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「仕事」と「遊び」を分けるのはもう古い?あなたに合った世界観はどんなもの?

今回はのろさとしさんの
「仕事と遊びを別けるものは何か」という
noteを読んだ上でのお話をしていきたいと思います。

このnoteの中に
「仕事と遊びの違いはなんだろう」という問いがあったので、
僕なりに考えてみようかなと思いまして。

というわけで、質問です。

「仕事と遊びの違いは何だと思いますか?」


考えてみましたか?

……

せっかくなので考えてから読み進めてくださいね?

………

考えていますか?

…………

考えましたよね?


「仕事と遊びの違いは何なのか?」

それは「人による」と思うのです。

……なんていう回答で終わったら
ブーイングがきそうですね(´▽`;)ゞ


もうちょっと詳しく言うと、
僕たちは同じ言葉を使うけれども、
一つ一つの意味合いは人によって異なります。

それは、「パラダイム」が異なるからです。

パラダイムとは、

  • 僕たちが世界をどう見ているのか?

  • 僕たちは何を信じているのか?

そういった大きな枠組みのことです。

パラダイムという大きな枠組みによって、
言葉の捉え方が変わってきます。

例えば、
「仕事は遊びだ!」
と言う人っていますよね?

ですが、
「仕事は遊びじゃねえんだぞ!」
と言う人もいますよね?

この違いがパラダイムの違いなのですが、
どういうことかというと、

「仕事は遊びだ!」と言っている人は
「仕事=遊び」というパラダイムで生きており、

「仕事は遊びじゃねえんだぞ!」と言っている人は
「仕事≠遊び」というパラダイムで生きている、ということです。


さて、これはどういうことでしょう?

「仕事=遊び」という人は、
「仕事」と「遊び」を分けて考えるんじゃなくて、
それらを一緒にした、もっと大きな枠組みで見ているんです。


例えば、こんな言葉を聞いたことはないでしょうか?

「人生はゲームだ!」
「人生はただの暇つぶしだ!」
「人生は楽しくなければいけない!」

このように考えている人は、
「仕事」も「遊び」も
「ゲーム」であり、「暇つぶし」であり、
「楽しいもの」なんですよね。

つまり、
「仕事」と「遊び」を組み合わせて
一段抽象度を上げているわけです。

だから、
「仕事」と「遊び」は
どちらもただのゲームにすぎない。

「仕事」と「遊び」は
どちらもただの暇つぶしにすぎない。

「仕事」と「遊び」は
どちらもただの楽しいものにすぎない。

だから、
「仕事も遊びも一緒じゃん!楽しもうぜ!」
みたいな感覚になるわけです。


ですが、
「仕事は遊びじゃねえんだぞ!」というような
「仕事≠遊び」というパラダイムで生きていると、
考え方が異なってきます。

「仕事」と「遊び」を分けて考えているわけです。

で、
「仕事は遊びじゃねえんだぞ!」
という人はおそらく、
「仕事は楽しみながらやるものではない」
というパラダイムを持っている人が多いのではないでしょうか?

ということは、
仕事ではいつも気を張り詰め、
エネルギーがどんどん漏れていき、
仕事をしているだけでイライラしてきます。

そのため、
きっと創造力も衰え、
仕事に身が入らないのではないか。

そう思ってしまいます。

リラックスした状態の方が
創造力は高まる。

それは、すでに実験で実証されていることです。


で、「仕事≠遊び」を分けて考える場合、

「仕事は楽しくないもの」
「遊びは楽しいもの」

と分けているようことが多いように感じます。

「仕事は楽しくないもの」

このように分けているために、
「仕事を楽しむ工夫」
なんていう発想すら生まれません。

で、
「仕事は遊びじゃねえんだぞ!」
と言う人の多くは、

「仕事を遊びと考えるヤツは責任感がない!」
とか言ったりします。

まぁ、確かにそういう人もいると思います。

ただ、そういう人は
「仕事=遊び」ではなく、
「仕事≠遊び」というパラダイムの人です。

「仕事は楽しくないもの」
「遊びは楽しいもの」

だから、仕事はやりたくない。

そうやって責任感がなくなります。

そういう人に対して、
「仕事は遊びじゃねえんだぞ!」
という指摘は正しいのではないかと思います。


ですが、
「仕事=遊び」というパラダイムを持つ人は
きちんとルールの中で遊びます。

ゲームもルールの中で遊びますよね?

