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僕たちの考え方や行動を支配している「パラダイム」とは何か?

「僕たちの考え方や行動は、すべてパラダイムに支配されている」

そう言われたらどう思いますか?

もしかしたら、
「いや、そもそもパラダイムって何だよ」
と思われるかもしれません。

もしくは、
「いや、自分には意志があるんだから、
パラダイムにすべてを支配されているなんてことはないでしょ」
と思われるかもしれません。


今回の記事では、
僕が記事内でよく使う「パラダイム」というのは
どういうものなのかについて書いていきます。

なぜそんな記事を書くのかって?

「パラダイムって何なの?」
という質問をいくつかいただいたからです。

ただ、
パラダイムの説明だけだともったいないな~と思ったので、
「考え方や行動を支配しているパラダイムの力」
についてもお話していこうと思います。

「考えや行動を変えることができない」
もしそう思われているのでしたら、
考えや行動ではなく、それらを支配している
「パラダイム」を変えることをオススメします。

「面白そうな話をしているな~」
と思われましたら、ぜひ読み進めてください。


パラダイムのニュアンス

「パラダイム」という言葉は、
本来かなり広い意味で使われています。

しかし、あまりに広い意味で使われすぎていて、
文脈によって意味が大きく変わるため、
誤解を招きやすいと感じています。

なので、僕は基本的に
『7つの習慣』で有名なスティーブン・R・コヴィー氏が用いているような、
「個人のものの見方や価値観」といったニュアンスで
「パラダイム」という言葉を用いています。


「パラダイム」という言葉を世に広めたのは、
科学哲学者であるトーマス・クーン氏だとは思いますが、
彼の定義は範囲が広すぎるため、
僕が考えていることとはズレてしまうんですよね。

スティーブン・R・コヴィー氏の定義の方が、
より具体的で、日常会話や個人的な思考においても
活用しやすいと考えています。

なので、
スティーブン・R・コヴィー氏の定義を採用しています。


せっかくなので、
トーマス・クーン氏とスティーブン・R・コヴィー氏の
パラダイムの違いを以下で見ていきます。


▶トーマス・クーン氏の「パラダイム」

トーマス・クーン氏の彼の著書『科学革命の構造』で
「パラダイム」という概念を提唱しました。

彼の定義では、
パラダイムは、ある時代や分野において、
科学者コミュニティが共有している、

  • 理論的枠組み

  • 方法論

  • 価値観

などを含む、より広い概念と言えます。

トーマス・クーン氏は、
「科学の発展は、このパラダイムが劇的に変化する
『パラダイムシフト』を通じて起こる」
と主張しました。

例えば、天動説から地動説への転換は、
パラダイムシフトの典型的な例です。


▶スティーブン・R・コヴィー氏の「パラダイム」

スティーブン・R・コヴィー氏は、
彼の著書『7つの習慣』で
「パラダイム」という言葉を使っています。

彼にとってパラダイムは、

  • ものの見方

  • 考え方

  • 価値観

  • 信念

などを指す、
個人の認識や解釈の枠組みを意味します。

コヴィー氏は、
「パラダイムを変えることで、
問題解決能力や人間関係が改善され、
より効果的な行動が取れるようになる」
と主張しています。

トーマス・クーン氏と比べて、
より「人」や「日常生活」に焦点が当てられたニュアンスに
なっています。


2つのパラダイムの違い

トーマス・クーン氏の「パラダイム」
対象:科学者コミュニティ全体
範囲:理論、方法論、価値観など、科学活動全体を規定する枠組み
変化:劇的な変化(パラダイムシフト)が基本。例外的に徐々に変化する
重点:科学的知識の生産、発展、構造に焦点を当て、科学革命という非累積的な変化を説明

スティーブン・R・コヴィー氏の「パラダイム」
対象:個人、組織、社会など、様々なレベルのコミュニティ
範囲:個人のものの見方、考え方、価値観、信念、習慣、行動パターンなど、広い認識の枠組み
変化:個人の成長や変化、学習、経験、外部からの影響、内省などによって変化
重点:個人の内面や人間関係、リーダーシップ、組織文化に焦点を当て、自己変革と効果的な相互作用を促進

