障害とかあれそれ

前アカウントからのコピペ
2021年3月29日 23:10 投稿


※本文章はあくまで私個人の感じ方・考え方であって当該障害・病気を抱えている方全ての意見ではありません。また、私は医学的にも素人であり間違った知識・表現を含む可能性がございます。
※とりあえず、なんでもOKな方のみどうぞ(注意書き考えるのめんどくなった)

私は現状診断を受けているものが2つあります。
ADHDと双極性障害です。この他にもあると思います多分。
診断を受けてないもの、そもそも病名ではないものとか複雑なものとかもひっくるめて自分に当てはまると思うものを他に挙げるならば、
愛着障害、アダルトチルドレン、自律神経失調症、境界性人格障害
あたりあるんじゃねえかな~とは思ってます。思ってるだけ。診断は受けてない。

ちっせー頃から今に至るまでよく言われてきた言葉「変わってるね」「ヘン」「普通わかるでしょ」「なんでできないの?」「お姉ちゃんなんだから」「よそ様が見たら恥ずかしい、みっともない子だと思われるよ」「みんなはできてるのに」
等、思い返すとゲロ吐きそうなもんばっかですがざっと思い出せるのは上記くらい。
ADHDは先天性の障害なんで、とにかく動き回る、じっとしていられない、集中力がない、人の気持ちがわからない、考えるより口が先に喋ってしまう、マルチタスクができない、忘れ物が多い、時間が守れない。とかよくありました。今もよくあります。(これ以外も多くあります)
小学校のときが恐らく1番酷かった。授業中は座っていられないし宿題は忘れてくる。集団登校も遅刻するし持ってくるべきものも忘れてるし、親に出すプリントも学校に置いて帰るとか。よく怒られました。
何年生のときか忘れたけど学級目標が「クラス全員忘れ物をしない」だったんだけども、忘れた子は朝の会か帰りの会でクラスみんなの前に立って「私は今日○○を忘れて学級目標達成できませんでした。ごめんなさい。明日からは忘れないようにします」みたいなことを言わされた。多分ほぼ毎日言ってた。親も大概いろいろ言われたんじゃねえかな知らんけど。今思うと拷問かよって思うわ。教育委員会行ったろかな
まあそういう感じで昔っから落ち着きのない子だった。友達も上手に作れないし、人の気持ちがそもそも察することができないから(空気が読めない)、友達を傷付けても平気な顔してた。と、思う。
でも5、6年生くらいから「あれ、自分おかしい?」ってなんとはなしに自覚してきて、まあそのきっかけってのがいじめです。
みんなと違うからとかヘンに目立ってるからとか気に食わないとかそういう理由だったんだろうね、まあこっぴどくいじめられまして。
暴力とか物がないとか物が壊れてるとかはなかった。ただ無視するとか、仲間外れにされるとか、私の名前を出さずに私の悪口をすぐ近くで言うとか、容姿や持ち物の悪口とか、廊下のすれ違いざまに「死ね」「学校来んな」とか言われるみたいな。
今考えるとまだマシじゃねとは思うけど当時、まだ私も女児でしたから。耐えれなかったんですよね。でもどうしたらみんなと同じになれるとか、普通になれるんだろうとか、ずっと考えたけどどうにも治らない。っていうか治ったとしてもいじめられるまでいったらもう終いよ。
ただこれはずっと覚えてるんだけどwwwwwいじめられてた時期に傷付けられた言葉や行動を学校から帰って毎日日記というか、メモしてたwwwww誰に言われたかとかまできっちりメモしてたwwwww
その時の私は「これでいじめの証拠として出してやろう」とか「こう言われたから治そう」とかじゃなくて「こう言われたことをあえてメモに残すことによってあいつらへの怒りを忘れないでいよう」って思ったんだよね。小6で。俺の殺意はこの頃に芽生えたんですねえ~~~(他人事)
というのも、学校から帰るといじめグループはいじめる前みたいに仲良くしてくる子が一部いたんですよね。それで絆されかけたところに翌日学校でボロカス言われるみたいなパターンがあって。それで「二度と絆されてたまるか。こんなこと言われたんやぞ」って忘れないためにメモしてた。あれなんなん?集団じゃないと言ってこられへんのか?クソガキ共ぶっ殺すぞ(元保育士より)

