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随筆(2021/11/16):「反抗期の子供を社会に送り出せるような養育者と同等の立ち振る舞い」という、色恋沙汰における呪われた賢者の石の話(1_0-1_4)(ロマンス以前)

1.色恋沙汰の在り方の発展あるいは堕落

1_0.「色恋沙汰の発達段階」というフランク雑把アイデア

今からかなり益体もない記事を、しかもたくさん書きます。(自分でも唖然とするほど長くなりすぎた)

***

まあ、色恋沙汰の話です。(益体もない…!)

恋愛、クリア出来た人からすると、クリア出来ていない人のやることなすこと、アホに見えるものです。
が、かく言うクリア出来た人が、ちゃんと説明できるかというと、およそそんなことは出来ていない。

「優しさが要で、全てその変奏に過ぎない。その変奏が何なのかは宿題とします」
というのは、よくありがちな話ですが、
「金が全てで、全てそれで買える。何を買うべきかは宿題とします」
と同じくらい、ごみじゃないですか。
そういうアドバイスしか出来ていないのなら、経験者のアドバンテージとやら、他人を道に迷わせるだけだ。無より悪い。

というか、非経験者のニーズとまるでかけ離れた話しか出てこないことがある。
これはある程度はやむを得ません。非経験者が自分のニーズをちゃんと言語化出来ていることはあまりない。断片的なものになる。
とはいえ、その断片的な話にすら答えられていないことかある。これでは経験者のアドなんかある訳がない。非経験者より悪い。

***

自分も、経験者か、非経験者かで言えば、明確に非経験者の側です。
で、経験者の愚にもつかない話に、煮え湯を飲まされてきた側です。

「とにかく街コンに出てノリでアゲて、ヤるところまで行っちゃって、その後でいろいろ整えろ」
「とにかく収入の低さとか全部見なかったことにして、縁談を拙速で成立させて、その後でいろいろ整えろ」
「否。とにかく給料を、一家養えるだけ爆上げしろ。話はそれからだ」
「親戚です。離婚のため裁判があります。もしお前らが敵対したら、ただじゃ済まないので、よろしく」

これで、「ちゃんと婚活しろ」じゃあないんだよな。このどこが「ちゃんと」なのか?
こんなもん、まともに全部聞いてたら、無残な失敗に向かうだけではないか。俺がバカでも分かるよ。
「私を信じて死地に行け」?
人をスナック感覚で死地に赴かせようとするな。恥を知れ。
お前らにそこまでの信頼はない。

***

とは言え、たぶんそれらは断片的には正しかったのだろう。
平たく言えば、彼らが直面した問題のケースでは。
このままでは俺には何の役にも立たない。

そういうのを、自分なりに、整理しなくちゃならなかった訳です。
もちろんそのうちのいくつかは、参考どころか、道に迷わせ破滅に導く、聞かなきゃよかったやつでした。これも私は高い授業料を払ってきている。

***

そうこうするうちに、自分に足りないものが、両手の十指を超えるようになりました。
そういうのを一つずつ「折って」、足りないものを「伸ばして」いく。その繰り返し。
まだ伸びていないものはたくさんあり、何ならやるべきことは増えていく。

***

そういうのを整理しているうちに、ふと閃いた。
色恋沙汰の在り方について考えていると、以下のようなシャバい発達段階めいた回路がシャバにあるのではないか、と思う。
ということで、以下のべらぼうに長い記事を、結果的には書くことになってしまったのでした。

***

実際に、彼らは、それぞれの発達段階においては、正しいことを言っていたのだ。
今俺がそれをやるべきかというと、まるでそうではない、というだけで。

もちろん「今」こんな話されても話にならねえよ。
だが、「後で」参考にすることは出来よう。
そこは、認めた方がいいこともある。
(本当に何の参考にもならん話もあるが…)

