見出し画像

おばあちゃんは「家内」だった

祖母から「おばあちゃん」感が抜けた。

おじいちゃんの家内は誰?

島に移住してきて以来、よく大阪の祖父と電話をするようになった。
それもそのはず、祖父の生まれ育った島に、孫の私が住んでいるからだ。

さて、祖父と電話をしていると、ときどき祖母の話になる。すると、祖父は祖母のことを「家内」と呼ぶのだ。
私は最初この呼び方にとても違和感を覚えた。なぜなら、私の前では誰しもが祖母のことを「おばあちゃん」や「おばあさん」と呼ぶからである。つまり、私の母にとっても、叔父にとっても、孫の前での祖母は「おばあちゃん」であり、「おばあさん」なのだ。

おばあちゃん感を求めて

もちろん、祖母は祖父の家内だし、妻だし、嫁だし、奥さんであるのは確かだ。ただ、呼び方が変わるだけで、急に祖母から「おばあちゃん」感が抜けたように感じられたのである。

家内主人と聞くと、そこには夫婦の上限関係を感じられる。
と耳にすると、その言葉にどこか公的な印象を抱かざるを得ない。
家内・主人、妻・夫、そして奥さん・旦那さんに子や孫の存在を感じにくく思うのは私だけなのだろうか。

孫中心主義な言葉

昔、日本語は「孫」を中心に、親族の呼称が変わると聞いた。すなわち、孫が生まれた途端に、親の親は「おばあちゃん」「おじいちゃん」と呼ばれ、親同士は互いを「おかあさん」「おとうさん」「ママ」「パパ」と呼び合い始めるということである。

血縁を巡る言葉が孫中心主義であるという事態を考えていくと、孫であるということは、その血縁の世界の中心に自分が置かれることを意味するのではないか。つまり、孫を中心として、そこから放射的に関係が紡ぎだされるということである。

だからこそ、その中心にいた私が、家内という言葉を聞いとき、私は祖父と祖母の夫婦関係に立ち入れず、どこか疎外感を覚えたのかもしれない。

言葉の社会性と「おばあちゃん」

当たり前だが、二人の夫婦関係に立ち入れるのは、祖父と祖母だけである。それは祖父母の子である母でも無理だ。もしそれを打開するためには、その関係を親子や家族という言葉に置き換えなければならない。

おばあちゃんが祖父の「家内」であるという事実は、私に言葉の社会性を教えてくれる。ただ反対に、そんな社会性の壁を乗り越えられる「おばあちゃん」という言葉に、どこか愛着が湧いてきたのも事実だ。

ーーー
昨今は嫁、奥さん、家内という言葉が差別的だということで。
となると、友達の妻や夫はなんて呼べばいいのでしょう。
嫁・家内はともかく、旦那さん、奥さんって「名前忘れた!」っていう場面で、とっても使いやすような。

いや、言い訳にせずに、ちゃんと人の名前は覚えなさいですね。

というわけで、本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。

★旅×農×本な民宿やってます↓



この記事が参加している募集

スキしてみて

最近の学び

いただいたサポート分、宿のお客様に缶コーヒーおごります!