まあそんなこんなの小学生時代、この頃から自傷行為ってのが始まっちまいました。少しずつ不登校気味にもなりました。
中学も地元の小学校からみんなあがってくるからメンバーも変わらんわけですから、~いじめ再び~ってなんのも秒でしたね。
自分、バスケ部に入りたくて入ったんですがそこにいじめっ子グループたちが見事におりまして。それでも他にやりたい部活もないんで入ったんですがまあ見事にいじめられるいじめられる。不登校全盛期。
それでも3年間、部活は辞めませんでした。偉い。先輩方や顧問からも冷たい態度取られたのは忘れてねえからな。テメーらの面と名前絶対忘れないように卒業アルバム持ってんだからな。
んで、家庭環境もあ~んまりよくなかった。母親が心配性というか過保護というか過干渉。一時期うつ病も患ってた。父親も一時期うつだった。妹も発達障害。役満家族かな?????
学校からのいじめで精神的にボロボロになって自傷行為、不登校、親からの圧、進学はしたいけど学校は行きたくない自分の中での葛藤、妹や近所の子と比べられる発言。めっちゃきつかったね!!!高2夏まで続きましたわ!!!
高校生になる前、「また不登校になるんじゃないん」って言われてたけど近いしって理由で地元の高校にそのまま上がった。小学校からのいじめっ子たちはおらんかったけど、まあ新しい環境でも見事にいじめられまして!!!なんで!?!?!?(きっかけはそのとき仲良かった女友達の好きな人と仲良くしてたから。は???元々俺が紹介したったんやろがい殺すぞ)
つまりどの環境でもいじめられてたわけですね。で、高校になると深夜徘徊?始まっちゃったりして、親との関係はどんどん悪くなるんです。学校にも行きたくない、家にも帰りたくない、でもバイトもしてないしお小遣い貰ってるだけだから大してお金もない。とりあえずカバンには携帯と一応財布と、カミソリとポケットティッシュ。
他の学校の子達や、門限のないゆるい家の子とかと毎晩遊んでた。行先もないんでね。親からは当然鬼電かかってくるわけですが。帰っても怒鳴られたりため息つかれたり。

さて、小学校高学年の頃から私はパソコンにハマりまして(友達おらんかったから)、ニコニコ動画やら2ちゃんやら……コミュニティサイトっていうんか?まあ今で言うTwitterみたいに交流できるサイトがあって、そういうのをしまくっておりまして。で、その頃から不登校とかいじめについてそのサイトで相談したり、ググったりしてたんですよね。で、ある時「朝起きられないけど夕方から元気になってくる」病気(正確には病気ではない)を見つけてチェックリストを見てみたら見事に全部当てはまったんですよね。それが自律神経失調症(私が医師から言われたのは起立性調節障害だった)。でも小5,6の私は「こういうのって当てはまるように書かれてるんだ」って思ってたんです。いやまああながち間違っちゃないとは思うけど。親に相談するも「早く寝たら早く起きれるでしょ」と言われるだけでした☆
で、中2くらい?から心療内科ってのに通ってます(中2で自傷行為がバレた。それをきっかけに通いだした)。そこで上記の「起立性以下略」って言われました。あと不安障害とかそういうの。

そして高校生になりまして、いじめられまして、また不登校になっちゃったわけです。
でも私は中学生の頃から「児童福祉施設の保育士になりたい」という夢があったんです。だから保育士を取るために出来たら大学か短大、専門学校に行きたかった。でもそれには高校を卒業したほうがスムーズに行くこともわかってた。でも明日学校に行きたくない。行けない。
しかし子どもが学校休む際は親から担任に連絡しなきゃいけなかったんですよ、うちの学校は。で、毎朝母親が私の部屋に来ては「今日も休むんでしょ」って聞きに(というか一応の確認をしに)来て担任に電話してっていうモーニングルーティン。母親はそれがたまらなくストレスだって言ってました。「妹は普通に学校に行くのに、お前はどこが悪い訳でもない、ただ夕方まで寝て、起きて夜ご飯食べてケータイやパソコンいじって夜更かしをして、学校休んで……この穀潰し。出ていけ」ってしょっちゅう言われてました。

あ、そうだちなみに自傷バレしたときは馬乗りになられて包丁片手に「そんなに死にたいなら一緒に死んでやる!」って言われました。ワハハなんやそれ。それ言われた中2わい、なんでもいいけどやっと死ねるならラッキーと思って嬉しくて泣きながら笑った記憶ある。やっと死ねる解放されるやったー!って。死ねなかったから今これを書いてるわけだが。

