人生、諦めてなんぼ。
「なんてことを言うんだ…」と思った方もおられるかもしれませんね。ごめんなさい。
でもこれって本心なんです。ぼくもすこし前に腑に落ちたことなんですけどね。
この「人生、諦めてなんぼ。」の意味を知ると、ぼくが生きやすくなったように、こころ軽く生きられる人がふえる自信があります。
ぼくが「人生、諦める」にこめた意味を、すこしでも多くの人に理解していただけたらうれしいです!
では解説していきます!
「諦める」に隠された本当の意味とは
とつぜんですが、あなたは「諦める」の語源をしっていますか?
諸説あるのですが、もっとも有力なのは「明らむ」つまり「明らかにする」というもの。
ぼくがこの「諦める」ということばに感動したのは、「明らか」にして「受け止める」という二重の意味がこめられてるな、と感じたからです。
この記事のタイトル「人生、諦めてなんぼ。」の「諦める」を上記のことばに置きかえてみると分かりやすいでしょう。
「人生、諦めてなんぼ。」
↓
「人生、明らかにしてなんぼ」
「人生、受け入れてなんぼ」
人生とは当然、じぶんの人生です。「人生=自分」ともいえるでしょう。となると「自分を明らかにしてなんぼ」となり「自分を知ることはいいことだよ」という解釈ができます。
つまり自己理解の重要性を説いているんですよね。こうみてみると、ほんらいの意味とは全くもって真逆のような気もします。
さてつぎに「人生、受け入れてなんぼ」は「自分のことをそのまま認めるのはいいことだよ」と解釈できます。
これは、自己受容の重要さを説いているのがわかるのではないでしょうか。
さいきんは「HSP」や「完璧主義」な傾向をもつ人が増えてきているなと、思うことが多くあります。
まぁ、ぼくを含めなのですが💦
意外とHSPさんや完璧主義な人たちって、自己受容が追いついてないことがあるんですよね。というのも、ほかにもたくさんの考えが浮かんでしまい、自己受容に手が回っていないからなんです。
つまり「自分を知る時間」をしっかり取れていないんです。
この「自己を知り受容する」ための内省の時間がとても少ないのが大問題。
HSPさん、完璧主義な人は、自分と向きあう時間が大好物だからです。
ここで「自己受容ならいつもしてるよ」とツッコミをいれたくなる人もいるでしょう。
落ちついてください。ぼくもこの手のツッコミをしたくなったから気持ちはよくわかります。
でも、自分を知るための内省の時間を「ゆっくり」はとれてなくないですか?
とれてないですよね?「ゆーーくり」は。というか、最近、仕事とか家庭とかのことを考えずにゆっくり休んだのはいつですか?
なかなか答えられないのではないでしょうか?
そう、これは裏をかえすと「ゆっくり休めてない」ということでもあるんです。
ギクリ…と思った人、いるんじゃないですか?
だからこそ言いたいんです。
「人生、諦めていきましょう! 」
自分を明らかにして、受け入れて、ありのままを好きになっていこうよ、と。
むきだしの自分に自信をもとうよ、と。
そして、それをできるようになるためのゆっくり時間を積極的にとっていこうよ、と。
そういうことなんです。
この簡単なようでむずかしい人生の命題を、端的に「人生、諦めてなんぼ。」というみじかいことばに込めてみましたが、どうでしょう?
ぼくはこの記事を、ここまでみてくれてる悩める誰かのために書いてるというよりは、自分にいい聞かせているつもりでかいてます。
だいぶ心軽く生きられるようになったとはいえ、悩む時はとことん悩みますし、失意のどん底に落ちることもしょっちゅうあります😅
人間だもの!
でも、そんな時でも「考えてもしゃーない、諦めよう」と、なやむ理由を「ジャーナリング」や友人との「対話」で明らかにし、受け入れるようにしています。
そして、自分との折りあいをつけるためのゆっくり自分とむきあう時間も確保するようにしています。
それを続けていったからこそ、いまの身軽な自分がいます。
ぼくもこの1.2年で、諦めるを意識したらかなり生きやすくなったので、この経験を多くの悩める人にシェアしたいんです。
この記事がひとりでもいいから、自分の特性や繊細さ、不器用さに悩む人の支えの一助になれたら、これほどうれしいものはありません。
悩んだり、こまったり、頭がグルグルしていることがあれば、みんなで共有して、みんなで解決していきましょう!ぼくでよければなんでも聞きます。いつでもコメントしてくださいね^_^
では、また夢であいましょう!おやすみ
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