声の力・文字の力 vol.2💬「声・音自体が持つ力」
前回は文字(文書)の特性をまとめました。
文字は人類の大発明で、とても素晴らしい機能を持つツールですが、一方で人工的で冷たい印象を与えてしまうという側面もあります。
例えば、相手の意に沿わないことを伝えたり、注意したりしなければいけない場合は、メールではなく直接本人と相対して(もしくは電話・オンラインツールで直接話して) 伝えましょうと、弊社の文書研修やEメール研修でも受講者の方に伝えています。
これは文字(Eメール)ではメッセージがストレート過ぎて、そのメッセージに含まれる相手への攻撃性に対する緩衝となるような、温かみや相手への配慮などの人間味といった部分がなく、冷たく感じられることに起因しています。
声・音が持つ力(古代から現代の例)
声や音には、内容とは別にそれ自体に力があります。
例えば、古代には、武家の棟梁・清和源氏の源義家が、病気で悩まされている天皇に対して「鳴弦(めいげん、矢をつがえず弦を引いてびゅんびゅんという音を出す)」を行った所、天皇の病気が治ったという話があります。
これは、音だけではありますが、「武の達人が弓で天皇に近づく魑魅魍魎をやっつけた」という行為です。武の達人が出す音にはその人自身の人格が乗り移り、特別な力を発揮すると考えられていました。(こういう武の力を「辟邪(へきじゃ)の武」といいます)
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現代でも、例えばサミットや紛争の調停を行う際には、国家の首脳がわざわざ現地に行って、直接話をし、そこで決められたことは声明や共同宣言として発表されます。
その際、メッセージを伝えるという点では、声明や宣言の内容が文書で公開されるだけでも良いのですが、国家首脳である本人が生の声で「これからはこうしていきましょう」とか「もう争いはやめましょう」と言うこと自体に意味があります。
これは、書かれたものが発表されるだけでは、当事者が書いたかどうか疑わしいということや(芸能人の結婚・出産報告でのマスコミ各社へのFAXの直筆署名はそうした部分がありますが・・・)、注目が集まらないという合理的な理由ももちろんありますが、それだけでなく、「重要なことについては本人が直接、姿を見せて肉声で話をしなければ、大勢の人に対して力を及ぼせない」、そんな文字が発明されていなかった時代の名残りがうかがえます。
見る・読む場合は、視覚で能動的に理解するのに対し、聞くという行為には、受身で情動的に、いきなり人間の深い生理にまで伝わって人を従わせるような力があるということも関係しています。
書くこと、話すことの得手不得手
話のうまい人は、書くのはいまひとつ。書くのが得意な人は、話すのがあまり上手ではない。もちろん、どちらも達者な人も多いと思いますが、書く・話すは得意、不得意が分かれる所です。
その要因は頭の回転力、声色、声量、声の出し方、間の取り方・・・、 そのような能力、テクニックの差もあると思いますが、声や音のもつ力のことを考えると、特に、得手不得手を分ける大きな要因は、その人が持つ「人間力」「外に押し出すエネルギーの出し方」などではないかと思ってしまいます。
私は書く方は何とかやっていますが、話すのはいまひとつです。秘めたる思いや熱意はありますが、それを自分の声で出すのは恥ずかしいと思ってしまう質で、リーダーシップが弱い所が悩みです。
――(次回 vol.3へ続く)
▼メディア事業部の責任者 小林さんが綴る「声の力・文字の力」前回はこちら