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斎藤茂太『精神科の待合室』(中公文庫)

斎藤茂太(さいとう・しげた 1916-2006)は、歌人・斎藤茂吉の息子で精神科医である。

本書は、1974年に出た単行本の文庫化(1978)だ。

各種の精神疾患が、彼の診てきた症例とともに解説されている。


最初の節は、統合失調症についてだ。

症例の主婦は、夫に次のように訴えている。

「私が、この頃、玄関の掃除をあまりしないので、通行人が何かそのことをささやいて通ります。なかにはわざわざ立ちどまって、玄関先をのぞいて行く人がいる」

その後、彼女は「道行く人が私の悪口を言う」と訴え、道路に向かって「何よ!」などと大声を出すこともあったそうだ。

ちょうど最近、事件報道で似たような話を目にしたのを思い出す。

症例の女性は、最終的に近所の家に怒鳴りこんで入院となった。

予後は良好だったようだ。


上述の事件の被疑者は、以前から被害妄想的な訴えがあり、家族が受診を勧めたが本人が拒否したという(「信濃毎日新聞デジタル」)。

被疑者が統合失調症とは断定できないが、もし家族が入院手続きに踏みきっていたら結果が違っていたのでは、と思うと非常に悔やまれる。

これは、おそらく被害妄想が殺人事件に発展したという極端な例だが、一般的に考えても、病気なのに治療を受けられないのは残念なことである。


この節で斎藤は、家族の同意による「同意入院」と、法の執行として行われる「強制入院」を紹介している。

これらは現行の制度では、「医療保護入院」と「措置入院」に当たると思われる。

しかし家族が同意していても、本人が拒否している場合を「同意入院」と呼ぶのは相応しくないだろう。

実際、医療保護入院も措置入院も「強制入院」と呼ばれることが多い。


強制入院は常々、批判の対象となっている。

元入院患者自身が批判する姿もテレビで観たことがある。

そうした際に、しばしばイタリアの精神科病院全廃の例が持ち出される。

たしかに、それに比べて日本の精神科の病床数・長期入院患者数の多さは、患者の社会参加を妨げている。

だがそれでも、イタリアでは総合病院に「精神病床」があり、強制入院もゼロではないらしい。(下記リンク先、「3. 精神病床のあり方」)


仮に日本で強制入院制度を廃止してしまうと、市民と精神科医療との連携が不十分な現状では、罹患者は然るべき治療を受けられない。

とくに統合失調症は病識がない場合が多く、本人が入院や治療を希望しないことが想定される。

そうなると、よほど周囲の連携が機能していないと通院や往診での治療は難しいのではないか。

したがって日本では、いきなり強制入院を全否定するのではなく、まずは精神科病棟の質の向上と、入院長期化傾向の是正を目指すべきだ。

その後で、なるべく強制入院に頼らず、市民と医療が連携する道を検討してはどうだろうか。


市民と精神科医療の連携を考えるとき、世間一般における心理的バリアの存在が看過できない。

精神科・心療内科は「絶対に行ってはいけない場所」という偏見が根強く残っているのだ。

学校教師や大学教授ですら、そのようなことを口走ったりするくらいだ。

こうした状況を改善しなければ、罹患者の受診・治療は進んでいかない。


だいぶ著書から話が逸れたが、モタ先生が納得してくれることを願う。

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