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「動作を真似すること」と「ペースを真似すること」は似て非なる

最近ふと思ったのだが、真似するという言葉はなかなかに人間同士の意思疎通を難儀なものにしてはいないか。

かれこれ島のおじいさん・おばあさんご夫妻(80代)に畑仕事を教えてもらいはじめて一年が経とうとしている。今でも日々色々なアドバイスを頂戴しているわけであるが、初期の頃はなかなか私自身が彼らの言わんとすることを理解できていなかった。

農業初心者の私にとって、基本的には彼らの真似をすることを命題として日々を過ごしてきた。ただ真似するというのは私とご夫妻との間で、しばしば認識の不一致を生じさせてきたのも事実だ。たとえば、昨年8月頃の話。

「耕運機ガーッとかけるくらい、半日もすれば終わるやろ」

というおじいさんの発言があった。結論から言えば、当時の私では丸一日かかっても終わらなかった。そんなこんなで改めて耕運機のかけ方を教えてもらうと、例えば耕運する深さが深すぎたり、農地をどの順序で耕運していくかが間違っていたりと、耕運機一つとってもおじいさんと私の間では経験に基づく差があった。つまり、おじいさんからすればガーッなスピードも、当時の私にはガ、、、ガ、、、ガ?という低速運転だったのである。

さて、教えてもらったことを真似すると、半日とはまではいかなくても、数時間はペースアップすることはできた。他方で、動作はある程度真似できても、ペースを同じ水準にもっていくまでには至らなかったのである。

「そもそも初めて真似することなんか、時間かかって当然やねんから」

そんな時、おばあさんは私にこう声をかけてくれた。確かに当然と言えば当然なのかもしれないが、このとき心の底から「なるほど」と思ったものである。というのも、私はどこかで真似することはペースを合わせることと同義だと考えてしまっていたからだ。

今に始まったことではないが、私は他人から教えてもらうことについて要領を掴むのが遅い。昔からそれがコンプレックスだったし、それをなんとか食らいつく形で乗り越えようとしてきた。実際、様々な場面で「なんでそんなペースが遅いんや!」と怒られてきたわけであるが、別に私もグレていたわけではない。しっかり真似しようとしておそらくその人の想像以上に時間がかかっていた。それだけである。もちろんおじいさんが私を怒って急かすなんてことは今も昔も全くないが、おばあさんの一言はそんな私にとっては目からうろこであった。

よくよく考えれば、「同じやり方なら先人の方が作業は早いに決まっている」のである。だからこそ、動作を真似しようとすることとペースを真似しようとするのは、きっと別の事象として捉えるべきなのだ。もっといえば、動作を真似する精度が上がれば上がるほど、作業ペースもアップしていくはずである。

だからこそ、今もし「なんでそんなペースが遅いんや!」という問いかけに答えるとしたら、「作業は真似できても、ペースを真似できるほどの域には達していない」と答えられればと思っている。

ーーー

さて「なんで言われた通りにできんのや!」と言われる場面も過去には多くて。

真似しようと必死なんですけど、真似すること自体がとても昔から苦手で。時間をかければある程度できるんですが。例えば、漢字ドリルで「なぞる」のは特に苦手で、だいたい見本からはみ出してました。

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ただ学ぶの語源は「真似ぶ」らしいので、時間がかかってでもなんとか真似することを止めないようにしていければなと思います。

というわけで本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。

画像引用:https://www.bunkei.co.jp/digikyo/kokugo/tgkadr/jp.html

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