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アートと記憶

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戦後の日本文化における岡本太郎先生の3つ目の役割

戦後の日本文化における岡本太郎先生の3つ目の役割

戦後の日本文化における岡本太郎先生の3つ目の役割を話します。

我が国が戦後の復興を成し遂げ、
資本主義社会の先進国である欧米に追いついたことを国民と世界に示す1970年の大阪万国博覧会で、
シンボルとしての役割を担いました。

万博のテーマ「人類の進歩と調和」のコンテクストを創ったのは、
京都大学の生態学者、民族学者、情報学者、未来学者である梅棹忠男(1920〜2010)と
東京大学の文化人類学

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戦後の日本文化における岡本太郎先生の3つの役割

戦後の日本文化における岡本太郎先生の3つの役割

今日は、戦後の日本文化における岡本太郎先生の3つの役割を考えてみました。

いずれも先生の思考の中心にあるのは、1930年から1940年までにパリで学んだ体験です。

これは東京画廊で1961年に展示しました。(タイトル不明)

まず1つ目は美術に関してです。
当時のパリは印象派の時代が終わり、抽象美術やシュールレアリスムの運動などが盛んで、色々な国からアーティストたちが集まる世界都市でした。太郎

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岡本太郎先生の記憶

岡本太郎先生の記憶

さてさて記憶を蘇らせながら、私のアート体験を話し始めます。

今回は、岡本太郎先生のお話です。

前もってお詫びしておきます。父のように日記を残していないので、私の記憶が不確かなうえいくぶん後から脚色してしまっているところもあり、それをお含みおき下さい。

10月12日の午前中にベネッセ倶楽部エリアイベントで、岡本太郎先生の嘗てのアトリエだった岡本太郎記念館を訪ねました。
小学生の頃以来60年振り

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アーティストとして認められる社会環境について

いよいよ3番目の自立の条件についてお話します。
1番目と2番目を可能にさせる社会環境についてです。

江戸も中期を過ぎると町人たちの経済活動が盛んになり、
100万人の人口を抱える世界でも屈指の大都市になりました。
信長や秀吉による経済的インフラの改革が、
徳川の時代に実を結び鎖国によって熟成した文化が育ちます。
この文化はそれまでに無かった町人たちによる文化です。

武士階級に支えられた

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アーティストとして認められるための1つ目の条件とは?

今日は、アーティストについてお話ししたいと思います。

近現代の資本主義社会において、

アーティストとして認められるには3つの自立に関する条件があります。

1.作品の表現つまり画題と画法を自身で決められる「自立」
2.生活のための収入が自足していて制作を続けられる「自立」
3.以上の2つの条件を可能にする社会環境がある「自立」

三大巨匠であるダビンチ、レンブラント、北斎は、近代以前にこれらの

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北斎は日本のメインカルチャー

北斎が日本のメインカルチャーであることに異論を唱える人はいない。

「1960年ウィーンで開催された世界平和評議会で北斎は、
ダビンチとレンブラントと並び世界文化三大巨匠に選ばれた。」
と神山氏の著書に書かれている。

北斎の「神奈川沖浪裏」の木版画は、今世界中に知られている。

浮世絵は江戸時代の終わりにヨーロッパのアーティストたちの目にとまり、明治時代にはゴッホやモネたちも手に入れていた。

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記憶について

リドリースコット監督の映画「ブレードランナー」とカズオイシグロの小説「私を離さないで」のテーマは記憶です。どちらも、私が私であることは記憶に依っていると問うてます。

記憶は五感の知覚による体験の積み重ねであり、人の一生は体験の歴史とも言えます。五感の一つである味覚は、5歳までにいろいろな自然素材を食すことが大切であると聞きました。

一歳の孫を見てると、五感をフルに稼働させようやく母親を認識でき

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山本豊津公式ブログ「アートと記憶」

古希になった今日からブログを始めます。

この5月に一柳慧/近藤高弘「消滅」展を企画したところ、
現代音楽と現代陶芸のコラボレーションなので、
ジャンルを超えた来場者がたくさん見えました。

一柳先生は、私の父が1962年に企画した
「前衛音楽の4人の作曲家による楽譜」展以来56ぶりの出展です。

展覧会の後日先生に誘われ「川島素晴works vol.2 by 神田佳子」の
現代音楽+パフォーマン

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