異世界にアクセスする3つの方法

ファンタジー作品の核となるのが、この世のものとは違う不思議な存在である。

日本の異世界転生作品のことを世界でも「isekai」と呼ぶらしい、というツイートが最近話題になっていたが、本稿での異世界とは、例えば森に住む奇妙な生き物(それは低い声でトォ〜トォ〜ロォ〜、と鳴くかもしれない)や、誰も知らないコロボックルたちのコミュニティ、里山で人間に化けて暮らしているキツネの一家など、広い意味で使用することとする。

これら異世界との「出会い方」があまりに不自然だと、作品全体が胡散臭くなってしまう。いかに自然に出会うかが、作品にリアリティを持たせて、ファンタジーを成り立たせるための鍵となっている。

そのアクセス方法は、大きく3つの要素に分けられると思う。
1つは、主人公自身が抱えている問題が、異世界を呼び寄せるパターン。
学校ではいじめられ、家に帰っても家族の関係が悪くくつろげる場所ではない。そんな主人公が、新しい居場所を求めて異世界にたどり着くのである。そこでは、自分が持っている数少ない長所が評価され、今まで経験のなかったような賞賛を受けることが出来る。

もう1つは、何か問題を抱えた異世界が、問題を解決するために向こうから近寄ってくるパターン。ある日突然、「実はあなたは魔界の王の血を引いている、後継者がいなくて崩壊寸前の魔界王朝を救ってくれ」と言われるような雛形である。主人公は、もともとの生活に満足しており、最初は「早く元の世界に戻りたい」と言っているのだが、徐々に自分が民の救いとなることに生きがいを感じるようになっていく。

そして最後に、単純に一定の確率で接続してしまうというパターンだ。
たとえば9と3/4番線ホームは、有資格者が条件を満たせば、必要性とは関係なくたどり着くことが出来る。
また、ある非常に低い確率で異世界と繋がってしまうクローゼットがあるらしいと聞いて、母親のクローゼットを何度も開け閉めして怒られたことがある人、私だけではないはずだ。

もちろん実際の作品では、1つの要素だけが単独で使われることは少ない。3つの要素が絡み合って描かれている。
そして、3つの要素のうちどれが強く描かれているかで、その国や時代の文化が分かるのではないだろうか。

現代の日本では、1番目の要素が強くなってきた気がする。個人主義が進み、社会からの要請よりも自分自身の内面的な必然性に従って行動することが増えたのかもしれない。
また3番目の要素は、唯一神の元で平等な裁きを受けるキリスト教的な西洋文化と相性がいい。運命とは神が決めるものであって、自分の意思が関与できるものではない、という思想である。

さて、あなたはどの要素を使って異世界に転生しますか?
この質問に答えることで、社会のために生きるのが、自分のために生きるのか、あるいは信仰のために生きるのが、その人の人生観が浮かび上がってくるかもしれない。


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