見出し画像

子どもと問う#14 〜機能と今日がくっついていく世界で〜

子どもと問う#14
〜機能と今日がくっついていく世界で〜


最近では「○○ちゃんママ」という呼び名は、ママ個々人のパーソナリティを剥奪しているようでヨクナイ!ということらしく、園のママ達はお互いを下の名前で呼び合っている。
多分、週末とかに一緒に遊んだりすることで仲も深まり、下の名前で呼び合うような関係性も築けているのだと思う。

翻って私はというと、もちろん今だにママ友はゼロで、そんな関係性も築けていないのだが、優しいママさん達は名簿か何かでわざわざ調べてくれて、私のことを「月美さん」と呼んでくださる。
お手数おかけして申し訳ないな「○○ちゃんママ」で全然良いんだけどな、と思う。


ママになる前、私は「なぜママ達は皆、似たようなアイテムを身に付けるのだろうか。ママ界にはドレスコードがあってそこから外れると虐められたりするのだろうか」とソースは昼ドラなことを想像していた。
でも、違った。ママ達の装いは素晴らしく機能的なのだ。
子どもが走り出しても追いかけられるペタンコの靴・両手が空いて貴重品を入れられる斜めがけバック・汚れが目立たない白以外のトップス・自転車に乗ってもパンツが見えない長さのスカートかズボン・・・
先人達の知恵と、最新の流行ファッションと、各々の好みとでカスタマイズされたママルックは育児という戦場をサバイブする素晴らしきコーディネートなのであった。


ママになると色んなことが決まる。良いとか悪いとかでは無く、事実として決まる。
17時以降は、夕飯・お風呂・着替え・歯磨き・寝かし付けに時間を取られること。自転車は“ママ”チャリ一択になること。夕飯は子どもの舌に合わせて作ること。お名前書きのペンは常時切らさないようにしておくこと。子どもの目線に合わせるため、よくしゃがむから膝小僧が黒ずんでくること。
そして「○○ちゃんママ」と呼ばれがちなこと。

ママになった地元の友だちと会うと「私たち、せっかく子どもを預けて、子どもが居たら行けない処でランチしているのに、なんで子どもの話ばっかりしちゃってるんだろうね」なんて言い合う。
それくらい、日々日常は育児で染められる。

「そうじゃないママもいる!」とお思いになる方もいらっしゃるだろうが、「そうじゃない」は「そうである」を前提とした対立軸である。前提の共有がなされ初めて「そうじゃない」が生まれるのだと思う。

だから、ママの装いが機能的であるのは当然であり、ママになるというのは個人が機能化されていくことなのかもしれない。
今までだったら夜に何をしようかと考えていたが、そんなことは考える間もなく寝かし付けが始まる。せいぜい「この子らが寝たらなんのアイスを食べようか」と自分へのご褒美を夢想し、夢想しているうちに自分も寝てしまう。
そして朝が来ればまた、お着替え・朝食・歯磨き・検温・園に持って行くもののチェックをして、“ママ”チャリに乗るのだ。
ママという機能に自分が一体化していくのを感じる。

そんなこんなで、機能化されたママという役割から個人を取り戻そうと、ママ達が「○○ちゃんママ」ではなく下の名前で呼び合うのも至極納得がいくし、私もママさん達のことは極力そう呼びたいと思う。



一方で、私自身の話をすると、私は自分がママという機能でしかなくなることが実は心地良いのだ。
“ママ”チャリにまたがり、前には息子・後ろには娘を乗せる。カゴには夕飯の食材を乗せて、後ろには特売のトイレットペーパーをぶら下げ、夕暮れの道を走っている私の姿は誰が見てもどこから見ても「THEママ」で、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私が消滅しママとなり、ママとしての役割を果たすため機能化され、ただただ機能として振る舞う。
そこに、ある種の快楽がある。

自分というものの得体の知れなさ、自分と他者との境界線、自分と世界との関係性、、、それら全てを吹き飛ばして、私は「ママという機能」なのだ。

高校中退・大学中退・就職経験無しの私は今まで何度も「何をやっている人ですか?」という当たり前の質問に困っていたし、答えられない自分を責めていた。
結婚しても、専業主婦だと言うと「あ!でも、主婦も大変ですよね!」と、でもって何だよと言いたくなるような、このご時世は結婚しても働いている前提、どこかに所属している前提を踏まえた返答をされて、相手も私も気まずくなることが多かった。

