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その後 『夫の良いところ』

 うちの夫の良いところを書きたい。
 そんな日が来るとは思わなかったので、もうこれだけでもハンガリーに来た甲斐があるというものだ。

 夫と結婚した経緯は、拙著『ウツ婚!!』(晶文社)に書いてあるので、興味があったら読んで欲しいし、興味がなくても読んで欲しい。なんだったら、読まなくて良いから買って欲しい。

 ということで、結婚してから早10年。可もなく不可もない生活を、つつがない生活を、と言いたいところだが、実際は不可ばかりであり、つつがあり過ぎて掻きむしりながら日々を綱渡りで送って来た。そこに舞い込んだ夫のハンガリー駐在。「亭主元気で〜」の通り、月美夫婦の危機を距離が救った。単身赴任を始めてから夫婦仲はようやく良好になり「亭主元気でVR」と思うくらいに二次元の夫は愛おしくなった。FaceTime越しに愛を育み、時差やWi-Fiの不具合も愛おしく、てゆーか回線繋がりすぎじゃね? とテクノロジーの発達に不満が出るほど、私はワンオペ育児を満喫していた。
 そこに「そろそろ遊びに来てよ」という至極もっともな夫からの不満が出て、私と子ども達はハンガリーにやって来たのだ。何故か月美の実母も一緒に。

 私の母は、元々絵本作家になりたかった文学少女で、高校卒業後にフランスに留学した。その後、ハンガリーやチェコを巡って絵本作家への道を歩むつもりだったのだが、私の父とフランスで出会ってしまい恋に落ち、結婚。しかも駆け落ち。なので、絵本作家もハンガリーもチェコも諦めて、日本で夫婦経営の小さな翻訳事務所をやっている。
 だから私は親孝行のつもりでハンガリーに連れて来た。母は1ヶ月間滞在する予定だ。半年ぶりに月美家4人が揃うところにお邪魔虫がいる訳だが、夫は嫌な顔一つせずに迎えてくれた。それだけで良いやつだと思う。


 そんなこんなで、家族四人とババ一人の生活をしていたのだが、また予期せぬ来客が。月美の弟である。私の弟は世界を股に掛ける青年実業家と言えば聞こえは良いのだが、よくわかんない仕事でよくわかんない大金を稼いでいるスゲー怪しい男で、友だちが彼氏として連れて来たら絶対「別れなよ!」って言うし、うちの娘が結婚相手として連れて来たら泣いて止めるような輩だ。まぁそんな輩でも弟は弟なので、とりあえずハンガリーで会うことにしたし、我が家にも遊びに来てもらった。
 この弟、怪しい輩にありがちな、ものすごく人当たりが良く、ものすごく気が効く人物なのである。
 第一報は「俺さ、今イタリア居るから明後日くらいに月美姉のとこ行って良い? 三日後にはオランダ戻らなきゃいけないんだけど。子ども達と夫さんへのお土産何が良いかな?」であった。ちょっと待て。急なLINEのくせに情報が多過ぎる。

 まず、うちの夫は関西の田舎の出で、親戚中で初めて大学に行ったいわゆる第一世代。海外で働いているのは村で初めての人間だ。夫の実家はインターネットがないが牛と鶏はいる。「海外に行ったら車社会だから実家に帰ったら運転の練習しとかなきゃ」と、我が家に車がないので夫が実家で練習していた車種は軽トラとトラクターだった。
 そんな夫の地方コンプレックスというか、海外コンプレックスというかは今回のハンガリー駐在でだいぶ克服したように見えた・・・のを、弟の第一報は吹き飛ばしたのである。
 嵐を呼ぶ弟は、月美家にビュンビュンとグローバリゼーションを吹き荒らした。
 夫が『地球の歩き方』で観光名所を探そうとすると「子ども達居るし、こっちの方が楽しめるんじゃないっすか?」とハンガリーのインスタ情報で“子ども科学技術展”を推してくる。
 夫が「車出すよ」と言えば、「あ、Bolt(海外のUberみたいなタクシー)呼んどきましたよ。駐車場とか大変だし、夫さんも酒とか飲むでしょ」と返してきて3分後に家の目の前にヤノシュという運転手がいたりする。ヤノシュに罪はない。
 みんなで夜のクリスマスマーケットをキョロキョロしながら歩いてると「寒いんで、あと30分後に近くのレストラン予約しました。通り沿いなんですぐだし、星の評価もなかなかっすよ」とか言い出す。そしてレストランでラムチョップとか頼んでやがる。よく夫は弟の脳天に喰らわせなかったものだと思う。完全に良いやつ。

