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不要不急の奇妙な冒険・忘備録D

不要不急の奇妙な冒険・忘備録D


あ、ありのまま、今起こっていることを話そうと思う。

 アパホテルの一室に子どもと三人で閉じ込められている。
 窓はあるが開かない。部屋のドアは1日に三回、一回につき数秒、わずかに開けて手だけ伸ばすことが認められている。三回のタイミングは朝昼晩、「弁当の時間です」と館内放送が流れた時、廊下側のドアノブに掛けられた袋に入れられた弁当と水を取り、前回の弁当のゴミを出すためだけだ。一歩も部屋から出ることは許されていない。
 そう、海外からの帰国者強制隔離中である。

 ありのまま、少し前から起こっていることを話すと、去年の11月から私と子ども達は夫が単身赴任をしているハンガリーに行っていた。クリスマスシーズンの東欧はそりゃもう豪華絢爛で、街中に装飾が施され、城や王宮や議会、ドナウ川さえも美しく煌めいていた。


 夫も久しぶりに会う子ども達に喜び、どこにでも連れて行き、何でも買い、そこまで甘やかすともう子ども自身が甘いものになるのではと思うほど毎日ケーキやチョコレートを与えていた。妻である私のことも労おうと、何度も外食に連れて行き、ハンガリー名物であるフォアグラを食べさせ「ガチョウじゃなくて月美が肥えるな〜」なんて動物愛護団体からクレームが来そうな冗談を言っていた。
 そんな夫と久々の家族時間を楽しみ、私と子ども達は大晦日にハンガリーを発った。長時間フライトもなんのその、会社の経費でビジネスクラス様に初めて乗った私と子ども達は、おもてなCAさん達に世話を焼かれまくり、それぞれ下の名前で呼ばれちゃったりなんかして、浮かれ浮かれてる間に日本に着いた。ビジネスクラスの機内食はコース料理であるため、私は「ナイフやフォークは外側にあるものから使うのよ」と『美味しんぼ』で得た知識を子ども達に教え、子ども達もまた、食べ放題であるハーゲンダッツのアイスを気分で頼み、映画を観ている間に全部溶けちゃったりして、一口も食べていないのに新しいものに変えてもらったり、何なら飛行機が墜落しても誰も同情しないであろうお大尽っぷりを満喫していた。


 そんな高慢ちきを絵に描いたような月美家の様子が変わって来たのは、元旦に日本に到着してからである。
 噂には聞いていたが、水際作戦による帰国者の検査はすごかった。到着した羽田空港では、10カ所以上を回って書類審査を受け、その後に待っているPCR検査のために飲食禁止で水も飲めず、濃厚接触が特定出来ないという理由でトイレもいけなかった。元旦で空いてはいたが、それでも約4時間はかかった検査を全て終え、私たちは全員陰性であることが確認された。
 すると、何も書いていない札を体に付けろと言われ、私は子ども達の分もまとめて三枚の札を輪ゴムで腕につけた。老婆にでも追われるのだろうかと三枚のお札を握りしめ、そのまま椅子で待つこと30分。同じ札を付けた帰国者達が一列に並ばされる。「それでは行きます」とだけ係の人が言って皆は無言で付いて行く。私も、疲労困憊でグズる気力さえ失った子ども達を抱きかかえながら付いて行く。荷物を受け取り、税関審査をする。通常なら、これで到着ロビーから晴れて帰国。我が家に帰るところなのだが、到着ロビーには同じ札を付けた者達が待っている。係の人がまた「それでは行きます」と言って、また皆で付いていく。空港の外に出ると目の前にバスがあり、順に乗る。全員が乗り終わるとまた「それでは行きます」と言われ、バスが出発する。


 バスに乗りながら娘6歳が「ねぇ、本当に日本に着いてるよね?」と怯え出すほど何も説明されず、どこに行くのかもわからない。私も自分が懐かしの『電波少年』に出てくる芸人になった気分で、これから世界一周ヒッチハイクさせられやしないかと怯えながら、娘に「大丈夫だよ」と口先だけ虚勢を張った。
 一時間ほどバスに揺られ、降り、また検査を受け、ルームキーを受け取る。そこで私はようやくここがアパホテルであること、部屋に入った窓からの景色でここが横浜のみなとみらいだということがわかった。
 そして現在までの四日間、このアパホテルの部屋から一歩も出ずに過ごしているのだ。


