサスの時代~『エル・ガウチョ』に挟まれた紙片

 停泊したイギリス船から伸びる縄の上をサーカス芸人のように器用に走ったネズミは木箱に置かれた残り物に齧りついた。手短に夕餉を済ませたネズミがうなずき、垂れた大きな耳が黒い目を覆う。ネズミは灰褐色の毛並みを撫で、一二の乳頭を愛撫した。イギリス生まれのネズミは紳士然とした態度で木箱の上でくつろいでいる。波止場では男たちがせっせと荷下ろしをしている。仕事を終えるか、仲間の目を盗むことに成功した男たちは隅に置かれた樽に瓢箪の茶器を置き、マテ茶をまわし飲んでいる。彼らの口から発せられる言葉は愚痴ばかりだが、時折、真理めいたものが見え隠れもしている。少しすると、腰に大きなナイフをさしたガウチョがやってきた。ポンチョをまとい、銀細工が施されたベルトは年季が入っているものの、その輝きは勇敢さと愚かな行いを重ねるにつれて増している。光現象の一切を否定する単純な輝きを目にした労働者は顎を振った。ガウチョの黒い瞳、黒い口髭、頬の片側はナイフの柄か蹄鉄で打たれたらしく陥没している。ガウチョは流浪の民や孤児がするような挨拶をすると働き手の一人が彼のために場所を譲った。ガウチョは深々と頭を下げてマテ茶を一口飲んだ。口をすぼめた働き手がお喋りをはじめたが、ガウチョは声を出すことをしない。彼はすべての言葉を創世の時から知っているといわんばかりの顔でうなずき、喉を鳴らしたが、それは闇や地獄の縁にお似合いの音だった。しばらくすると、帽子をかぶった男がやってきてギターを掻き鳴らしはじめた。耳障りな音を聞いた男たちは目を細めて鼻をピクつかせる。首を振ったガウチョはギターを借りてアンダルシア風のギターを爪弾いた。平原から平原へ続く道なき道を馬で疾駆する牧童の尖り潰れた指が奏でる音を聞いたネズミはまばたきし、木箱の隅で前歯を研いだ。
 その後、波止場に到着した馬車から軍服姿の老人と老人に似た女がおりた。ガウチョは老人の青い眼を見る。老人は彼に向かって何かを示すことはなかったが、ガウチョはうなずき、ギターを返してポケットに入ったすべての金を樽に置いた。老人と女は隠れるようにしながら停泊しているイギリス船に消えた。間もなく、馬に乗った男たちがやってきた。男たちが騎乗する馬は布を敷いただけの粗末な鞍を装着しており、蹄鉄も打たれていない。裸馬同然の馬に乗った男たちが探している相手は明白だった。ガウチョは腰から下げた大きなナイフを抜いた。銀細工が施されたベルトは恒星のようにそれ自体から光を放っているように見える。ナイフは男たちの横腹を、喉を、脇の下を突くだろう。滴り落ちた血は港の周辺、誰も把握することのできない海という怪物の頬を半刻、紅潮させるだろう。そして、ガウチョは自身が築いた骸の頂上に横たわるのだ。これは決定している。証言台にネズミが立つことさえも。

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