「今の自分がやるべきことは何か」を理解して、そこはキッチリやるべきだ。

そして、その前のステップは終わらせておくべきだ。
これが後で足を引っ張るようでは、相手からは
「こいつはこのステージだと思っていたが、そんな大したものではなかった。期待外れだ」
と軽蔑されて置いていかれるであろう。
そんな背伸びなら、要らない。
こっぴどく捨てられても色恋がしたいのならそれでもいいが、少なくとも私は、あれをされるとおよそ愉快ならざるので…
だから、ちゃんと踏まえて行かねばならない。後顧の憂いなく。

だいたいそんなことが見えてきました。

***

欠点を直せても、即効性からは程遠く、当面何のメリットもないことは、多々ある。
心の余裕の話はあるが、やはり心の余裕と自分へのハッタリでやせ我慢を続けるだけでなく、少しはすぐにメリットのあることをやりたい。
そうでなければ、それは
「後でちゃんと報われるが、今は報われてないだけ」
なのか、
「完全に無駄な努力、無駄な投資」
なのか、もっとまずいことに
「詐欺的なビジネスパーソンに吸いつくされて、ある日捨てられるパターン」
なのか、区別がつかない。
最後だったら最悪で、これは何としても避けたいが、本当に佃煮にするほどよくあるあれだ。

ふつうは、「今効き目のある足りないところ」を直すのが、一番メリットが大きく、また迅速です。これがパッと取り出せれば一番でしょう。
「自分はこれに困っており、これをクリアしなければ先に進めない。
今は先の話をされても困る。今の話をしろ。どうすればいい?」
「今これが出来ても、将来すぐに次のことをやらねばならなくなるだろう。
それは、どういう事態だ?
それに備えるにはどうすればいい?」

そんな記事を、これからしばらく書くことになると思います。よろしく。 

***

「小難しい話をしてんじゃねえ。もっとシンプルな話なんだよ、恋愛なんてものは。これだから未経験者は」

それはそういうことを言う人にとって役に立ってきた話だけで、その人以外にとっては断片的過ぎてごみの役にも立たないんですよ。

人んちの前でごみを捨てて、「徳を積んだ」という顔をするやつ、だいぶ考えがおかしいぞ。
「もらわれても嬉しくない、困ったごみをプレゼントするな。ちゃんとしたものを贈れ」
という話、色恋の大事な話じゃないの? 違うの?

まともなものをくれ。体系的網羅的にやれ。
それをやれないんなら、帰ってくれ。マジで。

そもそもこれ、お前「ら」が言ったことの総まとめなんだよな。
今更吐いた唾呑まんとけよ。
日和ってんじゃねーぞ。

未経験者のニーズを無視した、役に立たないアドバイスをする、役に立ってない経験者が、何でこんなに偉そうなのか、サッパリ分からん。
職場でこれやったら、いずれ冷や飯喰らうか放逐されるかだと思うが。
だって、教育的伝達が出来てないんだから。後輩も部下も育てられないんだから。
というか、子育てとかも出来てないでしょ。
やってる? それパートナーにメインやってもらって、美味しいところだけ摘んでいるだけじゃない?
そういうことしてると、いつか棄てられますよ。

***

ということで、今から書く話は、最終的に
「いずれは子育てまで覚悟を決められるようにしておこう」
というところまでは行く話になります。よろしく。

(今から書く項目の間に、もちろん中間項がたくさんあるだろうとは思うが、今回はそこまで掘り下げません)

1_1.そもそも安全安心でありたい。そうでないのに打ち解けて心を開ける訳がない

1_1_1.側に居るとこちらの身の安全を保障できなくなる危険なやつは、恋愛の対象以前に、まずは脅威でしょう

まず、初歩の話として。

これは、実際の色恋沙汰以前の話になります。
別にここから始まる訳ではないのですが、ここから話を進めていった方が話がスムーズなので、「身の安全」の話をします。

「身の安全」は、遺憾ながら多くの女性は意識しているでしょう。
不平不満と敵意のある男性や、敵意はないが粗雑な男性は多く、彼らと付き合っていると安全ではありません。
安心できない相手に、打ち解けて心を開くことなど、まず無理でしょう。
側に居ると身の安全を保障できない危険なやつは、恋愛の対象以前に、まずは脅威でしょう。
そういう感じですね。

