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嵐が丘(上・下通しての感想)

嵐が丘、読了。
あまりにも深遠。不朽の愛とか復讐とかそんなものじゃない。愛や友情よりもっと、大いなるものを感じる。ミスティシズムって言うでしょうね。
でも本当にそう感じるの。
悪魔になってまで復讐するほどの熱烈な愛なんて持ってないでしょ。私には信仰心みたいな風に見えたわ。

数マイルの距離にある二つの家、幸福で優雅で暖かい慈愛に満ちたスラッシュクロス屋敷と、憎しみと暴力に満ちた地獄のような嵐が丘。別に、どっちで育ったかなんて関係ないの。結婚して嫁に行けば、嫌でも染まってしまう。

嵐が丘の人達は、愛して欲しかったんじゃないの?愛のない家庭なんて淋しすぎるじゃない。憎しみ合い避け合い嫌い合うなんて! 愛し合う家庭の方が楽に決まってます!
「あなたが死んでも、声をあげて泣く人なんか誰もいない」って言われる人がいくつかいたけど。本当にそんなことはない。
そこまで、救いようのない人はいらっしゃらないと私には思えた。

でもきっと、ヒースクリフは死んでたんだよ。柩に入れられて土の下にいたって、土の上にいたって、変わらないもの。
恩も知らなかった男が、一生のうちの全てに値する愛を越えた何かを捧げ、その相手に裏切られ、それでも愛以上の関係を信じた。
婚姻と暴力の恐怖で他人を操って壊していき、最終的に二つの家庭を壊した。下等な醜男は知性の感じる見た目もいい旦那になり、財産も動産も不動産も子供も全部独り占めした。
可哀想な子達。
ヒースクリフもかつてはそうだった。

一番好きな場面は、エドガー・リントンが死ぬ場面です。私はあれほど美しい最期を初めて読んだのでした。そして泣きました。
容易に想像ができて、その情念は、私の頭の中に世界でもっとも美しい曲だと言われるショパンのエチュードOp.10-3 Tristesse (sadnessとか別れの曲と呼ばれている)を流しました。

……旦那さまはキャシーの頬にキスなさって、こうつぶやかれました。
「私は、あの人のところへ行くよ、愛しいお前も、後からおいで」あとは二度とお体を動かすこともお口をお開きになることもなく、恍惚と輝いている瞳でじっと見つめていらっしゃったと思うといつのまにかお脈が停まり、魂は旅立たれたのです。ご臨終の正確な時間を知っている者は、一人もおりませんでしょう。それほど完全な、何のお苦しみもないご臨終でした。(p.292-293)



ヒースクリフの最期について。
彼は罪業を重ねていた。
でも

「おれは何の悪事も働いていないから懺悔などしないーーおれは、幸福すぎるくらい幸福なのだ、それもまだ完全に幸福ではない。魂の幸福は、おれの肉体を食い荒らしてもまだ満足したいのだ」(p.401)
「……牧師なんかに来てもらう必要はない。遺体の前での説教もいらんーーいいか、おれはもう、おれの天国にたどり着こうとしているのだ。だから、他の連中の天国など、おれの天国の前には何の値打ちもなければ、縁もないのだ!」(p.403)


なるほど。

これは、別作品の台詞ですが、
「地獄の業火に焼かれながら、それでも天国に憧れる」
金田一少年の事件簿オペラ座殺人事件のもの。
この嵐が丘の人達にぴったりな気がした。

みんなそう。

そもそも、人間なんてみんなそうよね。
安らかに眠れる人はきっとどのくらいいるのかしらね。

私には深遠すぎた。
また時間を掛けて読みたい。

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