見出し画像

暴力と地震とピンク色のうんこ

急に思い出したので書き留めておきたいと思う。

先日、鈴木大介さんや木下大生さん達と飲んでいて「暴力」の話になった。お二人は「暴力が嫌いだ」と言う。でも私は、暴力に対して馴染み深いというか愛着というかノスタルジーというかがあって“本当に”は嫌いになれないという話をした。まぁ、アレです。父親が殴る系の人だったとかそういうありふれたアレです。

それで一晩経って思い出したのが3.11の時のことだ。3.11、初めて揺れたあの瞬間、私はダルクの上岡ハルエさんと居た。カーペットの部屋に座って喋っていた私たちだが、揺れが酷いのでハルエさんは「四つん這いになって頭を入れて、亀みたいなポーズをとって!」と言った。でも私はそのポーズがまさに父親に蹴られるときに幼少期から取ってきたポーズだったので、そういう過去の諸々とか、地震とか、てゆーか婚活が上手くいかねーんだよ(←最重要)とかが全て襲ってきて、ハルエさんに「もう嫌だ! このまま死にたい!」と詰め寄ったのである。しかし、あの揺れの中でも流石のハルエさんは「月美って、こんな時に自分の話を聞けとか、マジで強迫ねーちゃんw」と笑いながら私にビルから避難するよう命じた。因みに、そこはおんぼろビルの7階ですんげぇ揺れてた。すんげぇ揺れながら婚活の苦悩を語ろうとする私は渋々ビルから降りて、すぐ横の公園に避難した。

公園には既に多くの人たちが集まっており、その人たちを眺めながら、どうせお前ら全員生きたいんだろ、と勝手にふてくされた私は、1人滑り台に乗って「何もかもが嫌だ〜!!」と叫びながら滑り降りるという奇行を繰り返していた。

心中させそうな勢いだったのに、ちゃっかり先に避難し、顔がグシャグシャになるほど泣きはらした顔で、絶叫しながら滑り台に繰り返しよじ登る私を見て、ハルエさんは爆笑しながら写真と動画を撮っていた。

その後、ハルエさんと私がバッグの中を確かめると、お互い摂食障害だからやたらと食べ物が入っていて、「うちら死にたいけど、こういう時に結構生き延びちゃうんじゃね?」と、また笑った。

そこから私は、こんなに揺れているのに約束を断らなかった空気の読めない婚活相手とデートに向かい、無事帰宅難民となった。その相手が現在の夫である。

そんなとりとめのないことを寝起きのベッドを片しながら思い出していて、布団を干そうとベランダに向かったら、陽だまりのリビングに息子が座っていた。
その光景を見て、あ、今、完全に幸せだわ、と息子と布団を抱きかかえながら思った朝でした。という話です。


因みに、そんなこんなで私のテンションがちょっとおかしくなって息子を抱き締めて舞い踊りながら「生まれてきてくれてありがとう!」とか言っていたら、「ママ、うんこ」と言われたので、「もうちょっと可愛くして」と嗜めると、「ママ、ピンク色のうんこ」と言われたので、一気に素に戻った私は息子を保育園にぶち込んで来ました。今日も仕事頑張ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?