 しかもこの弟、更に嫌味なことに子どもの心も掴んで来る。そりゃ『地球の歩き方』に乗っている“城”とか“教会”とかより、“子ども科学技術展”の方が楽しいに決まってる。何なら大人も楽しい。
 そして弟は身長が190cmもあり元アメフト部。「疲れた〜」と子ども達が言えば「おんぶ?  肩車?」と軽々抱っこする。
 また、LINEで事前に聞かれたお土産に私は「なんでもいいよ」と完全にやる気のない返信をしていたが、弟が用意した土産がこれまた小洒落ていやがるのだ。娘には開けるとバレリーナが回るオルゴール、息子にはマリオット(操り人形)で、なんか「外国のオモチャー!」感が半端ない。目をキラキラさせて弟を見る子ども達を、夫はションボリした目で見ている。これだけで夫に一杯奢ってやりたい。
 因みに、弟には子どもが二人いるのだが、仕事に遊びに忙しく、生まれてから会う頻度は年一らしい。夫! 側にパパが居てくれるだけで子ども達は喜んでるよ! 大丈夫だよ! と肩を叩きたくなる。
 怪しい輩にありがちなソツのない振る舞いを存分に撒き散らして、弟はオランダへ去って行った。夫、マジで我慢してくれてありがとう。



 しかし、まだ私の母がいる。

 夫は義母にせっかく来たハンガリーの土地を楽しんでもらおうと、週末に車を走らせ郊外の観光地に連れて行った。見慣れぬ景色でさぞドライブも楽しかろうと思いきや、助手席の母は「私が学生時代を過ごしたポアチエ(仏中部の小さな町)みたーい!」とはしゃぐのである。私は後部座席で子どもをあやしながら、母の後頭部をはたこうかと思った。慣れてんじゃねーよ。
 そして着いた観光地はオフシーズンでどこも閑散としており、博物館も美術館も閉まっていた。どの店も閉まっていてお茶も飲めない。申し訳なさそうにする夫に「『地球の歩き方』に書いてなかったもんね!」と要らぬフォローを入れる母と共に車に戻ったら駐禁が切られていた。警察だけ仕事しとる。
 もはや駐禁切られに行ったような週末を過ごしてしまい、来週末こそはどこか連れて行こう! 次こそは抜かりなく! と子どもが寝た後、夫と私で調べていたら母がやって来て「なんだか1ヶ月間もハンガリーにいるのは長いかなって。だから来週末にはお姉ちゃんのいるタンザニアに行くことにしたわ」とのたまったのである。抜かった。うちの母はこういうヤツだった。

 私の姉はエリート外交官。ロシア人の夫とタンザニアに暮らしており、手続きも来客へのもてなしもお手の物。てゆーか、それが仕事。コロナ禍での航空券も既に手配済み。持病のある母の投薬その他も、日本大使館の医務官に通してあるとのことだった。
 因みに、夫のハンガリー駐在が決まったことを姉に告げたら「おめでとう! ハンガリーの日本大使館大使を紹介するね!」と言われ、半日後に私のg-mailアドレスに大使から丁重なご連絡があった。ビビった私は「大使 メール 返信 例文」でググったが何も出てこなかったので既読スルーした。一応、夫に転送したがコメントもなく、夫婦でなかったことにしている。