 隔離されて過ごしていると現実感を失う。

 私はちょっと前まで、ハンガリー名物グヤーシュというパプリカ入りのスープを熱い熱いと飲んでいた。店員さんに飲み物は? と聞かれたら、巻き舌で「スパァークリングウォーラー、プリーズ」なんて言っていた。
 今、目の前には冷えた弁当とアパ社長の顔写真付きの水がおいてある。 

 ちょっと前まで、シシィの愛称で知られるエリザベートも足を運んだと言われるケーキ屋に行き、娘が「ピスタチオよりアプリコットクリームが良い」と言うので「はいはい。好きなだけ食べて、後は残しなさい」なんて言っていた。
 今、娘と息子は「どっちがアパ備え付けのコーヒーシュガーを舐めるか」で掴み合いの喧嘩になっている。

 ちょっと前まで、ヨーロッパでは大人と子どものいく場所はマナーとして分けられているため、大人が行くような高めのレストランに子ども達を連れて行く際、私は大人同様のマナーを子ども達に課していた。
 今、アパホテルの机が狭過ぎて、ベッドの上に足用マットを引き、そこに弁当を並べて食べている。しかも箸しか支給されないため、まだ箸が使えない息子は箸一本を料理にぶっ刺してがっついている。



 もはや、夢のようなハンガリー旅行は夢だったとしか思えない。
 今私の目の前に広がるゲンジツは、空腹とストレスで泣き疲れた子ども達の寝顔と、ペットボトルに印刷してあるアパ社長の顔である。
 盛者必衰が過ぎて、横浜のはずなのに祇園精舎の鐘の音が聞こえてくるのは本当に幻聴だろうか。



 強制隔離序盤は、旅疲れや隔離の新鮮さもあり、「早く出たいね〜」なんて子ども達と話す余裕があった。窓から見えるみなとみらいの観覧車を眺めながら、「自由になったら遊園地に行こう!」なんて話していた。私自身もclubhouseという音声通話SNSで知人達に、今の不自由さをネタにして笑いながら話したりしていた。
 しかし中盤になってくると、もはや外に出た後のことは考えられず、今この場をどうやり過ごすかしか考えられなくなっていく。子ども達は遊具もなく、TVも見飽きて、泣いたり甘えたりキレたりと、どんどん退行していった。SNSを持たぬ子ども達にとっては、このアパホテルの一室が全世界であり、自分以外の2人の家族が全ての他者である。特に息子3歳はわがままが酷くなり、ほとんど「他者=敵」くらいの勢いで自身の不満を相手にぶつけた。それを受けて娘6歳も、ぶつけられた不満と自身の不満を増幅させてぶつけ返す。この世の不幸は全て他者のせい。まさに『出口なし』である。

