人は本来アーティスト、存在そのものが表現しているということ 対談者:SATOWA MUSIC ウォン・ウィンツァン様
皆さまこんにちは!ヒューマングループnote編集担当 朝永です(^o^)
今回のヒューマントークは、ピアニスト、作曲家でいらっしゃる SATOWA MUSIC ウォン・ウィンツァン様にご登場いただきました!
今回は対談の内容を前編・後編と2週に渡りお届けいたします。
まずは、弊社社長 内海とウォン様との出会いからご覧ください。
ウォンさんとの出会い
知人をとおして音楽家のウォンさんと出会いました。
私と一つ違い、すべての人間性がピアノ演奏でここまででるのか…アート音楽に身近に接して心が満たされました。
ウォンさんと話が弾んで、ヒューマングループオリジナルCDの制作…そしてコンサート開催、多くのよき思い出を頂きました。
※対談の本文は、2008年7月にヒューマンニュースレターに掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。
人は本来アーティスト、存在そのものが表現しているということ(前編)
<ヒューマンニュースレターVOL.32(2008年7月発行)より転載>
SATOWA MUSIC ウォン・ウィンツァン 様
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲
内海:ウォンさんこんにちは。
ヒューマングループの企業CD「WINDSPIRIT」を制作していただいてから、もう13年もの月日が経ってしまいました。
ウォンさんのピアノの音色を佐世保の多くの皆さんに聞いていただきたいと願っていましたが、このたび弊社創立55周年を記念して企画しましたチャリティーコンサートにご出演くださることになり、念願がかなってとても嬉しく思っております。
9月のコンサート前に一足早く、ウォンさんを皆様にご紹介したくて、今回のヒューマンニュースレター<ヒューマントーク>に登場していただきました。まずは、ウォンさんの音楽との出会いなどをお話してくださいますか?
ウォン:僕と音楽というのは、ひと桁の年齢のときからの出会いなのですが、僕の母親が情操教育にとても興味をもっていましたので、ピアノやお習字や絵などを習っていまして、その中で唯一、音楽だけが僕の中に残ってしまったというかんじです。中学時代は、トランペッターのニニロッソや、プレスプラードの闘牛士のマンボとか、ベンチャーズのウォーク・ドント・ランやパイプラインとかの曲をトランペットで演奏してました。その後、ビートルズのプリーズプリーズミーとかそういう曲が流行ってきましたので、ビートルズにすっかり傾倒し、一生懸命聴いていましたね。
中学3年生のとき、校内暴力を受けたのをきっかけに性格がゆがんでしまって、何もかもを捨てて引きこもりみたいになった時期がありまして、とても苦しい時代だったのですが、でもなぜか音楽だけはよく聴いていました。
その後、聴き始めたのがドビュッシーとかラベルとか・・・突然ハイブローになりまして、ストラヴィンスキー、いわゆる近代音楽、ジャズのビルエバンス、マイルスデイビスとか・・・聴いていましたね。
おかしいでしょう! ビートルズから突然ハイブローな曲になって、理解していたわけではないんだけれども、知的なものにあこがれていたということはあったんだと思います。
大学とか行く気はなかったし、前向きなことをまったく考えられなかったときに、唯一音楽を聴くことで自分自身を癒していった経緯がありまして、自分にはもう音楽しかないと思って、19歳位から、できもしないジャズを、頭でっかちな音楽をやりはじめたのが、それがプロになるきっかけになるわけです。
早い時期から音楽ははじめていたのですが、性格がゆがんでいたので、ストレートに音楽ができずに、20代の前半でジャズ音楽活動を挫折し、それ以降は表立った演奏はやめてしまい、業界の仕事をやるようになりました。
テレビコマーシャルの作曲をしたり、スタジオミュージシャンとしてレコーディングをしたり、野口五郎さんや渡辺真知子さんのツアーミュージシャンをしたりとか、そういう裏方の仕事を20代中旬くらいから30代の後半までやってました。その間そういう仕事をやりながら自分が本当にやりたい音楽を模索していたのです。
かなり長い間、自分の本当の音楽というものを見つけられなかったのですが、裏方をやりながら、暗中模索、切磋琢磨、修行の毎日を過ごしていました(笑)。
でもやはり仮の姿で、本当に自分のやりたい音楽をやっていなかったので、そういう業界の仕事も斜めに構えていて、とても態度の悪い、そんな人間でしたね。今考えると・・・業界の方に申し訳なかったですね。
自分の音楽を見つけられなくて、行き詰ったときに出会ったのが瞑想です。瞑想というと皆さん誤解される方もいらっしゃるのですが、僕がやっている瞑想はインド系の瞑想ではあるのですが、宗教ではなく、ヨガ体操とかそういったものの延長上にあるものでして、瞑想の中から自分の音楽体系が見えてきたんですね。