「弱いやつは話にならない」と言いたい男がいるかも知れません。
歴史的にも、腕力のある者たちの、特に威力部門の重要な課題は「治安の安定」です。
それが出来ないやつ、よくよく周囲を見ると、
「暴れるくらいには強いが、治安維持能力がないほど弱い。
目的に鑑みて水準に達していない程度の強さに過ぎない。
ごみ」
という扱いになっていることに気付くでしょう。
「強いのにナメられてるじゃねえか。ムカつく」?
何言ってんだ。こんなもん当たり前やろ。半端に弱いし、半端に強さの責任を放り投げてるだけだろ。そんなんで、虫の良い話がやって来るなどと思うなよな。虫が良すぎるんだよな。
暴れるやつを抑え込めず、暴れるだけのやつ、話にならない。

まずは、治安の安定がなされねばならない。脅威のない安全な状態であらねばならない。
そして、打ち解けて心を開くためには、安心できねばならない。ここまで要る。
それが出来てないし、止められないし、何なら脅威の側であるのに、打ち解けて心を開いてもらえると思う方がおかしい。
そういう話をしている訳です。

1_2.仲間内で自分の立ち位置を確保したい

1_2_1.仲間内で自分の立ち位置を確保しないと、超高速で死ぬリスクが高まる

「仲間内での自分の立ち位置の確保」の話もします。

典型的には小学校がそうですが、この時代の社交や処世において大事なのは、色恋沙汰でも何でもなく、仲間内での自分の立ち位置です。
これが確保出来れば社交や処世は容易い。

逆に、ここに失敗すると、面白半分に腹パンされ、机や靴に鋭利な刃物や自然発火物を仕込まれて、誰も助けてくれないまま、超高速で死ぬ。というリスクが高まる。
安全安心でありたいのなら、これは必要な社交であり、処世です。

1_2_2.社交や処世における身の安全のためには、「仲間入り」をしなければならない。それは典型的にはコミュニケーションによるものである

社交処世における身の安全のためには、「仲間入り」をしなければならない訳です。
それは典型的にはコミュニケーションによるものです。
(最悪なこと言ってんなコイツ。
昔のコミュ障だったガキの頃の俺がこれ読んでたら、多分速攻で
「何だコイツ。敵だこのオッサン」
となってると思う)

***

実用の話をします。
よく言われることですが、会話でフックとしてよく使われる
「きどにたてかけし衣食住」
(季節・道楽・ニュース・旅・天気・家族・健康・仕事・衣・食・住)
って、あるんですよ。

これは、

・初手は一番一般的な「季節」「天気」
・それから世間的な「ニュース」
学校の場合、
「バラエティ等のテレビ番組や配信動画番組で、どんな芸能人が何と言ったか」
とか、
「人気の高いゲームの攻略wikiで、どういう新情報が公開されたか」
とかも含む)
・そして自分の時間を長く使う、大きな周囲の場の話である「仕事」の話に入る
(学校の場合、これはもちろん主には宿題等「勉強」のことであり、場合によっては「部活」であろう)

のが、よくあるパターンです。

かなりプライベートな場である「家族」「住」の話や、
個人的な「道楽」「旅」の話は、だいぶ後になって雰囲気が打ち解けてから喋り、
特にデリケートな「健康」はとても気をつけて喋る。

オタクはしばしば「道楽」の話を真っ先にしたがりますが、これをやるとやはりしばしば
「ヒェッ。懐に入って刺しに来た。〇すぞ」
と思われて、全部終わるので、やめた方がよいでしょう。

「食」は、外食の話題は仕事と同列のオフの休憩時間の話でもあるので、案外「仕事」と同列に使えるのですね。「仕事」の後のオフという扱いで、「仕事」の後くらいにやるとよいでしょう。
「衣」の話も、仕事やオフの時間に人と会う時の対外的な武装の話が多いはずなので、これも案外「仕事」と同列になります。対外的な武装なだけあって、目立つので、「仕事」の前くらいに挟むとよいでしょう)