その感覚です。

仕事には、
「責任感を強く持つこと」
というルールがあるから、
そのルールに従います。

だから、
「仕事=遊び」の人からすると
「責任感を強く持つこと」というのは、
息を吸うの同じくらい当たり前の感覚なんですよね。

だって、ルールがそうなっているんだから。


ルールを間違えたら楽しめません。

「このルールはおかしい!」と思ったら、
そのルールを破るのではなく、
そのルールを変えようとする。

それが、
「仕事=遊び」というパラダイムを持つ人だと言えます。

あ、ちょっと言い方を変えましょうか。

「人生はゲームだ!」
「人生はただの暇つぶしだ!」
「人生は楽しくなければいけない!」

といった、
「人生を全力で楽しんでいる人」
だと言えます。

この人たちはルールは破らないけれど、
ルールが気に食わなければ、
自分たちの手でルールを変える人達です。


「仕事=遊び」と考えている人たちって
エネルギーに満ちあふれている人が多いように感じませんか?

それは、人生を全力で楽しんでいるからだし、
自分には合わないルールがあったら、
そこからすぐに離れるか、
そのルールを変えようとする。

そのように
エネルギーを無駄に使うことなく、
使うべきときにエネルギーを使うから、
常にエネルギーに満ちあふれているんだろうなと思います。

「これが自分の生き方だ!」というのを
知っているからこそ、ですね。



※ちょっと脱線

以前に
「自分らしさは存在しない!」
という記事を書きました。

この記事を読んだ方は、

「自分らしさなんて存在しないんだったら、
『これが自分の生き方だ!』なんていうのも
存在しないんじゃないの?」

と思われるかもしれません。

ここで言っている自分らしさというのは、
「"表面上"の自分らしさ」のことを言っています。

役割や状況によって
"表面上"の自分らしさは変わります。

ですが、コアとなるものは変わりません。

コアというのは、

「人生はゲームだ!」

といった、
多くのことを包括できる、
抽象度が高い考え方のことです。

こういうコアとなるものはまず変わりません。

変わるとしたら、
自分や大切な人の命が危ぶまれた時、などでしょうか。

そして、そのコアとなるものは、
言ってしまえばその人のアイデンティティとも言えます。

つまり、そのコアが変わってしまったら、
アイデンティティが崩壊してしまう、
それにより、自我が崩壊してもおかしくないものです。

そのくらい力強いものなので、
「"表面上"の自分らしさ」とは意味合いが異なります。



脱線終了です。

えーと、何話していましたかね?

