丹下健三の戦中と戦後

日本を代表する建築家、丹下健三。

代々木第一体育館、広島平和記念公園、大阪万博の大屋根、現在の東京都庁舎などで知られています。

こうした活躍から、建築を通して戦後の復興や民主化に貢献したイメージが強いようです。

しかし、戦中の1942年には「大東亜建設忠霊神域計画」という、いかにも戦中的な仕事でコンペを勝ち抜いています。

ネットで調べれば、この壮大かつ荘厳なプロジェクトの概要を知ることができます。

もし、これが実現していたら、丹下はその後どうなっていたのでしょうか。

ナチスのシュペーアのような存在と見なされたかもしれません。

危ないところでした。

丹下の政治的イデオロギー(の有無)については存じ上げないのですが、「大東亜…」のようなダイナミックな発想は戦後も活かされていると思います。

戦中も戦後も活躍できたのは、イデオロギーを問わず、人々の心を掴む設計が抜群に上手かったからでしょう。

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