石田月美

『ウツ婚‼︎〜死にたい私が生き延びるための婚活〜』(晶文社)が書籍化されております。 h…

石田月美

『ウツ婚‼︎〜死にたい私が生き延びるための婚活〜』(晶文社)が書籍化されております。 https://www.amazon.co.jp/dp/4794972008/ 生き延びるだけで精一杯な女性たちへ。 noteの最初の方の記事で試し読みが出来ますので、ぜひ。

最近の記事

非哲学者による非哲学者のための読書会・受講生感想

【非哲学者による非哲学者のための読書会】はこちら ☟  「言葉を大切にしなさい。言葉を侮辱してはならない」。そう私に教えたのは小澤俊夫先生で、私はいつも優しい語り口の小澤先生がそれを言うときだけは強く緊張感を持って伝えるのを聞き、そうあろうと誓い続けてきた。筑波大教授・昔ばなし研究所所長の小澤先生の講義や講演、著作を見聞きし続けてきた私はその時々で色んなことを小澤先生から教えていただいたけれど、その言葉は何年間も同じように繰り返されていた。 だから、リチャード・ローティ

    • 語り

      【自助グループ・語り】  「語りが上手い」なんて言われることがある。それは私にとって、「よく生きてきましたね」みたいな定型句よりずっと嬉しい。けど、「月美さんは喋りが立つから」「人前で話すのがお上手ですから」なんて煽られると、ちょっと腹が立つこともある。我ながら、自分の器の狭さに引く。私のキャパはおちょこの裏だ。  それでもやっぱり褒められるのは嬉しい。私にはAPDという聴覚情報処理障害もあるし更に言語障害もあるので、実は日常会話が苦手だ。今でもST(言語聴覚士)のリハビ

      • 暴力と地震とピンク色のうんこ

        急に思い出したので書き留めておきたいと思う。 先日、鈴木大介さんや木下大生さん達と飲んでいて「暴力」の話になった。お二人は「暴力が嫌いだ」と言う。でも私は、暴力に対して馴染み深いというか愛着というかノスタルジーというかがあって“本当に”は嫌いになれないという話をした。まぁ、アレです。父親が殴る系の人だったとかそういうありふれたアレです。 それで一晩経って思い出したのが3.11の時のことだ。3.11、初めて揺れたあの瞬間、私はダルクの上岡ハルエさんと居た。カーペットの部屋に

        • 不要不急の奇妙な冒険・忘備録D

          不要不急の奇妙な冒険・忘備録D あ、ありのまま、今起こっていることを話そうと思う。  アパホテルの一室に子どもと三人で閉じ込められている。  窓はあるが開かない。部屋のドアは1日に三回、一回につき数秒、わずかに開けて手だけ伸ばすことが認められている。三回のタイミングは朝昼晩、「弁当の時間です」と館内放送が流れた時、廊下側のドアノブに掛けられた袋に入れられた弁当と水を取り、前回の弁当のゴミを出すためだけだ。一歩も部屋から出ることは許されていない。  そう、海外からの帰国者強

        非哲学者による非哲学者のための読書会・受講生感想

          その後 『夫の良いところ』

           うちの夫の良いところを書きたい。  そんな日が来るとは思わなかったので、もうこれだけでもハンガリーに来た甲斐があるというものだ。  夫と結婚した経緯は、拙著『ウツ婚!!』(晶文社)に書いてあるので、興味があったら読んで欲しいし、興味がなくても読んで欲しい。なんだったら、読まなくて良いから買って欲しい。  ということで、結婚してから早10年。可もなく不可もない生活を、つつがない生活を、と言いたいところだが、実際は不可ばかりであり、つつがあり過ぎて掻きむしりながら日々を綱渡