2つのパラダイムの違い

このように、2つの「パラダイム」は、
対象、範囲、変化の度合い、重点などが異なります。


▶これまでの記事で扱われているパラダイム

これまでの記事で当たり前のように
「パラダイム」という言葉を使ってきました。

そこで扱っているパラダイムは
スティーブン・R・コヴィー氏の「パラダイム」に近いです。

つまり、個人の「当たり前」や「思い込み」といった、
個人の認識や解釈の枠組みに焦点を当てています。

僕が「パラダイム」という言葉を用いるときは
そういった意味合いで使っています。


▶日常生活におけるパラダイムの例

  • 「失敗は恥ずべきものだ」というパラダイム:

このパラダイムを持つ人は、
失敗を恐れ、挑戦を避ける傾向があります。

しかし、このパラダイムを
「失敗は成長の機会だ」と変えることで、
積極的に挑戦し、そこから自然と
学びを得ることができるようになります。


  • 「お金は有限だ」というパラダイム:

このパラダイムを持つ人は、
お金を貯めることに固執し、将来への不安を抱えがちです。

しかし、
「お金は循環するものだ」というパラダイムを持つことで、
自己投資や寄付など、お金を有効活用する方法を
自然と模索するようになるでしょう。


  • 「仕事は苦痛だ」というパラダイム:

このパラダイムを持つ人は、
仕事にやりがいを感じず、
不満を抱えながら働く傾向があります。

しかし、
「仕事は自己実現の場だ」というパラダイムを持つことで、
仕事を通して成長や貢献を実感し、
より充実した仕事生活を送ることができます。


これらは個人個人が持つパラダイムなので、
コヴィー氏が定義するパラダイムのことを指しています。

ここでふと気になることがあるのではないかと。

それは、
「パラダイムと考え方の違いは何よ?」
ということ。

「パラダイム」と「考え方」は以下のように言えます。

  • パラダイム:潜在意識的な「当たり前」や「思い込み」

  • 考え方:顕在意識的な、特定の状況に対する思考や見解

ただし、「考え方」はパラダイムの一部です。

そのため、
パラダイムが変化することで
それに伴い考え方も変わることがあります。

パラダイムは固定的なものではなく、
状況や感情によって変化します。

パラダイムを意識的に変えることで、
新しい考え方や行動パターンを生み出し、
より良い結果を得られる可能性があります。

「どうやったらパラダイムを意識的に変えられるのか?」
そういう話はいずれしていきます。

▶歴史におけるパラダイムシフトの例

  • 天動説から地動説へ:

かつて、地球が宇宙の中心であり、
太陽や他の惑星が地球の周りを回っているという
天動説が広く信じられていました。

しかし、コペルニクス、ガリレオ、ケプラーらによって地動説が提唱され、
観測や実験によってその正しさが証明されると、
人々の宇宙観は大きく変わりました。


  • 産業革命:

産業革命以前は、
手工業を中心とした生産体制が主流でした。

しかし、蒸気機関の発明や工場制機械工業の発展により、
大量生産が可能となり、
経済や社会構造に大きな変化をもたらしました。


これらは、個人ではなく、
社会自体のパラダイムが変わったことを指しています。

そのため、
コヴィー氏が定義するパラダイムが異なります。

ですが、
「天動説ではなく、実は地動説だったんだ!」とか
「手作業で行うのが当たり前だと思っていたけれど、
機械に任せれば大量生産できるのか!」とか、

そういった、
「自分自身のパラダイム」が変わるのであれば、
それはコヴィー氏が定義したパラダイムということができるでしょう。


「自分はどんなパラダイムを持っているのか?」
「他者はどんなパラダイムを持っているのか?」
「そのパラダイムによって世の中をどう観ているのか?」
「そのパラダイムによってどのような行動をしているのか?」

パラダイムという視点で見ると、
人についての理解が深まっていくのではないかと思います。


パラダイムが人を動かす

僕たちは自分の意志で行動していると考えますが、
「パラダイムによって動かされている」ということもできます。

パラダイムによって無意識に
「絶対的にやらないこと」があったりするのです。


例えば、
あなたは泥水を飲むでしょうか?