それが「ママ」になった途端、私という人間はどこかに所属している必要も何者であるかを証明する必要もなくなり、ただ単に「ママ」なのである。

これには恐れ入った。私にとって自分が「ママ」であるということは殆ど水戸黄門の印籠で、その印籠さえ示せば、水戸黄門がどのような人物であろうとも周りはどうでも良いのだ。
なんと素晴らしき機能なのだろう。


私はずっと“自分”が邪魔だった。先天性の見えない障害を持つ“自分”は扱いづらくて厄介な存在でしかなかった。
世界とうまく繋がれなくて浮遊し続けていた私は、ママとなって初めて世界と公的に繋がれた気がする。自分なんて要らない。ただ、ママでさえあれば良いという己の在り方のなんとシンプルで心地の良いことか。


諸事情あって色々マイノリティの私からすれば、マイノリティの戦いはフツーへの希求である。「フツーになんかなりたくない」というのは所詮、座布団敷いたマジョリティの戯言としか思えない。私は今でもフツーになりたい。“ママ”はたとえ変であっても“変なママ”である。“ママ”はフツーに揺らがない。


哲学対話界隈で、諸事情あって色々大変だったようだが、「哲学対話は空気を読まない練習です」なんて文言の外で、皆めちゃくちゃ空気読んでることもよくわかった。
練習しなくても空気読めない私は、最初何が起こっているのかもサッパリわからなかったし、今でもよくわかってない。
やっぱり私は“自分”が邪魔だな、とだけ思った。


しかし、このところママという機能に胡座をかいていた私に危機が訪れている。子どもらが“自分”を獲得し始めている。どうやら“自分”というのは他者があって成り立つようで、子どもが“自分”になるために、ママも“自分”であらざるを得ないらしい。
困った。また“自分”が戻って来てしまった。しかもママという機能もセットである。ハッピーセットならぬアイデンティティセットだ。玩具じゃなくてクライシスが付いてくる。

そんなママという“自分”と自分という“ママ”とを抱えきれずよろけそうな私を尻目に、子ども達はどんどん“自分”になって行く。

子ども達が赤ちゃんの頃は、ある意味、赤ちゃんという機能であった。泣き、眠り、オシッコウンチをして、ミルクを飲み、また眠る。
その頃、ママという機能と赤ちゃんという機能は溶け合い混ざり合う。そこには快楽を超えた官能さえあった。しかしその乳白色の自他溶解の時期は一瞬で過ぎ去り、分離が始まる。何度「もう成長止まれ!」と心の中で叫んだことか。


子どもの成長を薄目で眺めながら機能化された“ママ”に耽溺していた私は、今また子ども達に“自分”を突き付けられているのである。


この前散歩中、なんとはなしに「あの店のパン美味しくないよね〜」と言った私に、娘は「それはママの意見でしょ!私はあのお店のパン美味しいの!」とピシャリと言った。
「ママにとっては美味しくなくて、娘にとっては美味しいパン屋」の前を通りながら私は、子ども達はこうして“自分”と世界を構築して行くのだと思った。その世界線はママの世界線と交差したり平行したりを続けながらどんどん膨らむのだろう。
もうハッキリと、甘美な自他溶解の時期は終わったのだ。
子ども達にとってママは、ママという機能を併せ持つ“他者”となったのだ。

私はまた“自分”として生きなければならない。あぁ面倒くさい。
己の問題を己の問題として認識し、主語を誤ること無く、子どものことで悩むふりをしながら己の悩みを目くらましすることも出来ず、“ママ”という役割を背負った“自分”をまた“自分”として問い考える日々が続く。


私は「○○ちゃんママ」としての機能であり続ける快楽を手放せずに、いつまでも“ママ”チャリをかっ飛ばしていたかった。だが、遂に娘から今度の誕生日プレゼントに「自転車」をねだられてしまった。
ママから分離したそのチャリで、娘はどこまでもどこまでも行くのだろう。
ママは自転車を止めて、自分の足でまた立たなくてはならない。向かい風を追い越す娘の背中を眺めながら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?