          その後 『夫の良いところ』

          子どもと問う#17〜戦場のガールズライフふたたび〜

          子どもと問う#17 〜戦場のガールズライフふたたび〜 子どもを産み育てると、今まであまり使ったことのない言い回しを頻繁に口にするようになる。 「やっつける」というのがそれで、今まで怪獣に挑まれたことも、やっつけるほど仕事が来たこともない私は、子どもの世界にはこれほど戦いが満ちているのかと驚く。 因みに、育児をするようになって使うようになった言い回し第1位は「鬼が来るよ」であり、第2位は「ハーゲンダッツはアイスの見本だから買えないし食べられない」である。 寺院だらけの街に住

          子どもと問う#17〜戦場のガールズライフふたたび〜

          子どもと問う#16 人間の条件―愛と幻想とオシッコのファシズム

          子どもと問う#16 人間の条件―愛と幻想とオシッコのファシズム 子育てとはファシズムである。 煽情的な一文から始まったこのエッセイだが、この後は“オシッコ”と“トイレ”の話しか続かないので、苦手な方はどうぞまたの機会にお尋ねください。 ということで、ここには“オシッコ”と“トイレ”とたまに“オチンチン”なんて単語が出てきてもどんと来い! むしろ大好物!な方々しかいないと、読者に偏見を持ちながら書いていきたいと思う。 息子3歳がトイレトレーニング中である。そろそろオムツ

          子どもと問う#16 人間の条件―愛と幻想とオシッコのファシズム

          子どもと問う#15 〜塔の上のメンヘラーゼ〜

          子どもと問う#15 〜塔の上のメンヘラーゼ〜 娘の髪が肩まで伸びた。別に、町の教会で結婚はしていない。 もうすぐ6歳になる娘は今まで一度も髪を切ったことがないのだが、まだそれぐらいである。どうやら頭髪が伸びるのが遅い体質らしい。 だから私はうっかりしてしまうのだ。彼女の頭の中はどんどん成長しているのに。 以前、『甘えるとは?』というテーマの哲学対話に出た。 その時、ある哲学対話仲間が「娘さんは甘えるのが上手ですか? 下手ですか?」と質問してくださった。娘自身は「わからな

          子どもと問う#15 〜塔の上のメンヘラーゼ〜

          子どもと問う#14 〜機能と今日がくっついていく世界で〜

          子どもと問う#14 〜機能と今日がくっついていく世界で〜 最近では「○○ちゃんママ」という呼び名は、ママ個々人のパーソナリティを剥奪しているようでヨクナイ!ということらしく、園のママ達はお互いを下の名前で呼び合っている。 多分、週末とかに一緒に遊んだりすることで仲も深まり、下の名前で呼び合うような関係性も築けているのだと思う。 翻って私はというと、もちろん今だにママ友はゼロで、そんな関係性も築けていないのだが、優しいママさん達は名簿か何かでわざわざ調べてくれて、私のことを

          子どもと問う#14 〜機能と今日がくっついていく世界で〜

          子どもと問う#13 〜然るべき叱り方〜

          子どもと問う#13 〜然るべき叱り方〜 最近、我が家のルンバの調子が悪い。 初っ端から生活感溢れる話で、アーバンでラグジュアリーなエッセイを期待していた読者には申し訳ないが、私にとっては大問題なのだ。 結婚して10年、雨の日も風の日もルンバには(関係ないし)助けてもらった。 ルンバ無くして、我が家に足の踏み場はない。それが調子悪くなっている。一大事だ。 しかし娘5歳はそんな悲嘆にくれるママを意に介さず、時々止まるようになってしまったルンバに「シンデレラ」と名前を付けやが

          子どもと問う#13 〜然るべき叱り方〜

          子どもと問う#12 〜わかり合えないってことをわかり合うのさ?〜

          子どもと問う#12 〜わかり合えないってことをわかり合うのさ?〜 生きているとわからないことが増えていく、と感じる。 それなのに、「大人だからわかってる」と子ども達に思われるのは理不尽だ。 なんて、理不尽な進化に嘆いていても毎日は進む。 私たち大人は子どもに何を教えられるのだろうか。 我が家の子ども達が通う園で“新型コロナウイルスについて”という学びの時間が設けられた。 ウイルスは飛沫感染すること、手洗いうがいが大事なこと、密にならないようにすること、様々なことを先生達