おそらく飲まないかと思います。

ですが、昔こんなことを聞きました。

「とある地域では、風邪を治すために泥水を飲むんだよ」
と。

正直、
「何言ってんだ、この人」
って思いませんか?

この話は調べても出てこないので、
でまかせを言われたのかもしれません。

ですが、
「風邪を治すために泥水を飲む」
というパラダイムを持っていたら、
何も疑わず、泥水を飲むんだろうな、と思ったんです。

僕たちは
「泥水を飲んだところで良いことなんて何一つない」
「むしろ、害にしかならない」
というパラダイムを持っているはずです。

だから、
「風邪を治すためにこの泥水を飲んで!」
と言われたら、
「いや、何ふざけてるの?もっと悪化してほしいの?」
なんて思ってしまうはずです。

ですが、相手は
「泥水を飲んだら風邪は治る」
というパラダイムを持っているため、
「この人のために」
と思っての行動です。


僕たちは自分の意志で動いているようで
「パラダイム」という範囲内で動いているのです。

だから、自分にとって良いことが
相手にとって良いこととは限りません。

自分にとって悪いことが
相手にとって悪いこととも限りません。

「僕たちの考え方、行動はすべてパラダイムが支配(規定)している」
そう言っても過言ではないのです。

だから、僕は
「パラダイム」というのを
「理想のステージ(理想のライフスタイル)」にたどり着くための
3種の神器の一つとしています。


まとめ

「パラダイム」という言葉は、
文脈によって意味合いが異なります。

僕が使っている「パラダイム」という言葉は、
あくまでスティーブン・R・コヴィー氏の「パラダイム」の解釈であり、
トーマス・クーンの「パラダイム」やその他の「パラダイム」とは
異なる概念であることをご理解いただければ幸いです。

「パラダイム」という言葉の定義を理解することで、
より深く物事を捉えることができるようになるし、
人との接し方も変わってきます。

「僕たちの考え方、行動はすべてパラダイムが支配(規定)している」

このように考えることで、
「あの人がよくわからないと思っていたけれども、
もしかしたら、パラダイムが自分とは全く異なるからではないか?」
と見方を変えることができます。

「風邪で苦しんでいるときに泥水を飲めなんてありえない!ふざけてる!」
と思っていたけれども、相手のパラダイムを知ることで、
「自分のためにやってくれたことなんだ」
と理解することができますからね。

相手のパラダイムを知ることは、
相手を深く理解することにつながります。

そして、自分のパラダイムを知ることも、
自分を深く理解することにつながります。

「私は矛盾した行動をしてしまう」
そう思ってしまうこともあるかもしれませんが、
それもまた「パラダイム」によるものです。

複数の異なるパラダイムが共存しているがゆえに、
矛盾した行動になってしまうのです。

大事なこととして、
パラダイムは固定的なものではなく、
状況や感情によって変化します。

なので、その時々で
異なった行動をしたり、
感情が表れたりするのです。

この話はまた、別の記事でお話しようと思います。


今回は

  • 僕が伝えるパラダイムというのは
    「個人の『当たり前』や『思い込み』といった、
    個人の認識や解釈の枠組みに焦点を当てた人生に大きな影響を与える」

    そういったパラダイムのこと。

  • 僕たちの考え方、行動はすべてパラダイムが支配(規定)している。
    そのため、自分や他者のパラダイムを知ることで、
    全く別の視点から自分や他者を見ることができる。

  • パラダイムは固定的なものではなく、状況や感情によって変化する。
    一見矛盾したような行動をしてしまうのは、そのため。

といったことをもし意識したことがなかったのであれば、
持ち帰っていただけると嬉しいですね!



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それでは、最後までお読みいただき、
ありがとうございました!

あなたの人生が今よりもさらに良くなることを楽しみにしています。


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