1_2_3.危険人物から誰かを助けることは命懸けであり、何なら虐殺の始まりであり、そんな覚悟のある子どもはまずいない

何で誰も助けてくれないのかというと、そりゃあ簡単です。
誰かが酷い目に遭わされているという非常時に、その誰かを助ける。
というのは、「傍目からは」出来ていて当たり前かもしれませんが、実際には

誰かを酷い目に遭わせて躊躇のない危険人物に、今度は自分が襲撃されるリスクがある。報復されるリスクはもっと高い。何なら家族友人標的になるだろう。
それでも、人道のためなら断固やるし、自分も家族も友人も危地に巻き込まれてもらう。
そして、後のことを考えよう。誰かのついでに自分や家族や友人を守るためには、危険人物を相手に先手打って「非常手段」をしなければならない。
成り行きで手を赤く染める。何て面倒なんだ。
それでも、人道をやろうとした結果、この手の脅威がかなり高確率で避けがたいんだから、断固やるんだよ。
報復のことを考えると、そいつを野放しにしたし、味方に付く可能性の高い、そいつの家族や友人先手打って「非常手段」で適正に処理しないと危ない

秒で覚悟を決めた、非常の精神を持つ人のムーブだからです。
脅威との戦い方を呼吸のように練っている、治安系の侠気の人、自警団員の発想だ。
(もちろんこれは脅威と紙一重です。
ここが混同されがちなので、かなり少なくない男が危険になるのです。
上にも触れましたが、安全をもたらす安心できる男はニーズがあるが、脅威をもたらす危険な男にはあまりニーズはない。むしろ、ふつう、嫌われる。
後者は前者より楽だろうが、そんな安直ではいけない。逆効果なんだから

当然ながら、そこまで非常の精神を練り上げるのはなかなか簡単ではない。
そして当然、小学生はたいてい、練り上がっていない子供です。
彼らが、彼らや関係者の身の危険が伴う最適解を、しかも秒で連発出来る? 何でそんな期待をしている?

「出来ていて欲しい」ということと「実際に出来そうだ」「してくれそうだ」ということには、広く深い隔たりがある。分かりますね。
彼らにそんな能力も、意図も、ある訳がないんですよ。

さらなる地獄の話になりますが、下手すると、教師ですら発達が足りていないことが多々あり、そうなるともう本当に誰も助けてくれません。ほぼ詰み。おしまいです。分かるでしょう。
こうなるともう、仲間内での自分の立ち位置、死活問題です。本当に大事。
(そこから逸脱しても生きていける方法はありますが、それは次節で説明します)

1_3.承認されるだけの風格が欲しい

1_3_1.承認されるだけの外形的即物的な才能を研ぐ

さて、仲間内での自分の立ち位置を得たい。そういう動機が目的としてある。
では、その手段として、どうするか。
たいていは、「こいつは遊んでて楽しい」とか、
「こいつは心を開きやすい気安さがある」とか、
「こいつは人を優しい気持ちにさせる愛嬌がある」とか、
「こいつは陽気で面白い」とか、
「こいつはカッコイイ」とか、
「こいつは運動神経が優れている」とか、
「こいつは頭がいい」とか、
「こいつはリーダーシップがある」とか、そういうのの結果として、
「こいつは風格があり、ザコではない」と思われることです。

1_3_2.風格があると思われたいし、ザコだと思われたくない

もちろん、生き延びるためには、風格のある人としての立ち位置を得たい訳です。
ザコとしての立ち位置を得たら、そこでジエンドです。
面白半分に腹パンされ、机や靴に鋭利な刃物や自然発火物を仕込まれて、誰も助けてくれないまま、超高速で死ぬ。というリスクが高まる。既に説明した通りです。

子供というものは、ザコだと思った相手には、果てしなく残酷なものです。
例えば、しばしば子供は、ザコだと思った相手のスマホを、他人が勝手に投石感覚で用水や池に投げ捨ててよい性質のものだと思っている。そういう言動が、しばしば散見される。

