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子どもたちが生きづらくなることによって失われてしまうもの

 NIMBYという略語を初めて知ったのは、高校時代の現代社会の授業でのことでした。団体や組織の名称ではなく、略さずに言えばNot In My Back Yardです。Wikiによれば「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉(総論賛成・各論反対)とのことです。
 この言葉を知ったのは10年以上前になりますが、当時は原発やゴミ処理施設を念頭に置いて教えられていたと思います。しかし、Wikiを読み進めていくと「対象となる施設」が数多く列挙されています。
 今回の記事は、8月中旬に参加したオンライン区政報告会の内容と、数日前のfacebookの「過去のこの日」の内容を中心にお送りします。

 見出し画像に上げたのは、私が小学生時代によく遊んだグラウンドの現状です。ここは西公園という中規模?の公園に隣接しており、下の写真で明らかなようにかつてはスポーツ施設だったのです。Wikiにある通り、最初の東京オリンピックが行われた1964年の一巡目新潟国体のバレーボール会場(当時は屋外でやったんですね…)で、その後テニスコートとしても使われていました。

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 小学生の頃にはまだ中央スタンドの屋根が残っていたんですが、やがて老朽化で撤去されました。また、同じく小学生の頃は土のグラウンドが広がるだけの「自由な空間」だったんですが(テニスコートの名残も)、数年後に手が加えられてしまったのです。(ちなみに、反対側の隣にはかつて西園保育園がありましたが、別の幼稚園と合併してこども園となり、建物は取り壊されています)
 思い出してみれば、放課後に友達と野球やサッカーで遊んでいた折にボールが近所の家の敷地に飛んで行ったことは珍しくなかった気がします。ですから、それに対するクレームが市に入っていたのかもしれません。このグラウンドが変化した時には私は遊ばなくなっていたので細かい経緯は分かりませんが、事前に何もなくこのグラウンドが遊べなくなってしまったのなら、あまりにももったいないことだったのではないかと思います。
(グラウンドでは、子どもだけでなくお年寄りがゲートボールで興じておられた記憶もあります)
 そんな思い出を今でも鮮明に残している私が、この問題に関する恩来イベントを見つけたのはちょうどお盆の時期のことでした。

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 fbでフォローしている中山みずほ 世田谷区議会議員(立憲民主党)のオンライン区政報告会。地元のそれには一度も参加したことがありませんでしたが、テーマがテーマだったので(^^;; 区外の人間にも開かれた会でしたが、地元の方がかなりの割合を占めていた印象でした。
 会の中では実際に公園問題に取り組んでおられる母親による現状報告があったり、画像の通り落合貴之 衆議院議員も参加し、党が提案している子ども総合基本法についての紹介もありました。リンク先を見ると、「子どもの居場所」「遊ぶ権利」という言葉も見られます。
 この会では参加者による自由な意見交換の時間もあり、それも含めた全体で私が印象に残ったのは以下のような点でした。
・寄せられる住民の声はクレームばかりなので、ポジティブな声も届けてほしい
→これは、地方公務員の方の生の声です。公園に関する部門に限らない話のような気もしますが。
・新たな看板がどれだけの根拠づけをもって設置されるのか
・法的拘束力を持たない「ただの看板」が黄門様の印籠のごとく影響力を持ってしまう問題
→ネットでの中傷等に見られる私刑の問題や、それこそ「自粛要請」といったものにも通じる問題のように思います。
・子育てをしている人々とそうでない人々との間に起きている分断
→分断自体はこれに限った話ではありませんが、国の将来を左右する少子化を助長しかねないテーマですから切実ですね…
・公園を巡る政策に子どもの声はどれだけ考慮されているのか
→海外では、公園管理のための住民協議会があるケースもあるそうです。
・都会で「子どもの居場所」を確保する難しさ
→これは、地方に住む者としての率直な感想です… コロナ禍で地方移住が増えているとは言われますが。
・人間トラブル・紛争解決のための団体の紹介参加者のお一人による活動の宣伝
 参加者のお一人が、最近活動を始められたご自身の団体「東京メディエーションセンター」をご紹介されました。
 携わる方々は大変だろうなぁと思いつつも、こういう働きによって社会問題が一つでも解決につながるといいなぁと思います。

 私が知る限りでは、媒体を問わずこのテーマが取り上げられる機会があまり多くない気がします。今後も関心を持ち続けていきたいと思います。

 これだけを記事にする予定はなかったんですが、2017年9月26日のfacebook投稿を改めて読んで「これも関連しているなぁ」と思い、この2つを組み合わせて記事にすることにしました。次のような文章です。

ちょっと時間があるので、1ヶ月前に某所で聞いた話を一つ。

日本人が出せる音域(声域)は、約30年ほど前を境に明らかに狭くなっているんだそうです。もちろん個人差はあるでしょうが、ある作曲家の方が経験をもとにしておっしゃっていたので、ある程度信用性はあるかと。
で、その理由として考えられるのは「幼少期に泣かせずに育てるようになっているからではないか」とおっしゃってました。最近は子どもの出す音のせいで幼稚園・保育園が新設できないなどというニュースがありますが、そういうテーマはだいぶ前から問題化していたんだなぁと思ったのでした。

 種明かしをすると、この年の8月下旬に参加したキリスト教音楽講習会の賛美歌創作ゼミで作曲家の末吉保雄先生が話しておられた内容でした。先生はこのちょうど1年後に亡くなられまして、なおのこと印象に残ることとなりました。

 ここから分かることは、ハード面の問題は氷山の一角に過ぎず、ソフト面でははるか昔から子どもに対する冷たさが存在していたということです。

 暗澹たる思いになってしまいますが、社会通念や道徳でどうにもならないのであれば行政や法律で対処するしかないのだろうと思います。立憲の法案にしても自民の子ども庁にしても、一刻を争う話です。
 もちろん、市民レベルでもできることをあきらめてはいけないと思います。コロナ禍が出生数減少にさらなる追い打ちをかけている今、これ以上傷口を広げないために「なりふり構わぬ」テコ入れが求められているのではないでしょうか。

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