妹も発達障害があるくせに、いじめられなかった。妹の世代はみんなふんわりというかあんまり気の強くない子が多かったらしく、いじめ自体もそんなになさそうだった。ちょっと仲間外れにされるくらいはあったらしいけど、妹は良くも悪くも図太い(笑)から放ってたらしい。っょぃ
で、部活も順調にやってた。吹奏楽部。うちの中学は吹奏楽部がスッゲ強かったからコンクールとか出てたし、両親もよくそれを見に行ってた。
私は中学時代のバスケ部、身長もなければ経験もなかったから試合なんて出ることはなかった。
両親もバスケはやったことのないスポーツだったから、テレビで私が見てても特に関心のない様子だった。
でも吹奏楽、いわば音楽はルールとかって特にないものだから、両親と妹でよく音楽の番組(オーケストラとか)を見て楽しそうに話してた。
私はそれを聞きたくなくて、自分と比べて劣等感に駆られて、リビングから逃げるように自分の部屋に行ったし、果ては深夜徘徊した。

そういう小さな積み重ねが大きな深い傷となって残ってしまった。両親に悪気がなかったのも今は分かる。でも当時は「妹もらびも、同じように接してる」と言われても理解できなかった。親から見たら「学校にも行かない深夜遊びまわってる穀潰し長女、真面目に学校行って友達作って部活も順調な妹」で、同じ接し方ができるわけもないし、私もその劣等感は当時からあったから「妹ばかり贔屓するな」って泣いてたもんです。若かった。
親は「じゃあ学校へ行け、夜外出するな」ってなもんでいや正論なんですけどね。学校へ行けないのも、夜家に居たくないのも、私のせいじゃないんだよなあって、今なら思える。
当時、高校生の私は全部自分が悪い、どうしたらいいんだろうどうしようもできない、死にたい。ってよく腕切ってましたワハハ

高1のとき、一個上の恋人が出来てささいなことでケンカして『私なんか死んでしまえばいいってあなたも思ってるんでしょ』っていう、(いやあの、当時15歳だったから……許して……)まあドメンヘラなクソ面倒なメール(まだメールの時代だった)送って、恋人もまあそりゃ16歳とかですからね、疲れたんでしょうねいろいろ。「うん」って返事来て、そこで私は人生初のODぶっかまして、翌朝、両親に発見され胃洗浄のため病院運ばれたっていう。ドッ/

で、高2の夏に通信制高校に編入してからは比較的落ち着いたね。毎朝学校に行かなくてもいい、昼からでもいい、友達作らなくていい、勉強はできるししっかり教えてくれる。ってんで、編入したてはあんまり行けなかったけど、少しして落ち着いてからはほぼ毎日行ってた。
やっぱ似たような境遇で編入してくる子が多くて、気の合う友達が出来たし先生も根気よく勉強教えてくれた。学校行くのが楽しかった。
そこで私は「勉強は嫌いじゃない、でも集団行動が苦手」ってのに気づきました。
あ、そんで多分確かそのくらいにADHD診断されたんだったと思う。最初はよくわからなかったけど、ネットでいろいろ調べてるうちに「えっ、これって私だけやなかったんや」「あ~そういう特徴のある障害なんね」「じゃあ、今までのは私の努力が足りなかったわけじゃなくて障害の特性やったんか。ウワ~~~安心!!!!!」ってなった。

毎度お決まりですが、何書こうとしたかうっかり忘れてますね。はいADHD出ました。
書きたいことがいっぱいで、整理できてないからこうなる。サイセン
まあ、常に頭の中がこれくらい思考で埋め尽くされてるってことですね(知らんけど)
今これ書いてるんもスマホじゃ追いつかんからわざわざパソコン引っ張り出してまで書いてっからね。

まあつまり、障害や病気にこんな感じで苦しめられてきました。今もしんどいです。障害って意外と身近にありまっせ。そうでなくても生きるだけでしんどいよな。
みてーなことです以上。2行でまとまったな。
悲劇のヒロインしたかったわけじゃないんですけど思い出すとあれも書いておこうっていうか、「今自分が考えていることを残したい」って欲が出ちゃうんです。でも読み返すと完全に悲劇のヒロインやなワハハ
同情されたいわけじゃないん。それでもまあなんとか生きてるぜ~っていうのと、こういうことあったから今こういう苦しみあるで~みたいな紹介がしたい。
てか「君は人生の主人公だ!」て言うてくるくせに「悲劇のヒロインすんなや」って一般論?世論?世間?もだいぶ矛盾したこと言うてくるよね、
要は都合の良い綺麗事言うて酔ってたいだけやろ、クソッタレ

うーん、まあなんとなく察してくれてることでしょう。飽きてきた。疲れた。ガイジなんですまんなワハハ
またうまいことまとめて書けるようになったら書きます
とりあえず頭の中の思考を吐き出せたから、ちょっとすっきり

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