1_3_3.「「ザコだったら暴行陵虐してよい」というのはおかしい」という大人の理屈は、子供の現場においては効果が乏しい。ふつうにザコだったら暴行陵虐される

もちろん、自分の私的領域の自由や私有財産の所有を脅かされたくない人の中で生きていく以上、他人の私的領域の自由や私有財産の所有を脅かしたら、そんなもんメチャクチャ揉めるに決まってる。
だが、そういうのが分かってくるのも、発達の賜物であって、それが出来てない人、いるからね。子供だと特に出来てないことが多々ある。

そういう状況下で、
「風格があるかどうかは関係なく、人をおもしろいおもちゃやみせものとして弄んではならない」
という大人の話が、子供たちに分かるか、というの、あまりにも高望みに過ぎる。

当の子供たちにとっては、
「この、仲間内の立ち位置や風格がなければ生きていけない、という構造自体がおかしい。『外』に出よう。
つまりは、「人をおもしろいおもちゃとして弄んではならない」という『外』の倫理を受け入れて導入しろ」
という大人の対処法を取るのは、かなり面倒だから後回しにしたい。ムラハチの地獄の中で、そんなことやっている余裕がないことも多々ある。

もっとシンプルに、「この構造の『中』で、勝ちパターンをとにかく構築しておく」ことを狙っていった方が、生き残りやすい。

平たく言えば、この場合は、「承認されるだけの風格が欲しい」というやつです。結局は、楽しさや、気安さや、愛嬌や、陽気さや、かっこよさや、運動神経や、知能や、リーダーシップなど、あるとザコからは遠くなる、外から見えるような即物的な才能が要ります(だいぶえげつない話をしている)

1_3_4.立ち位置がなくても風格でしのぐやり方はある(それなりのリスクはある)

ちなみに、「仲間内での自分の立ち位置の確保を行えていない」場合でも、風格があれば、つまり「あいつはああいうやつだから、面白半分に害する相手ではない」と思われれば、例外的に生き残りやすくなるでしょう。
そんな人の机や靴に、鋭利な刃物や自然発火物を仕込む人、あまりいない。

(ただし、もし、例えば不良路線をやる場合、同じ不良と喧嘩になったら、「不良の本懐は『ナメられたら殺す』これに尽きる」と全ギレした彼らに、速攻で机や靴に鋭利な刃物や自然発火物を仕込まれるか、もっとえげつないことをされるので、この路線ももうおしまいですが)

(あと、言いたくありませんが、不良が多いヤンキー学校において、さっき言った「「ザコだったら暴行陵虐してよい」というのはおかしい」という大人の理屈が、一ミリも効果がないことは、よく聞く話でしょう。そんな責任の取れない話をしてはいけないんです。何の意味もないんだから。もっとバチバチに目の前の世俗世間に向き合わなきゃならん

1_4.キラキラしたものが欲しい

1_4_1.風格のためのセールスポイントを要求し、あるいは甘受することでしか、出来ない社交や処世がある

そんな訳で、極めてムゴイ話ですが、風格を「表す」ものとして、つまりは「セールスポイント」として、キラキラと輝くものに憧れる、というメンタリティが、あり得る訳です。(本当にムゴイこと言ってんなお前)

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ここまでは、実際の色恋沙汰というより、「キラキラした背の高いカッコイイトロフィー」が求められているかどうかという話に過ぎない。

1_4_2.社交や処世と関係ないキラキラを求める感性自体がもう既にオタク

「自分の風格は知らないが、もっと単純に、端的にキラキラしたものが欲しいんだよ。それを自分の風格というエゴイスティックな話に収斂させるんじゃあない」という人もいるかもしれない。

それはそれでもちろん素晴らしいことだと思いますよ。
ただ、言いたくないが、それは世間的には「社交から逸脱した趣味をやっている、社交としての趣味をやらない、趣味が自己目的化した気持ち悪いオタク」という扱いになると思います。