そうそう、
「仕事=遊び」というパラダイムを持つ人と
「仕事≠遊び」というパラダイムを持つ人。

この2種類のパラダイムがある場合、
「仕事=遊び」というパラダイムを持った方がいい。

そんな主張をしているように見える書き方をしてきました。

ただ、別にそういうわけでもないと思うんですよね。


「仕事=遊び」と考えている人は
世の中すべてが遊びだと考えているから、
基本的には楽しい人生を歩んでいます。

ですが、その分、
感情の下がり幅というのは小さくなります。

「つらい」といったギャップがあるからこそ
「楽しい」と強く感じることができたりするんですよね。

だから、
「仕事≠遊び」と考えている人の方が、
「仕事が終わったあとの休み」というのは
最大級のご褒美だったりします。

最大級のご褒美という感覚は
おそらく「仕事=遊び」というパラダイムを持つ人以上に
多く感じることができていると思うんですよね。

多くの人は
「つらいことは嫌だ…」と考え、
「仕事=遊び」というパラダイムに憧れそうですが、

人によっては
そういった「つらい」という感覚の後の
「楽しい!」を感じたいという人もいます。

生き方や感じ方は人それぞれですね。


人それぞれと言えば、いくら
「仕事=遊び」というパラダイムだからといって、
医師がこのパラダイムを持っていたら、
正直、患者としては恐ろしさがあります。

だから、
「このパラダイムで生きるのがいいよ!」
というのはなく、理想の自分に合ったパラダイムを見つけて、
そのパラダイムで生きていきたいものです。


さて、ここまで
流れのままに書いてきました。

構成を考えずに
想いのままに書くのが結構好きなんです。

ただ、想いのままに書くと、
話がズレてしまうこともよくあるんですよね。


今回の主題は何だったのか?

それは、
「仕事と遊びの違いは何なのか?」
というものです。

これについては、
「人による」という回答を
最初に出しました。

その理由は
ここまでのお話でなんとなく
察してもらえたのではないかと思います。


人によっては「仕事=遊び」だから、
仕事と遊びに違いはありません。

ですが、
人によっては「仕事≠遊び」だから、
その人の「仕事の定義」と「遊びの定義」があります。

「仕事は楽しむものじゃない」
「遊びは楽しいものだ」

というのもただの一例であり、
人によって様々な定義がありますから。

その人のパラダイムによって
仕事と遊びの違いは変わってくるので、
「これが答え!」というのは存在しないと思うんですよね。

だから、
「仕事と遊びの違いは人によるのかな」
と個人的には思ってしまいます。



さて、本来は別のテーマで書き連ねたいことがあったのですが、
思った以上に文字数が増えてしまったので、
そのお話は次回に回したいと思います。

本来は
「趣味も遊びも全力で!」
といったことを書きたかったのですが…

まぁ、構成を考えずに文章を書いていると
こんなことは日常茶飯事です。

とりあえず、今回は
「仕事=遊び」「仕事≠遊び」といったように、
人によって異なったパラダイムを持っているから、
仕事と遊びの違いも人それぞれなんじゃないかな?
というお話でしたとさ。

自分では想像していなかったパラダイムに触れることで、
観ている世界が広がり、そして解像度が上がり、鮮明に見えてきます。

そのため、
「学ぶことはパラダイムを増やし、観ている世界の解像度を上げること」
なのかなと思ったりします。


パラダイムを増やし、
観ている世界の解像度を上げることで
どんなことが起こるのか?

それは、

  • 理解が深まり、

  • 共感が深まり、

  • 選択肢が広がり、

  • 変化に適用しやすくなり、

  • より楽しめるようになる。

と言えるかなと。

だからこそ、
パラダイムを増やし、観ている世界の解像度を上げること」
は大事なことではないかと思うのです。


このnoteによって、
あなたにとっての仕事と遊びの新しい関係性を見つけるきっかけ、
そして、パラダイムを増やすきっかけになりましたら幸いです。


以上、のろさとしさんのnoteを
(勝手に)お借りして書いた記事でした!

のろさとしさん、ありがとうございました!

もしまだ読んでいなければ、
のろさとしさんのnoteも読んでみてくださいね!


P.S.

これまで会ってきた「仕事=遊び」と考えられる人は
動じることが少なく、
めちゃめちゃ仕事ができる人ばかりでした。

エネルギーを高い状態で維持でき、
ステージが高いからこそ、
抽象的に物事を考えられるし、
仕事も遊びも全力で楽しめるんだろうな、と。

そんなことを考えてしまいますね。


▶前回の記事


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◆ご相談やお問い合わせについて


それでは、最後までお読みいただき、
ありがとうございました!

何かしら「人生がより良くなりそう!」と
思えるようなものが一文だけでもありましたら、幸いです。


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