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三十路のための青春論 『最終兵器彼女』とセカチュー、青春パンクをMDウォークマンで

ぼくらは何歳から『ライ麦畑でつかまえて』を読むのが恥ずかしくなるのか?


ライ麦を若いうちに読むべき本当の理由


読書好きとして振る舞うために読んでいないのは恥ずかしい。しかし今さら読むのも恥ずかしい。そんな小説がある。
その一つが『ライ麦畑でつかまえて』だ。
詳しい紹介は省く。だって読んでるよねぇ?まさかねぇ?

さて、この小説は「若いうちに読むべき」と紹介されることが多いが、「感性が若いうちに」といった理由であったらその推薦者は読んでいないだろうし読書もさほど好きではないいんちきだ。
若いうちに読むべき理由は、これが「永遠の青春小説」だからだ。
大手を振って読めるタイミングを逃すと隠れてびくびくしながら読むはめになる。


しまった!ああ、迂闊だった。様ない。よりにもよって青春である。「永遠」だけならまだしも、青春だ。落ち着け、落ち着け……

ああ、青春ね。青春、青春だね。なんてことはない、青春である。よくある青春、はいはい青春ね。
おや、その青春は?私に下さるのですか、あの、お代のほうは、はあ、三十銀ですか。なる程、はははは。
いや、お断り申しましょう。殴られぬうちに、その青春ひっこめたらいいでしょう。青春が欲しくて訴え出たのでは無いんだ。ひっこめろ!
すみません。たのみます。たのみますからひっこめてください。

青春とはなんだったのか

覚えて置くがよい。おまえは、もう青春を失ったのだ。もっともらしい顔の三十男である。

太宰治著「東京八景」

青春。
三十路はこの言葉を前にたじろぐ。
青春よ。お前とはもう終わったはずだろう。私は既に一箇の家庭人となったのだ。もうお前みたいな支離滅裂情緒不安定性慾魔人不遜高慢卑屈屁理屈産地直送煩悩乱心爛漫常時錯乱切裂魔霧吹魔言葉切磋琢磨LikeA御用牙はマジ無理だ。

しかし青春よ。お前は若々しく、活力に溢れて、美しい。だからこそやめてくれ。わしには強すぎる。
私は「おまえは、もう青春を失ったのだ」と自分に言い聞かせねばならない危険な年齢なのだ。
青春に無闇矢鱈にふれると、例の「いつまでも少年の心を忘れない」おじさんから漂う強烈な加齢臭が、自分から漂うかもしれない。
街の小さな酒場で店主と妙に親しげに話し、茶色く染めた長い髪に見逃せないほど白髪の混ざっている、あの中年のフランクに話しかけてくるその顔には、「若者ともフラットに話せる俺」の色が浮かぶ。そのくせ私の酒代は払わない。
そんな中年の浮ついた香水を突き抜ける加齢臭が自分からするかもしれない恐怖。やめてくれ。

だからこそ敢えて青春について、いや、青春とはなんだったのかについて考えてみたい。
きっぱりと訣別するために。今日限りで青春とは訣別するのだ。
そのためにはまず三十路はセカイ系と青春パンクと純愛とを倒さねばならない。
そして、ホールデン、私は、お前を葬り去るのだ。


『最終兵器彼女』(2000年)ボクとキミの第三次世界大戦的恋愛

青春モノの賞味期限は短い。
思春期に熱中していたコンテンツを今も同じテンションで楽しめることは少ないだろう。
なぜならキャラクター達を通して経験する恋愛、社会、諸々の葛藤も、年を取ると「いや、まあそうはいってもね」ともっともらしい顔で、それらしくやり過ごすようになるからだ。
もちろん青春モノにも再読に耐えるものもある。それらは読み手に応じて様々な読まれ方に対応する懐の深さがある。『めぞん一刻』と『プラネテス』は未だに読み返している。

今でこそこんなしたり顔の私にだって、『最終兵器彼女』に骨の髄から共感していた頃があった。本当だ。バイブルだったんだ。


しかし何年か前にBOOK OFFで全7巻セット600円を買って再読したが、あれだよ、うん、説教をしたくなった。
「君達、うだうだ考えてないで生身と相手とちゃんと向き合いなさいよ?」と
あれ?あの感動はなんだったの?