          子どもと問う#12 〜わかり合えないってことをわかり合うのさ?〜

          子どもと問う#番外編 〜おかんと子どもと、単身おとん〜

          子どもと問う#番外編 〜おかんと子どもと、単身おとん〜 夫が単身赴任になり、私は今、5歳の娘と3歳の息子を抱えてワンオペ育児をしている。 てんやわんやの毎日で、ぶっちゃけ夫のことを恋しく思う暇も無い。 子ども達も、怒れるパパの不在と甘やかしのママにつけ込んで、広くなった部屋でかくれんぼをしたりしながら、日に2回かかってくるパパからのビデオ通話に「はいはい。じゃーまたね!バイバーイ!」と夫が不憫になるような早急な切り方をして、また遊びに興じている。 だから、娘の発言はちょ

          子どもと問う#番外編 〜おかんと子どもと、単身おとん〜

          子どもと問う#10 〜野暮でいなたいママだけど〜

          子どもと問う#10 〜野暮でいなたいママだけど〜 「哲学対話を応用して、何かに使えるかもしれない」という話を聞く。 まぁ多分そうなんだろうな。と、思う。 教育やビジネスやその他諸々、きっと役に立つんだろう。そういうことが出来る人もいるんだろうなと、本当にそう思ってる。私が出来ないだけで。 そんな風に哲学対話の全体像を把握して何かのツールにすることが可能な賢い人たちを尻目に、哲学対話自体の中に浸って未だに「どこだ?ここは!」とか言っている私は、賢者たちへの僻み節として「野

          子どもと問う#10 〜野暮でいなたいママだけど〜

          子どもと問う#9 〜語りえないものについては沈黙すべし?〜

          子どもと問う#9 〜語りえないものについては沈黙すべし?〜 私は権威に弱い。 「ニーチェが言った」「ハイデガーが言った」なんて聞くと、すっげー!ぜったい真理じゃん!くらいアホ丸出しの感想を持ってしまう。 しかもアホなので、意識高く『論理哲学論考』(byウィトゲンシュタイン)なんて買ってしまうのだが、2ページで挫折する。私はよく本を買うが、多分買っている時が意識の高さのピークなのだと思う。もしかしたら、本を読むのが好きなのではなくて本を買うのが好きなのでは、と自宅の積読を眺め

          子どもと問う#9 〜語りえないものについては沈黙すべし?〜

          子どもと問う#8 〜ママがママであるために〜

          子どもと問う#8 〜ママがママであるために〜 #7で「実はそんなに哲学対話に出ていない」ことを白状した私だが、この前久しぶりに娘と哲学対話に参加した。 週末の昼下がり、残酷な発令でどこもかしこも閉まっていても哲学対話は開いている。オンラインzoomだから。ありがたや。 (今回の対話は、参加者の皆さんの発言が本当に素晴らしかったのだが、アウティングになるのでここにはあまり書けない。なので主に娘の発言を中心に書くが、それは参加者の方々またファシリの方の問いに触発され、そのおか

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          子どもと問う#7 〜自問と偏見、問題がモンダイなのだ〜

          子どもと問う#7 〜自問と偏見、問題がモンダイなのだ〜 さて、この『子どもと問う』も7回目である。 TVドラマで言えばそろそろseason2に入る頃だし、少年漫画なら「俺TUEEEE」になっている頃である。 しかし私の哲学対話経験値が「TUEEEE」になっているかと言えば、全くなっていない。 それは「哲学対話というものは、やればやるほどわからなくなっていくものなのです」みたいな謙虚で殊勝なことでは無くて、単に元々そんなに哲学対話に出ていないのである。 ここまで読んでくださ

          子どもと問う#7 〜自問と偏見、問題がモンダイなのだ〜