地域活性のジレンマ〜作られた特別とありのままの特別〜
「ありのままの皆さんを少し覗き見させてほしいんです」
活性と挑戦
島では活性を目指して少なからず動きがある。
私自身も市の臨時職員として、その動きを支える役目にある。
活性に向けた取り組みの是非は賛否両論あるので割愛するが、90%近くが65歳以上の高齢者のこの島では活性を議論するのも、やはり高齢者だ。
しかもその大半は70代から80代である。
さて、彼らの「何か特別なことをしてあげたい」精神は若い私にとってはもはや驚きの域に達している。
言うことは易し、行うことは難し
とはいっても、おじいさん・おばあさんは口を揃えてこういうのだ。
「できることだけやればいい」
彼らが口にすることは易しい。
しかし、傍から見ていると、実際は「特別なこと」をやりたいようにみえる。
やりたいとまでは言わなくても、特別こそが他人様を満足させるのだと言わんばかりだ。
ありのままと充足感
「ありのままの皆さんを少し覗き見させてほしいんです」
地域コーディネーターだという女性は島民の前でこう発言した。
私は彼女の言わんとすることがとても良くわかる。私自身、旅先の住民にちょっと挨拶をしてもらうだけで嬉しくなるし、ましてや茶でももらおうものなら小躍りしたくなる。
ただこんなことは島民にとっては当たり前の日常だから、おそらく島民はこれを「おもてなし」とは呼ばないだろう。
そのせいか、島民の表情はどこか浮かないようにみえた。
特別の種類
ありのままのでは、もてなす側の充足感は不足してしまうのかもしれない。
かといって、特別を提供し続けるのには体力もアイデアも必要だ。特別もいつかは普遍化してしまう
だからこそ、コーディネーターは「あなたのありののままは、実は特別なことなんです」と言いたかったのだと思う。視点を変えれば、誰かの日常は誰かの非日常なのだから。
一方で、施すことに慣れた島の高齢者たちにとって、自分の日常を差し出すというのは、どこか不躾なことなのかもしれない。
だからこそ、彼らは彼らの「特別」を追い求める。
作られた特別はイマの旅行者の心を揺さぶるのだろうか。かといって、ありのままの特別では、島民のモチベーションも上がりきらないのだろう。
何かしてあげたいと思う気持ちの行く先が、まだ島では見つかっていない。
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末筆ですが、一点お断りしておくと、島民全員が今の島の活性に賛同しているわけではありません。むしろ大半は無関心です。島の活性に躍起なのは案外少数派だったりします。
無関心が悪いかというとそうでもなくて、「やる気あることに文句は言わないから、老後はゆっくりしたい。巻き込まないで」という意見は私個人としては尊重すべきだと考えます。
他方で、「来島者には何かしてあげてもいいかな」という自然のホスピタリティは島民の多くが持ち合わせているように思います。
島の活性という点では賛否両論ありますが、島全体でこのようなムードがゆるゆると存在しているのは、島の良さのように思います。
というわけで本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。
※カバー画像はさぬき広島・江の浦にて。江の浦は遠浅の海が魅力の島の玄関口です。
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