ただ『最終兵器彼女』が子供騙しだと言いたいわけではない。
最終巻のあとがきにこのような一文があった覚えがある。

「二人の思春期的な恋愛を描くことに全振りしたので、数年後に読み返しても共感はできないかもしれません。その時は他の誰かにこの本をあげてください」

この再読不能宣言に数年越しで納得した。
『最終兵器彼女』は徹底的に他の読まれ方(大人の目線)を排除して、第三次世界大戦的恋愛真っ只中の思春期男女の主観だけを描くことによって、第三者のいないキミとボクだけのセカイ系の極地をやり切ったのだ。
『最終兵器彼女』は青春の賞味期限の短さを逆手にとって瞬発力に特化したのだ。そして狙い通りに思春期真っ只中の私は撃ち抜かれた。

高橋しん著『最終兵器彼女』

数年ぶりに再読を終えた私は、著者の言いつけに従いBOOK OFFに売りに行った。80円くらいだったと思う。少なくとも100円にはならなかった。
買値と売値の差額数百円と引き換えに青春とは刹那的な狂気だと教えてくれた。これも再読の面白さだと思う。

『花と奥たん』完結したのか。読まなきゃ。


青春パンク(2001年頃)「青春」の再発見。好きなバンドの歌詞をラブレターを書いたことは内緒にしておこう。

猫も杓子も青春パンクだった。

しかし私は小学生の頃からデッド・ケネディーズやスターリンを聴かされる英才教育を受けたリアル・パンクロッカーだった上に思春期らしく「ケッ!ファッションパンクどもが!」と反発していた。
その青春パンクというフレーズからして広告屋の軽薄なプレゼンが透けて見えるんだよだのと。
しかもよりによって金八ソングのパンクカバーがヒットだと?

高見広春原作・田口雅之漫画『バトル・ロワイアル』

これはシド・ヴィシャスの"my way"のカバーをパクってるんだよな?PVは時計じかけのオレンジよろしく金八をなぶり殺しにするんだよね?
その顔面に唾を吐きかけて「贈る言葉」白抜きドンッだよね?

え、違う?なんだよぉ……
パンクってさぁ、もっとこう、あのぅ……もっと陰気でさぁ……金八先生とは仲良くなれないタイプのさぁ……

と大変にめんどくさい中学生であった。
しかし毎月買っていた『Go!Go!ギター』に掲載されていた青春パンクの曲を熱心に練習していたのも私だ。
青春パンクとされたバンドもアルバムで聴くと練り込まれて聴き応えのあるものも多かったと知っている。しかし大体はパンクではなくメロコアやパワーポップ、クロスオーバーだ云々。
ただそれでは多数派である邦楽層に響かない。そこで「青春パンク」という言葉が作られたのだと思う。
古臭い「青春」と最近は流行らない「パンク」を繋ぐと「キラキラとした若さ溢れる新しいなにか」になるケミストリーだ。とても優れたコピーライターの仕事だと思う。青春パンクは大成功したが、すぐに消えていった。
青春パンクの下駄を履かされなければ長生きできたバンドもいただろう。前項で見た通り青春の賞味期限は短いのだ。

一方で銀杏BOYZはその青春パンクの中でも、「青春」と「パンク」をそのまま繋げた特殊なバンドだった。

君のパパを殺したい
君のパパを殺したい
君のパパを殺したい
僕が君を守るから

あの娘に一ミリでもちょっかいかけたら殺す/銀杏BOYZ

思春期(童貞)の支離滅裂で視野狭窄な世界をそのままパンクに乗せたのだ。
好きな女の子が援助交際をしているという噂を聞いて悶々としたまま商店街を自転車の変速を一番重くして走り回る乱心爛漫な童貞。これぞ青春。まさに狂気

