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子どもと問う#15 〜塔の上のメンヘラーゼ〜

子どもと問う#15
〜塔の上のメンヘラーゼ〜


娘の髪が肩まで伸びた。別に、町の教会で結婚はしていない。

もうすぐ6歳になる娘は今まで一度も髪を切ったことがないのだが、まだそれぐらいである。どうやら頭髪が伸びるのが遅い体質らしい。
だから私はうっかりしてしまうのだ。彼女の頭の中はどんどん成長しているのに。


以前、『甘えるとは?』というテーマの哲学対話に出た。
その時、ある哲学対話仲間が「娘さんは甘えるのが上手ですか? 下手ですか?」と質問してくださった。娘自身は「わからない」というので、私が「ママから見るとあんまり上手ではないように思います」と答えたことがある。

今になって考えてみると、娘が甘えるのが上手か下手かというよりも、ママである私が下手に甘やかしているのだと思う。


ハッキリ言って、私は子どもに甘い。あんまり怒らないし、好きなようにさせてしまう。
なぜって、そっちの方がカンタンだからだ。


下手に甘やかされてしまった娘は、私に注意されるとすぐに泣いたりいじけたりする。
数日前、弟に意地悪をした娘を叱ったら「ママが味方してくれない」と泣かれた。
それで私と娘は、弟くんを寝かしつけてから、夜遅くまで沢山の話をしたのだ。


「ねぇ娘ちゃん、ママがあなたのこと大好きなのは知ってるよね。あなたがどんなことをしても、ママはあなたが大好き。多分、世界中の人があなたの敵になってもママはあなたの味方をすると思う。でもさ、それと、ダメなことはダメって言ってるのが違うのはわかるよね」
「うん。知ってるし、わかってる」

「ママね、最近とっても反省しているの。ママはあなたのことをすごく甘やかして育てている。でもね、それってママが楽ちんでカンタンだからだよ。ママが何でもしてあげることや、叱らないことは、あなたがこれから大きくなっていく上で全然楽ちんでカンタンじゃない
「なんで? 今度の誕生日もお姉さん用の自転車買ってくれるって言ったじゃない」

「あのね、ママは自転車の補助輪なの。娘ちゃんは補助輪が無いお姉さん用の自転車が欲しいんだよね」
「うん。もう補助輪、邪魔。補助輪が取れるやつが欲しい」

「娘ちゃんはこれから大きくなって、補助輪を取って色んなところに行く。色んな人と出会う。ママが追いつかないようなところにグングン走って行くんだよ。
最初は補助輪がないと自転車が漕げないけど、いずれ要らなくなる。補助輪がなくても自転車に乗れるように練習するじゃん。その練習をね、今ずっとやっているの。
ママがあなたを甘やかすっていうのは、ママがなんでもしてあげるっていうのは、ずっと補助輪付きじゃないと自転車に乗れなくさせるようなものなの。ママが支えてないとどこにもいけないように、あなたの力を奪っているのと一緒なんだよ。
それはね、ママがあなたをいじめているようなものだとママは思っていて、最近反省してるんだ」

いじめるママって、ラプンツェルのママじゃん!魔女じゃん!

娘はこの前金曜ロードショーで観た『塔の上のラプンツェル』を思い出したらしい。
普段ジブリ映画ばかり観て全面受容的母に慣れていた娘は、ラプンツェルを観てショックを受けたばかりだった。


「そうだよ。本当にそう。ママは、ラプンツェルの魔女って真のママだと思ってる。ラプンツェルってさ、塔の上のお部屋の中になんでもあるじゃん。ラプンツェルは何でも与えられて、「あなたのことを愛してるのよ、お外は怖いのよ」なんて言われて、ずっと塔の上に閉じ込められてるでしょ?
ママはね、そうやって娘に呪いをかけちゃう魔女になりたくない。でも気を付けないと、すぐそうやってあなたの力を奪っちゃうの。呪いをかけちゃうの

「やだ! フライパンで殴る!」
「うん。ぶん殴って欲しい。でもね、魔女であるママはとても巧妙なの。巧妙って、上手過ぎて周りの人達は悪いことしているのに気付かない。それどころか良いことしているようにすら見えるのね。
魔女はラプンツェルのことを気持ち良くさせて、知らないうちに髪の毛の力を奪ってたでしょ。だから、あなたも気付かないと思う。魔女であるママが自分で気を付けなきゃいけないんだよ。
どうか髪の毛の力を娘ちゃんの力を、ママに吸い取られないように、塔の上からお外に出るために使ってね

「わかった。ママが言ってること全部じゃないけど、わかる。
でもさ、頭の中でわかっても、それでも泣きたいお気持ちなんだよね
「うん。そうだよね。いっぱい泣きな。叱られたら悲しいお気持ちになるもんね。ママがなんで叱ったのかわかっても納得しても、泣きたいお気持ちが消える訳じゃないもんね。泣きたいだけ泣きな」

そして娘はひんひん泣いた。
私は娘の背中をさすりながら「娘ちゃん、大好きだよ。本当に大好き。こんなに大好きでごめんね」と言い、自分まで泣きそうだった。こんなに大好きで、ごめんね。


翌日、すっかり夕べのことなど忘れたらしく元気に登園した娘を見送った後、私は知人達に「娘の誕生日プレゼントに日本ぽいものをあげたいのだが何が良いか」を相談した。
すると「お菊さん人形は?」という人が現れ、流石にそれは・・・と尻込んでいたら、なんと「髪が伸びるリカちゃん」というのが発売されているようで、娘は誕生日プレゼントにそのリカちゃん人形を貰った。自転車は後日ということになった。


リカちゃん人形の長い髪を梳かす娘を眺めながら、私はまたラプンツェルのことを思い出していた。
ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』は原題が『Tangled』。結び目などが、“もつれた”、“絡んだ”という意味である。
母親からのもつれた呪いを、娘は解きほぐすことが出来るのだろうか。絡み合った母と娘の関係性から、無事に脱出してくれるのだろうか。
私は、甘やかしながら手足をもぐようなスポイルを、自覚的にやめられるのだろうか。「良かれと思って」なんて善意に満ちた暴力を、振りかざさずにいられるのだろうか。

いつかは娘も、町の教会で結婚する日が来るのかもしれない。
別に結婚しなくても良いが、塔の上からは脱出して欲しい。
いや、嘘だ。本当は閉じ込めておきたい。
娘への複雑にもつれ絡み合う気持ちを私は自分で抱えながら、娘にはプレゼントだけを渡して誕生日会は終わった。

そういえば『甘えるとは?』の哲学対話の時に娘は言ったのだった。
甘えるのはキモチイイ。でも甘えるとダメになる
その言葉を聞いて、私はフライパンで殴られたような気持ちになったことも思い出した。私が言い聞かせる前から、娘の方がずっとずっとわかっていたのだ。


娘ちゃん、お誕生日おめでとう。
こんなに大好きで、本当にごめんね。


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