唖然とすると思いますが、世の中には
「趣味は楽しむためのものである以上に、社交や処世の手札である」
「趣味を楽しんでいるにとどまっているやつの楽しんでいるような趣味は、本人はともかく、傍から見たら気持ち悪い、傍流もいいところである」
「気持ち悪い傍流の人も本も、焼いても特に非難に値しないし、人や本を焼くことに何らかの公益性があるのなら、そりゃあ本を薪にして人間松明を作るの、不快なものを除き公益をもたらすんで、二倍正義ですよ。それ以外の何か?」

というムーブを呼吸のように繰り出す人たち、たくさんいるんです。
そんな中で、趣味だけを抱いて、社交や処世をやらないの、とてつもなく大変だ。
そういう大変さが、「自分の風格の道具としてでなく、単にキラキラしたものに憧れる」という在り方にも、常に付きまとい、何かの拍子に牙を剥いてくる。

1_4_3.高潔さゆえに、他人を道具にしないことで、報復は受けなくなるが、ある種の社交や処世からは干される

「自分の風格のための道具としてでなく、単にキラキラしたものに憧れる」
というのは、何かしらの意味では「高潔」かもしれない。
少なくとも彼らは、
「キラキラしたものは、自分の風格のための道具ではない」
などという感性を採用している。これを、私は、ある種の高潔さとして評価したいんですよ。

それに、これはつまり、
「キラキラしたものは、自分の風格のための道具として扱って当然だ。
それが木石ならぬ人であろうが、要は同じことだ。
それをやるのが賢いということであり、訳分かんない遠慮をしてやらないで自分が損をするのは、非常に愚かしい」
などという人をナメきった発想は、基本的に採用してはいない。ということだ。
トロフィーとして扱うことに何の抵抗もない人達よりは、トロフィーで刺殺や撲殺をされる確率は低い。そういう意味では身の処し方が出来ている。

だが、その手の高潔さが、社交や処世の文脈で評価されているとは、到底思いがたいのも確かだ。
むしろ、
「そういう純度の高さは、実践をしていないやつらのキレイゴトである。
しかもこいつらのこれは醜いから、キレイゴトとしての価値すらない、単に気持ち悪いだけだ」
という扱いだと思った方が、より世俗世間的にはリアルであるとすら言える。
高潔な人たちのその高潔さ、純度の高さは、間違いなく素晴らしい。胸を張っていいと思いますよ。
ただし、純度が高ければ、それでいい、というものでもない。そういうことです。
(これについては後の記事でもう少し詳しく語ることもあるでしょう)

1_4_4.風格のない人が、こっそりと風格を示すセールスポイント

あと、トロフィーとしてはともかく、「自分だけはこの人の良さが分かる」という趣味人(しゅみっと)の感性というものもあり得ます。

それは、パッと分かる風格のない人が、こっそりと風格を示す何らかの良いセールスポイントがあり、目利きのある趣味人それを見ることが出来るようになっている。ということです。

こういう感性そのものが、審美的な感性がある意味で熟したから可能なことであり、その熟成そのものは素晴らしいものですが、下手するととてつもなく気持ち悪くなります。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』の山田杏奈が市川京太郎をそういう目で見ているの、本人たちはそれでいいのでしょうが、『スナックバス江』の森田を否応なしに連想してしまうんですよね(本当に酷いこと言ってるなあ)

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さて、ここからいよいよ、一般に色恋沙汰に密接なかかわりのある、「ロマンス」について書かないと、今までの話全部デタラメになってしまうのですが…やたら長くなってしまったので、また次回のお楽しみに。

(以下、続く)(まじかよ)

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(とりあえず中間生成物として置いておきます)

そもそも安全安心でありたい
→仲間内での自分の立ち位置の確保
→承認されるだけの外形的即物的な才能を研ぐ
→承認されるだけの風格
→キラキラしたもの・隠された輝き
→色恋ロマンティック特大感情

(以下、続く)(今度こそ)

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