 傍若無人な母のタンザニア計画だが、これでようやく家族四人水入らずで暮らせる・・・とホッとしたのも束の間。タンザニア行きの前日に私の祖父(母の義父)が他界したと日本に居る父から報せがあった。
 私は結構おじいちゃんっ子なので、悲しいし、葬儀に参列できないのもつらいが、おじいちゃんのためにも今の自分を大事にせなあかんと考えている。
 それに祖父は95歳の言ってみれば大往生で、少し前から入院しており、そろそろかなと心の準備は出来ていた。なので、ここからは故人を悼むのは棚上げにして進めていきたい。そういう文章に嫌悪感を覚える人は読まないで欲しい。

 母の落ち込みっぷりはすごかった。タンザニア行きはもちろん中止。急遽、日本に戻ることにしたのだが、コロナ禍である。
 祖父は栃木県におり、葬儀は栃木県で行われる。喪主は私の父だ。今から帰っても間に合わないし、二週間の待機期間がある。しかしエモの塊みたいな母は「とにかく!おじいちゃんに会いたい!」と、一番早いフライトで帰ろうとした。が、PCR検査や入国者の手続きなどで丸一日はかかる。
 夫は最短のPCR検査が受けられるハンガリーの病院を探してくれ書類なども全て印刷してくれ、姉は母が日本に入国するための手続きを済ませ、弟は「帰国者GPSのダミーアプリ」まで教えて姉にめちゃくちゃ怒られていた。関係者一同の力を結集させ、二日後には帰国出来る手筈が整ったのだが、やはり葬儀には間に合わない。帰国待機場所を栃木県にするという案も出たのだが、栃木側の親戚に断られた。
 母は、閉鎖的な田舎の長男である父と結婚するときに相当いじめられ(だから駆け落ちだったわけだが)、それをずっと守ってくれたのが祖父だったため、おじいちゃん大好きである。そしていじめていた親戚たちが執り行う葬式なのだから、海外から来るなと言われるのもわかる。そんなこんなの気持ちをハンガリーの我が家で、ため息と涙と共に溢すのだ。勘弁して欲しい。
 私は私で、慣れないキッチンで慣れないパプリカをどう調理すれば良いんだ? とか、子ども達を入れたインターの保育園の先生と細かい話をGoogle翻訳同士で行っていて微妙に間違い続ける伝言ゲームになっていたりだとか、出来ることが無さすぎて姉から「文章といったら月美だよね」と完全に気を使ってもらって弔辞を書く役目を仰せつかったのだがフォーマルな文章が分からなくてとりあえず送ったら「すごく素敵な文章だね。でも弔辞は読み上げられちゃうから、月美の文章は墓前に備えてあげて。弔辞電報は私が書くね」と姉の手間を増やしたりだとか、色々忙しいのだ。
 その間、母はずーっと我が家のリビングで空を眺め、「このままね。東の、東の空へ、ずーっと飛んで行けばおじいちゃんに会えるんだなって・・・そんなことをね・・・思って・・・」とかほざきながら涙ぐんでいるのである。飛んで行く前にPCR検査とか出国手続きとかあんだよ、かーちゃん! と言いたいのをグッと堪えて、「少し食べて寝な」と部屋に押し込んだ。さすが元文学少女である。悲しいのはわかるが、悲しみ方がめんどくさい。大学時代に文芸部(部員母一人)で自作の詩集を冊子にしていた腕前をここで披露しないでくれ。