青春パンクという言葉は廃れて久しいが、金八ソングのカバーから童貞の狂気までを包括して世間に提供した功績は大きい。
いや、さすがに私もラブレターに「君のパパを殺したい」とは書いたことはないよ。ほら、太陽族とか175Rとか。いや、僕は青春パンクというよりポスト・グランジの系譜に……

『世界の中心で、愛をさけぶ』(原作小説2001年、映画版2004年) 純愛ブームと一億総発狂時代

セカイ系と青春パンクは思春期的な支離滅裂な視野狭窄を前面に立てたジャンルであることは既に見てきた通りだ。そこでは青春が惜しみなく露出されまくり消費者もそれに没頭していた。
しかしこれらはあくまで若者文化・サブカルチャーの範囲であった。
社会現象と言われた元祖セカイ系エヴァも、「新世紀エヴァンゲリオン Airまごころを、君に」の1997年興行収入順位では10位(14億円)であり首位の「もののけ姫」の興行収入113億円比べると1割程度の規模であった。

この青春の狂気を臆面もなくメインカルチャーに登場させたのがあの純愛ブームだ。
その筆頭が『世界の中心で、愛をさけぶ』である。原作小説の発行部数は300万部以上、映画版の興行収入は80億円で2004年度の2位という圧倒的な数字だ。
『ノルウェイの森』と新世紀エヴァンゲリオン以後のセカイ系を合体させ、打ちに行って本当に打ったような作品だった。

新世紀エヴァンゲリオン最終話タイトル


あらすじを確認しよう。

白血病で死にそうな彼女と約束だったオーストラリア旅行に行こうとして病院を抜け出すも空港で彼女が倒れて「助けてください!助けてください!」
残った彼は大人になっても彼女のことが忘れられない。17年も亡くした恋人を一途に想う。

映画版の中で、彼女(誕生日が先)の彼(後)がこんな会話をしている。

「オレが生まれてきたのは亜紀のいる世界だったんだ」
「待ってたの、私はずっとサクのいない世界でサクが生まれるのを、私は待ってたのよ」
「亜紀はたったの3ヶ月とちょっとじゃない。それってずるくない?(オレは)これからずっと(一人)だよ」

これは発狂ですね。もうセカイの中に自分と相手しか見えなくなっている典型的な支離滅裂で視野狭窄な青春a.k.a発狂である。社会性ゼロ。

もちろん私も小説を読んでいたく感動し友人の石田くんから借りパクした。

ただしこれが全年代にヒットしたのだ。正に一億総発狂だった。
その後続々と「いま、会いにいきます」「恋空」「冬のソナタ」などがヒットしていく。
当時の私は自分を棚に上げ、こう言いたかった。
「社会、しっかりしろ!」「正気か!」

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(2003年)「永遠の青春小説」の再登場

こうして整った完璧なタイミングで真打が登場する。
村上春樹×ライ麦畑だ。
もう予告ホームランどころか出てきた時点でホームランでいい。

ではこの永遠の青春小説はどんな話なのかおさらいしよう。読んだことはあると思うが。

奇行を繰り返し学校を退学になったが実家には帰りにくくヤケクソで童貞を捨てようと買った娼婦にバカにされポン引きに殴られ誰にも構ってもらえず頼れる人もなく所持金も尽きかけ賑やかなクリスマスの街を徘徊しながら死んだ弟の幻に「僕を消さないで。頼むか消さないで」と話しかけ続け、最終的には精神病院へ送られるがそこでも相変わらず支離滅裂なことを言い続ける少年の話。

何度読んでもこうとしか読めない。
これを「永遠の青春小説」とするのは、あまりにも痛々し過ぎではないだろうか。
しかしこれは間違いなく青春の話だし、永遠なのだ。なにせ元になった短編のタイトルからして"I AM A CRAZY"だったのだ。
この顔はどう見ても狂人のそれ。↓

「繊細すぎるあまり誰からも理解されない子供の心温まる物語」

上掲画像の煽り文句

心温まる?何いってんだ?
孤独な狂人の物語だぞ?この主人公の将来『地下室の手記』の狂った世捨て人だぞ?

しかしそれこそが青春だ。

疲れたから続きは次回。


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