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「全ての支出は仕入れ」の発想

この2ヶ月あまり、食事はほとんど全て食材から調達して料理しています。この背景には、実は暮らしの中のできる限り多くのものから「価値を生み出そう」という僕の一種の意図的な取り組みがあります。

お金の流れは大きく分けると収入と支出だと思いますが、もう少し支出のほうをズームしてみると「仕入れ」と「支払い」に分けることができます。(厳密にはもっと分けられますが、会計学ではないので今回はこの二つに分かれるという前提で話を進めます。なお、会計用語も少し使いますが、あくまでもプライベートな暮らし(お財布)の中における考え方の話なので、こうすれば会社の経費で落とせますよ的な節税の記事ではありません、念のため笑)

仕入れとは本来「製品化することを目的に業者から材料を購入すること」だと言えますが、そもそもこの行為は購入した材料で何かを作り出し、材料以上の価値を持つものにして販売することによって利益を出すという発想のために存在します。今回は仕事ではなく、私生活の中にこの考えを取り入れるとどのようなことが考えられるのかみていきましょう。

日常生活の中で仕入れたものがすぐさま価値を増すものとして、僕は料理がその最たるものではないだろうかと思っています。大抵の人が一日三回食事をすると思いますが、三食を全て外食にしたと考えてみましょう。実はどれだけ高級な食事をしようが、どれだけリーズナブルな料理をメニューの中から選ぼうが、お店でそれを頼む時点でお店が仕入れたものにお店の利益の乗った金額の料理が提供されるわけですから、私たちが食べる料理そのものはお店に支払う金額の価値よりも絶対に低い価値のものになります。先の話に照らし合わせてみるならば、「仕入れをして利益を出したのはお店側、サービスを利用して支払いをしたのがあなた」ということになります。

一方、三食全ての食事を自分で料理した場合、「仕入れたのは自分、食材を料理に変えることで価値を生み出したのも自分 、その価値を食べるのも自分(ついでに皿洗いも自分)」ということになります。自分の作った料理に対して自分で「支払いをする」人は珍しいでしょうが、仕入れたものよりも価値のあるものに食材を変え、その価値をタダで食べたのですから、料理という行為は二重にお得な行為だと思います。じゃぁ外食はもったいないのか?というとそんなことは断じてありません。ただし外食しようとする際は自分の中で、何を目的に外食しているかに注目します。それによって何の費用なのか(勘定科目)が変わるからです。


もし「空腹を満たす」ことだけが目的となって入店した場合、僕は単純に先に述べた料理という行為の代行代をお店に支払っていると考えます。たまに僕がコンビニやファーストフード店を利用する場合は完全にそっちです。でもたいていの場合、僕が外食をする場合は目線を移して外食という行為そのものを「仕入れ化」します。コーヒーショップも然りです。行く理由がただ「お腹空いた」や「コーヒーが飲みたいな」という欲求を満たすためだけならシェフやバリスタさんにそれを代行してもらっているだけになります。それなら先の自炊や、豆を「仕入れて」自分で淹れた方が何十倍も経済的です。でも「コーヒーをここで飲むという機会を「仕入れて」、その時間の中でもっと価値のあるものを生み出そう」という機会に外食を利用すればそこで払うお金が「支払い」ではなく「仕入れ値」に変わります。支払いは単なる代行代ですが、仕入れには冒頭触れたように「仕入れ値以上の価値」を生み出すことのできる可能性が詰まっています。僕の場合、仕入れ値以上の価値はそこでの人との会話だったりします。

そのように私生活の中でもお金は極力「仕入れ」に使おうと考えると自分が生きる毎日の中で価値あるものがどんどん増えていく実感を得ることになります。そこで代行ばかり利用すると、確かに楽かもしれませんが価値が長く残らないので、大抵どこかに勿体ないことをしているという本能的な気分が必ず残るはずです。そんな時は改めて「仕入れ」の発想にぜひ目を向けてみて下さい。同じ支出でも、その先に機会を見るか否かでお金を使う気分は全然違うかもしれません。

( 文・写真 / 西澤伊織 )

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