 部屋からシクシク聞こえて来るのだが知らんぷりをしていたら、また父からの報せが月美実家グループLINEに。「帰って来られなくて可哀想だし、一目見たいだろうから」と、ご遺体写真が送られて来た。
 マジかよ、とーちゃん。あんた、機械音痴のくせに新しもの好きだから最新のiPhoneだけど、そのやたら高画質なのにアングルとか考えない写真は、ご遺体っていうかもはや死体なんだけど。しかも何故かLIVEモードで撮ってるから3秒間あって、動かないはずの遺体が手ブレで3秒間ってもうホラーなんだけど。
 ドン引きする私の隣の部屋でシクシク聞こえていた声はワンワンになり、もう色々諦めてラジオの遠隔収録をした。私が放送している『すべての悩みは“作品”である』というラジオはAV監督の二村ヒトシさんと行っており「いや〜さっきまで撮影でさー! いい絡みが撮れたよ〜!」とか言ってくる。なんで、隣の部屋でワンワン言ってんのに、遠隔収録でアンアンが終わった人間とラジオ録ってるんだろうと世の理不尽を嘆きながら、なんとか収録は出来た。
 一通り仕事が終わり自室を出ると、そろそろ子ども達が帰って来る時間で、母はキッチンに立っていた。「気が紛れるから夕飯は私がするね」という母に食事の支度を任せ、子ども達を迎えに行き、夫が帰って来た。
さぁご飯! もう、とりあえず飯食って寝よう! 
 と、皆が食卓に着いたら出て来たのは七面鳥の丸焼きだった(マジで)。そりゃ感謝祭だからターキー買ってたけど、別に全員日本人だし、なんなら蕎麦とかストックあるじゃんと思いつつ、食った。母は「なんだか私、あんまり食欲無くて・・・私に構わずみんな食べて!」と言うので食った。夫も私も「こんなもん出されてこっちも食欲失せてるわ」と思ってたけど、子ども達は「えー! これ鳥さん?! 丸ごと焼いたの?!すごーい! なんか可哀想!」とか言ってて悪いけど空気読んでくれ・・・と思ったけど、夕飯の前に全員で黙祷をする姿がおじいちゃんに捧げてるのか七面鳥に捧げてるのかわかんなくなってたけど、とにかく食って食って寝た。

 翌日、夫は半休を取り母を空港まで送ってくれた。
 子ども達は保育園なので大人三人の車内で、ハンガリーの楽しかった思い出でキャッキャするわけにもいかず、祖父の話をして母に悲しみの追い打ちをかけるわけにもいかず、延々各国のガソリン価格の話をしていた。リアル「こういう時、どんな顔したらいいかわからないの」状態で、笑ってはいけないハンガリー24時を過ごし、無事母は日本へと帰って行った。
 母を見送って、夫と二人で車に戻り、とにかく私が「うちの家族が本当に色々申し訳ありませんでした。ごめんね」と謝ったら夫は「ほんまやで」とだけ言ってそこから二人でくだらない話をして家に帰った。



 思わず長文になってしまったが、うちの夫がどれだけ良いやつなのかわかって頂けたと思う。鈴木大介さんに「夫氏とは会ったこともないけど、石田月美を選んだ時点でいいやつだと思うんだよね」と言われたことがあるが、マジでそう思う。
 AV監督の二村ヒトシさんとラジオをやると伝えたら、夫は「いつも“僕が”お世話になっています! と伝えて」と言っていた。
 『ツレウツ』の細川貂々さんとODをやっていると言ったら「あーあの、稲垣吾郎が一人で食事するやつ!」と『孤独のグルメ』と間違えていたし(しかもゴロー違い)、「知の巨人・吉川浩満さんに『モヤモヤの日々』のファンレター出すわ」と言ったら「進撃の吉川さんに空耳アワー出さなくて良いの?」ともはや何も合ってない、逆によく吉川合ってたなという感じに返って来るが、そんなの全然良いのだ。
うちの夫は親切な人である。私は人間の徳の中で、親切であることってかなり上位に大切なことだと思っているので、私も夫に親切にしたい。
そのうち、今度は夫の愚痴日記を書きなぐる日が目に浮かぶが、今は夫がどれだけ良いやつなのかを忘れないように記しておこうと思う





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