 姉弟喧嘩はママまで飛び火して、普段はすることのない殴る蹴るまで始まった。もう、こうなったら私は避難するのみである。狭い机に、弁当の残りで作ったおにぎりと相変わらずアパ社長が微笑む水のペットボトルを並べてから、私は子ども達に宣言した。
 「ママはあなた達にぶたれたりするのが、すごく嫌です。とても恐いです。だからママはお風呂場に逃げます。誰かを傷つける人とは一緒にいられません。恐くて痛くて嫌だからです。あなた達が傷つけるのを止めたら出てきます」
 私は携帯を持って風呂場に籠城した。そんなことをしても子ども達がすぐに静かになるわけはない。泣き叫びながら風呂場のドアを叩く子ども達に「私はあなたじゃないから、泣いたり喚いたりしても思い通りにはなりません。それよりも、なおさら恐く感じています」と伝え続けた。最初におとなしくなったのは娘6歳である。「弟君、静かにしたらママ出てくるよ」と説得をしている。しかし、そのうち飽きてベッドでゴロゴロし始めた。息子3歳はまだ風呂場のドアを叩き続ける。「ママのばかものー」とか言っている。
 私は風呂場に籠って、「DVだと思われて通報されたらどうなるんだろう。息子にとっては『暴力を振るったら第三者が来る』ということがわかるいい機会だけれど、第三者との濃厚接触にカウントされて隔離期間が伸びたら嫌だな〜」なんて考えながら、携帯でSNSを見ていた。すると一通のLINEが。昨日clubhouseでお喋りしていた“鏡さん”からだった。鏡さんは某SMサロンのオーナー女王様で、「国の金で監禁プレイなんてなかなか出来ないよ〜。うちに来るM男なんか自腹切って監禁してもらってんだから」と私たちの状況を笑い飛ばしてくれていた。
 私がアパの狭い風呂場で受信したLINEにはなんと、横浜みなとみらいの遊園地の写真が送付されており、「今から観覧車乗ってくる〜」とのメッセージが。マジかよ、鏡さん。私たちが監禁されてるすぐ側で、めちゃ楽しんでんじゃねーか。私は「さぞシャバの空気は美味しいことでしょう・・・」とLINEを返し、狭い風呂場の空気で深呼吸をして息子に伝えた。「ねぇ、もう誰かに痛いことをしない? 傷つけたりしない? お約束してくれるなら、ママ、まだちょっと恐いけど、そっちに出てみようかな」。すると息子は怒りながらも、「もうぶったりしないよ!」と言うので、私は風呂場から出た。
 泣き疲れた子ども達と机の上に置いておいたおにぎりを少し齧り水を飲み、抱き締めてベッドに横になる。そろそろ夕飯の弁当の時間だ。これで気分も変わるだろう。
 館内放送が鳴る。ドアを僅かに開けてノブに掛けられた弁当を取る。さぁ! 今日のご飯はなんだろう! と蓋を開けて、私は絶望した。エビチリである。しかも、なかなか本格的なエビチリである。辛いのだ。辛くて子ども達は食べられないのだ。


 メインであるエビチリ以外の副菜をなんとか食べさせたが足りない。さっきおにぎりを食べたので、もうお米は要らないと言う。コーヒーシュガーも舐め尽くした。万事休す。明日の朝まで我慢するしかない。そのことを伝えたら、息子がまたキレた。「僕食べたい! これじゃないの食べたい!」「そうだよね。違うの食べたいよね。でも無いんだ。ごめんね」「いやだ! ママのばかものー!」また、ぶたれた。
 そこで私は約束通り、「ぶつ人は恐いよ。食べたいご飯が食べられないのは本当に可哀想だと思うけれど、ママにはどうもしてあげられない。それでもあなたが私をぶったりするのなら、私はまた逃げるね。だって痛いし恐いもん」と言って、また怯えたフリをしながら風呂場に入ろうとした。すると息子は「ぶたないよ! オシッコかける!」と言い出したのだ。確かに、痛くない。恐くもない。考えたな、息子。
 しかし嫌だ。そして流石に疲れた。もう、コドモノキョウイクみたいなことがどうでも良くなってきて私の元ヤン魂が炸裂した。「オイ、やってみろよ。かけられるもんならかけてみろよ」と煽ってやったのである。すると息子はマジでした。私の脚に。しっかりと狙いを定めて、私のズボンをオシッコでグチョグチョにしてくれたのである。前言を全て撤回して、右ストレートでぶっ飛ばしてやりたい。
 幸い風呂場だったので、全部水で流し、子どもも洗い、床も拭いた。もちろん私も着替えたが、ランドリーに出せないのである。部屋からは弁当のゴミしか出すことは許されていない。あと数日、私はオシッコを掛けられたズボンとオシッコを拭いたタオルと同居しなければならないのだ。鏡さんのお店に来るM男さんなら聖水はご褒美かもしれないが、私にとっては苦痛以外なにものでもないんだよ・・・。そんなことを考えていたら、鏡さんからまたLINEが来た。「アパ何号室?」と。そして、その30分後に! 

なんと、大量のお菓子が差し入れられたのである!!


