蛹と蝶と挑戦とー手塚治虫『ブッタ』に思う
挑戦には不安がつきまとう。失敗したらどうしようだとか、たとえ上手く行っても痛かったり辛かったりしたらどうしようだとか。
今でこそ「究極的にはその時にならないと分からない」と思えるようにもなったが、昔はよく足踏みをしていたように思う。
さて、挑戦はたぶんしたほうがいいと個人的には思う。それは新たな自分に出会えるといったようやプラスの意味よりも、いずれ挑戦しなかったことを後悔するという苦しみが待っているからである。
実際私も何か新しいことに挑戦するときには「後悔したくない」というネガティブなモチベーションが大きな原動力となっている。
ただ挑戦するには、先上げたような不安、痛み、辛さを一旦棚上げする必要があることも確かだ。そのようなとき、私は大抵手塚治虫の『ブッダ』にある「死」に関する一場面を思い出す事が多い。ブッタは青虫の蛹を見ながら、以下のように弟子を諭す。
「死ぬということは人の肉体という殻から生命(いのち)がただとびだしていくだけだと思うがよい」
とびだした生命が今後どのような生活を送るかは生命自身である虫にも分からない。ただ事実として、青虫だった頃や殻にこもっていた蛹時代とは異なり、虫は蝶として全く違う世界で文字通り、羽ばたくのである。
これはあくまで死に関する問答だが、私にとっては何かに挑戦する際の心の拠り所となっている。青虫が蝶としての世界を見たことがないように、私も挑戦後の有様を気にしても仕方ない気がしてくるのだ。
また挑戦しない後悔を蛹に置き換えると、蛹のままに死すことのように感じている。もちろん死した蛹は後悔すらしないのかもしれないが、私たちが一瞬でも蝶になりたいと願うなら蛹としての一生を終えるのは不本意ではないだろうか。
挑戦と近い表現に「殻を破る」とあるが、これこそまさに蛹と蝶の例えのように思えてきた。
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