インサイト@ねこは救済

人生終わってる変人のnote。 創作活動を包括する個人サークル↓ https://pr…

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人生終わってる変人のnote。 創作活動を包括する個人サークル↓ https://protblue.web.fc2.com/index.html アイコンは 蒼燐檎 https://twitter.com/Aoringo_Orin 様に 描いて頂きました。

最近の記事

恋愛界における寝そべり族のススメ

どうせ異性に搾取されるのだから、恋愛に参加せず社会生活に支障のない程度に外見を整えるコストも放棄して、性欲は自慰で発散していればいい。 どうせ異性に搾取されるのだから。

    • 我々の中にある平穏の敵

      平穏な生にしろ平穏な死にしろ、その敵は我々の本能である。

      • 温暖化の噂

         地球温暖化の噂が近頃少なくなったように思う。ラストチャンスを逃したのだろうか。  反出生主義の目的は人間生命体の絶滅であるから、これは他の要因によって実現されたとみなしてもよいのだろうか。それとも、理性的な反出生の意思によって実現されなければ反出生主義とみなされないのだろうか。  私には『理性的な反出生の意思による絶滅』は不可能に思える。宗教などの共同体システムはそれ自身の保身のために出生を称賛する。これらの絶滅はほぼ不可能である。彼らは死後の世界という証明不可能なものを武

        • 『生きていなければならないのですか』

           そんなに生きていなければならないのですか、と思う。  終わらない苦痛を抱えて生きていく必要があるのかわからない。  私達は自分の意志で、自分で選択して生まれたわけではない。  せめて終わりは自分の意志で選択して終わりを迎えられるように願う。  意思表明ができなくなる前に。苦痛が耐え難くなる前に。

        恋愛界における寝そべり族のススメ

          存在しなければならないという呪い

           我々は『存在しなければならないという呪い』をかけられている。  遺伝子レベルで与えられたこの呪いは医学の進歩によって苦痛を伴う段階(終末期とは限らない)にも社会によって適用される。  これはどうもおかしい。  回復不可能な苦痛を伴う生を強いられる段階で、存在から離脱できる選択肢があるべきである。  ここでは選択肢の問題をしている。意思確認は必須であるが、それによって選択が遮られることはあってはならない。

          存在しなければならないという呪い

          違い

           いわゆるブラックピル、「生殖の社会システムが私を拒絶するがゆえに私は生殖システムを拒絶する」と反出生主義の「生殖の社会システムの態度に関わらず私は生殖システムを拒絶する」は主義として違う。  主義として違うものの、結果として同じであり移動することもある。  ただ、違うことは認識しておくべきである。

          共同体と遺伝子は生殖を欲するが個体は必ずしもそうではない

           共同体は存続するために生殖を欲する。遺伝子も遺伝子自身の保存のために生殖を欲し、ヴィークルである我々をそう作り上げる。  しかし個体である我々にとって生殖は本能によって定められた不都合である(場合もある)。特に生殖衝動、性欲を他で発散できるようになった現代においてはそれが顕著である。  生殖衝動を発散せしめる方法が指数関数的に増加しつつある現代において、生殖は割に合わない選択肢になりつつある。もっとも生殖衝動を生殖行為によって実行する個体に有利な淘汰圧は存在するが、淘汰圧に

          共同体と遺伝子は生殖を欲するが個体は必ずしもそうではない

          生存は善なのだろうか(終末期編)

           生存が善であり死亡が悪であるというのは間違っているのではないか。  特に医療現場におけるこの常識は費用面からも、当人の苦痛面からも見直されるべきではないか。  これは終末期医療における消極的/積極的安楽死カテゴリの問題であり、自殺防止型安楽死カテゴリの問題ではないが、この条件においては必ずしも生存が善であり死亡が悪であるとは言えない。  ここではこの議論を苦痛を味わう人間に広げることはあえてしない。日本では時期尚早だからである。あくまでも終末期医療またはそれに近いステージに

          生存は善なのだろうか(終末期編)

          老病死を与えること

           子供を作る、生を与えるということはそれだけで老病死を与えることである。  これほどに非人道的なことは私には出来ない。  無から生命を引き出していずれ訪れる死を与えるなど考えるだに恐ろしい。

          老病死を与えること

          感情より理性を優先するべきであること

          前書き  このnoteには、感情より理性を優先するべきであるということが書いてある。 感情より理性を優先するべきである根拠  進化心理学を待つまでもなく、感情は古い環境を参照している。自然淘汰システムを利用して進化した感情は、自然淘汰システムを利用しているがゆえに、少なく見積もっても産業革命後の急速な技術発展についてくることが出来ていない。  チェリーピッキングかもしれないが具体例を示す。  ・ダイエット及び食生活に関わる全般に近い領域。  ・我々は卑猥なことを未成年に

          感情より理性を優先するべきであること

          反出生主義は今こそ見直されるべきではないか。

          前提  反出生主義(ここでは厳密に言えば反生殖主義)というワードが世を賑わせて久しい。生存の苦痛を分け与えないという崇高な思想に思えるが、社会維持には明らかにマイナスである。  反出生主義とは、生存そのものを苦痛とみなし、子供を産み育てることを倫理的罪悪とする哲学的立場である。 実践の可能性  そもそも反出生主義を実践するにあたって、性欲処理の問題はつきまとう。現代のテクノロジーによるポルノグラフィなどの供給によって、ようやく反出生主義を実践するにあたっての性欲処理が可

          反出生主義は今こそ見直されるべきではないか。

          『発達障害者は子供を作ってはいけないのか』に対する批判

          前提  近頃のX(Twitter)で、発達障害者自身が子供を作ってはいけないという意見が目立ち、それに反発する形で『人間には数限りないマイナス特性があるのに、なぜ発達障害に限って子供を作ってはいけないとするのか』という反論があった。引用はしない。 とりあえずの返答  その答えは一概には言えない。各々にスペクトラム的なスケールがあり、スペクトラムに対してラインをどこで引くかも各々で違うからである。(連続した症状変数・環境変数の中でのライン引きは難しい)。極端なラインの引き

          『発達障害者は子供を作ってはいけないのか』に対する批判

          こわいことばかり

          毎日こわいことばかりの中に居る

          競争の勝利を闘い、生をつなぐことが、多くの個体にとって不幸につながることについて

          競争においての勝利者はごく僅かであり、大多数は敗退して消えていく。 多くの競争(生存競争、競技・技能における競争を含む)は大抵がこのロジックで解決する。結論から言えば『参加するな』である。 これを大まかな数的モデルのようなもので表してみる。以下に表す数値はいわば適当なものである。 指導者は10,000体の参加者にそれぞれ10の資源を与えて(指導者がここに投資する資源の合計は100,000+手数料である)、冒険航海(もちろん比喩的な表現である)させる。10の資源を与えられた参加

          競争の勝利を闘い、生をつなぐことが、多くの個体にとって不幸につながることについて

          トラックボールはたしかに気分が良い。そして傾斜が欲しくなる。

           ELECOMのM-XT2URBK-GというトラックボールをAmazonで購入して使っている。確かに親指のみでマウス移動が完結するのは快適である。その分解能?上、原理的には精密な移動には向かないが、このトラックボールにはマウスカーソルがゆっくり移動するモード(ボタン)があるので問題はない。  前々からトラックボールが欲しいと思っていたものの、値段が高く手が出なかったのがある。また、マウスは消耗品であり、数多くのマウスでチャタリングを経験していた私は今一つ手を出せなかった。

          トラックボールはたしかに気分が良い。そして傾斜が欲しくなる。