 暴力とオシッコと絶望に満ちたこの部屋は、大量のお菓子によって一変した。

 子ども達は色とりどりの駄菓子に歓声を上げ、狂喜乱舞しながらチョコや飴を頬張った。どのお菓子も同じものが二つずつあり、姉弟は諍うこともなく時に分け合い、テンションと血糖値を爆上がりさせながら、私たちは初めて他者との連帯というものをこの部屋に取り戻した。
地獄に仏、強制隔離に女王様である。鏡さん、マジあざっす。

 砂糖というものはある種ドラッグだとも言われるが、ようやく禁断症状から解放されたのか、はたまたラリっているのか、息子は「ねぇママ、お耳かして」と私の耳元に口を近づけ「ママって、すっごくかわいいね」と囁いたりし出した。娘もいつもの聡明さを失い、「すごい! (モグモグ) すごい!」と語彙力(ryになっている。推しが尊いならぬ、お菓子尊いである。
 私も私で、鏡さんに感謝すると共に、差し入れの中にあった『赤レンガ倉庫ラングドシャ』を眺めながら、「やっぱあの人、楽しんでいやがったな」と考察する余裕も生まれた。
 私と娘と息子は、夕飯の弁当を放り出して、駄菓子を食べ、お喋りをし、くすぐり合ったり囁き合ったりしながら、パジャマにも着替えずそのまま寝た。


 私たちに足りないのはコレだったのだ。栄養やキョウイクではない、もっと無駄なもの。不要不急なものたち。そして、家族以外の第三者の存在。

 考えてみれば、今回のハンガリー旅行は贅沢な不要不急であった。オンラインで夫とはいつでも連絡が取れるし顔だって見られる。しかし、対面で接触したかったのだ。喧嘩だってした。でも、仲直りもした。私たちは、くだらないことで喧嘩をし、仲直りをし、わざわざケーキを食べるためだけに氷点下の中外出し、下手くそな英語で注文をした。失敗して間違った料理が出てきたり、成功したはずなのに想像と全然違う料理が出てきたり、そんなことを繰り返しながら、私たちは私たちの日常を紡いでいた。そしてその日常は世界と、現実と、繋がっていた。
 確かに、強制隔離は衣食住に困らない。徹底的な管理がなされ、徹底的な検査の結果、どうやら私たちは健康である。しかし、健康に生きているはずの私たちは全くもって不健康に生の実感を失いかけていた。息子が暴れたのは前述した通りだが、何より娘6歳は早々に諦め始めた。私には手のかかる息子よりも、実は娘の方が心配だった。娘は強制隔離中盤から、欲することを失いかけていたのである。与えられた弁当を食べ、与えられたTVを見続け、文句ひとつ言わなくなった娘を私は本当に心配した。息子の暴れっぷりは、いわば彼なりに欲望を取り戻そうとする作業であった。それをしない娘は、一見聞き分けの良い手のかからない子であろう。それがとにかく心配だった。しかし、お菓子を食べながら「鏡さんってどんな人? どうやってこのホテルに潜り込んだの?」と知りたがり、「ミルク味の飴は要らないから、ぶどう味をもっと欲しい」とわがままを言い始めて、私はようやく胸をなでおろした。
 意識高い系(仮)ママである私は、隔離施設の住所が判明して即、子ども達に知育用のタブレットをネット注文していた。翌日届いたそのタブレットには簡単な算数やひらがなの書き順を覚えるアプリが搭載されており、当初私はこの隔離期間中に子ども達に賢くなってもらおうなどと浅ましいことを考えていたのだ。しかし、早々に子ども達は知育とやらに飽き、意識も値段もお高いタブレットを放り出した。当たり前だ。子ども達は私が短絡的に考えるよりもっと賢かったのである。娘は駄菓子の“チョコベビー”を自分の名前の形に机の上に並べて満足そうにし、息子は「“アポロ”、おいしいのに・・・僕もう15個食べちゃったから、あと5個しかないよ・・・」とため息をついている。私は自分の愚かさを反省した。
 そして、残りの隔離期間はもっとくだらなく、無駄に、豊かに過ごそうと決めた。それは窮屈な場所だって出来る。内向きの不要不急を。想像力と慈しみによる豊かさを。


 強制隔離が終わったら、子ども達と私でお砂糖とスパイスと素敵なものいっぱいで過ごしたい。不要不急なものに囲まれながら密になって過ごしたい。

 残るは自主隔離二週間である。
 鏡ゆみこさん、本当にありがとう。ミルク味の飴を舐めながら、この文章を書いています。


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