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町工場と事業承継。-から+へ

自己紹介


初めまして。
石塚工業株式会社の小柳郁弥です。

現在、栃木県足利市にあるプラスチック射出成型工場を経営しています。
父が4代目の社長になり、順当にいけば私が5代目社長になる予定です。

栃木県足利市出身の1992年生まれ31歳。
奥さん、愛犬1匹(ポメラニアン)で生活をしております。

石塚工業の仕事は
メイン:「メーカーからの下請け業」
サブ:「再生素材を使用した製品開発」の
2軸で経営をしております。



・石塚工業株式会社  : 70期 年商2.6億円(現在71期)
・保有機械台数     : 15台(30トン~220トン)
・作っている製品  :家庭用品・自動車部品・産業用ロボット部品・
                                        空調部品・医療用品・給湯機器部品・・・etc



私について


私は、18歳で都内の大学に進学させてもらい、22歳で新卒として
都内のスクール運営会社の人事部へ入社しました。

その後、2度転職をきっかけに、25歳の時に地元に戻り、
石塚工業に勤めることになりました。(2017年11月)

そこからは、今まで勤めてきた企業よりも激務で
体調、精神的にもしんどい日々が毎日続いていました。
(石塚工業に入社するまでに、体と精神的な不調理由に転職しました)

分かりやすい理由でいうと、
「65期 当期純損失金額 △18,639,158 」が数年続いている状態でした。

当初は、決算書の見方も分からず、どこを読んでいいか分からない
自分ですら、この数字の危なさを理解することができました(笑)

何より、一番危ないと感じたのは、
「この数字に危機感を持っていないこと」でした

税理士の方は何も言わない、社長も現場で数字が見れていない

おそらく地方の中小企業はこの状況↑は珍しくないことだと思っています

先に結論から記載します
注:マウントとるつもりはございません

「70期 当期純利益 7,654,322 」

68期くらいから黒転にする道筋は見えてきましたが、ようやくスタート?に立てた気がしました

NOTE 及び SNS を始めた理由


せっかくなら100周年を目指そう

ふと、このような感情が芽生えてきました



企業経営の出口は、経営者によってさまざまだと思います

売却、事業承継、オーナー社長、死ぬまで社長・・・・etc

私の考えは、正直まだわかっていません

ただ、思うことは

色々な工場を見学させていただき、
日本の工場にはものづくりが出来る技術があり、

この技術をどのような形になってでも、承継していくべきであり、
その役割は自分たち世代にあると思っています

「物」ではなく、「物語」を作る経営を


今期より上記の経営理念を掲げ、経営をしていきます
※まだまだ未熟な経営状態ですが、、、

少しでも自分の知識、経験が役に立てればと思い、SNS活動を始めました

次回からは、
地獄の65期から66期にかけて何をしたのかを記載したいと思います
※しばらく地獄のままでした

自分の苦手なことは発信すること、飽きっぽいことなので
頑張っていきます

よろしくお願いいたします!



SNS

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https://twitter.com/home?lang=ja



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