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恋愛界における寝そべり族のススメ
どうせ異性に搾取されるのだから、恋愛に参加せず社会生活に支障のない程度に外見を整えるコストも放棄して、性欲は自慰で発散していればいい。
どうせ異性に搾取されるのだから。
我々の中にある平穏の敵
平穏な生にしろ平穏な死にしろ、その敵は我々の本能である。
『生きていなければならないのですか』
そんなに生きていなければならないのですか、と思う。
終わらない苦痛を抱えて生きていく必要があるのかわからない。
私達は自分の意志で、自分で選択して生まれたわけではない。
せめて終わりは自分の意志で選択して終わりを迎えられるように願う。
意思表明ができなくなる前に。苦痛が耐え難くなる前に。
存在しなければならないという呪い
我々は『存在しなければならないという呪い』をかけられている。
遺伝子レベルで与えられたこの呪いは医学の進歩によって苦痛を伴う段階(終末期とは限らない)にも社会によって適用される。
これはどうもおかしい。
回復不可能な苦痛を伴う生を強いられる段階で、存在から離脱できる選択肢があるべきである。
ここでは選択肢の問題をしている。意思確認は必須であるが、それによって選択が遮られることはあってはな
生存は善なのだろうか(終末期編)
生存が善であり死亡が悪であるというのは間違っているのではないか。
特に医療現場におけるこの常識は費用面からも、当人の苦痛面からも見直されるべきではないか。
これは終末期医療における消極的/積極的安楽死カテゴリの問題であり、自殺防止型安楽死カテゴリの問題ではないが、この条件においては必ずしも生存が善であり死亡が悪であるとは言えない。
ここではこの議論を苦痛を味わう人間に広げることはあえてしな
老病死を与えること
子供を作る、生を与えるということはそれだけで老病死を与えることである。
これほどに非人道的なことは私には出来ない。
無から生命を引き出していずれ訪れる死を与えるなど考えるだに恐ろしい。
こわいことばかり
毎日こわいことばかりの中に居る
競争の勝利を闘い、生をつなぐことが、多くの個体にとって不幸につながることについて
競争においての勝利者はごく僅かであり、大多数は敗退して消えていく。
多くの競争(生存競争、競技・技能における競争を含む)は大抵がこのロジックで解決する。結論から言えば『参加するな』である。
これを大まかな数的モデルのようなもので表してみる。以下に表す数値はいわば適当なものである。
指導者は10,000体の参加者にそれぞれ10の資源を与えて(指導者がここに投資する資源の合計は100,000+手数料で
こわい
こわい