それは何かというと、今考えるとやはり喜びだったと思います。
音楽を通して喜びを身体で感じ、それが聴く人の喜びになっていく・・・、その音楽の喜びを一緒に共有しあうというのがようやく見えてきたのです。音楽をすることによって自分の喜びが音楽に反映され、表現されることによって、それを受けた側も喜びを感じ、僕という人間を認めてもらい、お互いが心で触れ合う。音楽をとおして触れ合うことがやっとできるようになったのが40歳になってからです。
40代はじめ1990年ころに自分が思っていたソロのコンサートができるようになりました。
内海:そうですか。1990年ですか。1990年という年は、父が亡くなって、私が会社を引き継いだ年になりますね。スタートが一緒ですね。
ウォン:男は40歳からです(笑)。
これは共通してますね。20代とか30代はまだまだ学びの時期でして、本当の生き方なり、やりたいことがようやく見えて、本腰を入れてやれるようになるのが人間はたぶん40歳からではないかと思います。
内海:そうですね。私も40代前半に、社長に就任して、社長というのはこんなものかと思った途端に、次から次に色んな試練がきましたね。まだまだ修行がたりないということで、たくさんの試練を与えてくださったんだと思いました。
ウォン:僕も同じでしたね、40代というのは僕の出発点ではありましたが、40代前半はやはり大変でした。
まずコンサートをやるというのが、まだまだ自分でわかっていなかった。本当に自分がやりたいコンサートができるようになるまでずいぶん時間がかかりましたし、40代の前半、SATOWA MUSICという自分で立ち上げたインディーズレーベルを軌道にのせるためには本当に大変でした。
家内と二人でマニュファクチャーをやってましたね。家内制手工業みたいな形で…(笑)。
内海:SATOWA MUSICをスタートされたのも40代ですか?
ウォン:はい、やっと自分の音楽スタイルが見つけられて、コンサート活動、CDの制作やあらゆる活動を、いわゆる業界のやりかたではなく、自分たちの思いが通じるやり方を自分たちで探していこうということで、家内と二人で始めたのが1992年ですね。インディーズレーベルで最初は本当に大変でした。暗中模索で、手探りでやって、そういうことがあったからこそ、自分の思いが繋がるような今ができたんだと思いますね。
お陰さまで1995年にNHKの仕事をさせてもらったことがきっかけで、インディーズレーベルのマニュファクチャーから、突然そういうメディアにのるような仕事もやるようになってきました。その後NHKのために作った曲が、“feel”というコンピレーションCDに採用されて、それが結果として200万枚ほど売れることになったのです。今はたくさんのファンの皆様に支えられて、自分たちの音楽をやりたいやり方でオーディエンスと一緒にわかちあうというスタイルになりました。
内海:そうですか。私たちがウォンさんと出会ったのも1995年だったと思うのですが、その当時経営理念を模索していた時期でして、父がつくった会社で、二代目の私がどういう会社にしたいのか、目指したいのかと、悶々としているときに出てきた言葉が、<Living with joy>でした。その喜び(joy)をコーポレートアイデンティティ(CI)と言わずに、私たちが提供するサービスというものを芸術的に高められないだろうかと思い、コーポレートアートとして目指すことにしたのです。
一流の素晴らしいアートに接すると心が涙するという体験をしていましたので、その体験をもとに企業が何を表現できるのかと模索しているそのときにウォンさんに出会いました。
(後編に続く)
朝永のつぶやき
最後までご覧いただきありがとうございます!ここからは、担当が今回のヒューマントークを読んだ感想をまとめたプチコーナーです(^o^)/
今回はピアニスト、作曲家であるウォン・ウィンツァン様をゲストにお迎えし音楽との出会いからNHKのために作曲された”feel"ができるまでをお伺いしました。
ウォン様の音楽との出会いを読んでいると、小さな時からずっとそばにあった存在だったものが仕事になっているというのはとても素敵なことだと思いました!まさにアーティストですね(*^-^*)
アーティストというと、ウォン様のようなミュージシャンや画家などのイメージがありますが”その道のプロフェッショナル・専門家”という意味も含まれているそうです。
それを考えてみると、ヒューマングループには様々な分野のアーティストがたくさんいますね!
私はまだまだ未熟なので、アーティスト目指し中です…(笑)
仕事だけでなく、趣味などでこれなら自分はアーティストだ!と思えるものはありますか?
考えてみると、新たな自分の魅力に気づけるかもしれませんね♪
それでは今回はこの辺で!また次回お会いしましょう。
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