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「論文なんて誰が読むねん」と思ったあの日から 

私の日々の記事には裏テーマがありまして。

「学術研究を翻訳する」

#読書の秋2021受賞に寄せて

誰が読むねん

やっぱり思った。
一年以上前から思っていたけれど、やはり思う。

「誰が読むねん」

一所懸命に調査して、自分なりに感動みたいなものも得て、先生・先輩そして調査先で出会った方々に力を貸していただいて。

にもかかわらず、この文章はとある大学院の図書室にポンと置かれるとそれで終い。一応、学位記(観光学修士)なるものを渡されはしたけれど。

学生と院生しか読まない論文

これは私が修士論文を書き終わったころに、改めて感じたことだ。書き始めた途中から薄々は感じていた。それでも、書き終えた当時就職先の内定をもらっていたにも関わらず、どこかで「(学術)論文なんて誰が読むねん」をひっくり返すような感覚に出会ったら、内定を辞退して博士課程を受験しようと思っていた。

ただそれは起きなかった。だから、私は大学院から離れた。
私からすれば、学術研究というのは「おもしろさ」の塊だ。研究それ自体はもちろん、それに邁進する研究者や大学院生が持つ思考や問いや論理性がなぜ広く知られていないのか?と今もなお思えてならない。そして何よりも、

「問いを立てる」ということがおもしろいのだ。

ただ結局、論文を筆頭とした学術研究なんていうものは、学者・院生と新聞記者や出版社の人間などいわゆる知識人のための娯楽でしかないのか?広くその面白さや有用性を伝える方法はないものか?

反知性主義と言われて

こんな考えを表明すると、一部の研究者から、

「そもそも学術研究は分かる人間で高いレベルで議論することに意味がある。君の意見は反知性主義だ」

と言われたこともある。一理あると言えば一理あるが、じゃあなぜ研究するのだろう。無論、

「私は私の好きなことをただひたすらに研究する。それが私の仕事なんです。誰かのためになんて思ってません」

と言うのなら、逆に清々しい。でも他方で、学術研究の多くは「社会のため」なんていう大義名分が付いて回る。いくらそれがホンネではなくタテマエであったとしても、そこに研究する理由があるのなら、その成果を社会のために還元する術を模索してもいいのではなかろうか?

なぜなら、学術研究はおもしろいからだ。

学術研究を翻訳する

今の私は、宿の経営や農業に勤しむ毎日を送り、その生活を記事にしたりもしている。他方で、社会評論めいたコラムやエッセイも多い。そして、もっといえば、先の日常生活の記事は、そのようなコラムやエッセイを読んでもらうためのものでもある。

「農業とか料理の記事以外にも、こんな真面目そうな記事も書いてるのね」

とその記事を読んでほしい。つまり、一見難しそうな文章を読んでもらうためには、私をより身近に感じてもらう必要があると考えているのだ。
学者・院生が書いたとなれば、どこかお高く留まってしまう。だからこそ、様々な方法を通じて、その敷居を下げたいと思っている。

また私にとっては先のコラムやエッセイは「学術研究を翻訳する」試みである。ただ翻訳は難解な論文や書籍を単に簡略化するという意味ではない。学術研究の面白さを私の経験や身近な例を用いて再構成する。そして「問いを立てる」という営みを疑似体験してもらう。そうすることで、いつか

「問を立てるって楽しいことなんだ」

となりやしないかとさえ思っている。実際、私自身の記事はもちろん、個々の学術研究がもたらす社会への影響は微々たるものだし、即時性を持たないことは確かに多い。だからこそ逆に、具体的な研究内容よりも、「問いを立てる力」というその普遍的な価値を広めることが、研究の影響力を最大化する方法と思えてならない。

ただ当の研究者たちがそれをすることに時間が足りないこともわかる。だからこそ、それを私のような人間が学術研究と社会を繋ぐメディアとして、研究を翻訳する必要があるのではなかろうか。

記事の投稿を続けるというのは、私にとっては、「論文なんて誰が読むねん」に対抗する術であり、学術研究の面白さを伝えようとするチャレンジなのである。

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改まってこれを記事にしたのには理由がありまして。

先日、光文社新書さん#読書の秋2021で私の記事を優秀作品に選んでいただきました。これ庭田杏樹・渡邉英徳(2020)『AI化した写真でよみがえる戦前・戦争』の感想文であり、一方で私自身が広島平和記念公園・資料館をフィールドに調査をしていたために、「研究での気づきを論文とは違った方法で、もっと広く伝えられれないか」というチャレンジでもありました。これまで深くは言及してきませんでしたが、、、

おかげさまで優秀作品に選んでいただき、「誰が読むねん」という高い壁をようやくよじ登り始められたのかなと個人的には思っています。実際、壁を登り切れるかはまだまだ分かりませんが、私なりに「誰が読むねん」と向き合っていければなと思っています。

★たまには少し真面目だったり、哲学めいたお話も(一泊5400円~6000円)

※ヘッダーの写真は、札幌の研究室を去るときに記念に撮った一枚です。机が恋人というくらい、土日関係なく毎日ここに座り、本や資料とにらめっこしていた時期もありました。

余談ですが、冬の札幌の窓際、寒い。


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