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#小説
【改稿版】カレーの事情《1》「僕が記憶をなくした理由」
鼻孔に香ばしい匂いが広がった。ターメリック、レッドチリ、クミン、コリアンダー。さまざまなスパイスが混ざり合った中に少しだけ香るトマトの匂い。これは我が家のカレーの匂いだ。今朝もカレーか。そう思いつつ、僕は重い瞼を開く。
目の前には見慣れない天井の色があった。僕の家ではない。目を開けるまで家の自室で寝ているものとばかり思っていたのに。今いる場所を確認しようと慌てて起き上がる。途端、体の節々が鈍
ふがいない僕が捧げるメリークリスマス
※。.:*:・'°☆
書きかけの小説が、腕のなかで暗がりに横たえている。渡せなかった一節は、時間に託つけて踏み出さなかった罰なのだと云わんばかりに素知らぬ顔してクリスマスイブの聖歌を歌っていた。完璧なきみには似合わないほど不恰好で、不器用すぎる僕の物語を、きみは知るよしもない。
※。.:*:・'°☆
『しゃんしゃんという音は、トナカイの足音だと思っていた。』
デスクライトのオレンジ色が
shape of プロローグ
一昨年三月、横浜サッカースタジアムで行われたJリーグ第三試合。FC横浜対ソレイユ長崎戦は、前半三十分2対2と膠着状態が続いていた。横浜が先制点を奪うも、すぐさま一点を返され、点を取ってはまた返されといっこうに点差を広げられずにいた。そんな緊迫した状況の中、均衡を破ったのは途中出場でピッチに上がった一人の新人選手だった。
パスを呼び込んでからの華麗なドリブル、極めつけに豪快なシュートを放って、
BLUE 【track1】
【track1】 藍色
海鳴りが割れるような音と共に光景は青に包まれた。
完全な青というよりは、色褪せた白黒写真が映す藍色に近い。事実、それは十年も昔の記憶であって、写真の中に入り込んだように世界は静止し続けている。
幼い頃の僕は、コンサートホールの舞台に立っている。向かい合う観客達は皆、真っ青な顔をしていた。目の前に仁王立ちしている男のジャンパーも陰に覆われた顔も青い。足元に横たわっ
相思相愛 side he
触れる唇からはまだ、好機のぬくもりが感じられた。
うっすらと目を開けば、白い肌越しに夜の街のネオンが燦然と煌めく。ガラス戸の向こうのそれは、少し白ばんでいて、まるで俺たちだけ世界と隔たれた場所にいるみたいだった。
ポロロンと憂いをふくませたピアノの音色が部屋の中を一人歩きしては、ムードを越えてはいけない世界へと引き込んでいく。俺はまた目を閉じ、のせられるがままに己の欲情をうねらせる。
相思相愛 side she
月が弾けたような光が夜空を走って、あの人との通話が途絶えた。見上げると月はまだそこにいて、ほっとした気持ちになる。
照明が程よくしぼられた薄明かりの部屋に視線を戻すと、彼はすでにベッドの上で眠りについていた。静かに脇に寄り、彼の寝姿を眺める。
アルコールの回った身体に下品な匂いはさせず、少しの疲労感だけを漂わせて、ベッドに身を委ねていた。首筋まで伸びたキャラメルマキアートに染まった髪が、