収入増よりも、支出減を目指す 〜「コロナ危機後、日本の都市は「保守化」していく」を読んで〜
30代以下の青年層の購買力の低さを、一人の当事者としてどのように考えられるのか。
相対的に人口の多い、団塊の世代&団塊ジュニアが「消費しやすい」社会システム構築を推し進めることによって、消費は彼らの「既得権益」と化す、と記事はいう。
無論、他者の「消費」を前提に自分の資産増を目指すのであれば、青年層には今後何としても「消費」してもらう必要があるし、私自身も「生産」しなければならない。
しかし、私はどこかで必要な分だけ「生産」「消費」すればよいのではないか?と思っている。
また資産増に関しても「収入」を増やすだけでなく、「支出」を減らせば良いと思っている。
際限のない拡大戦略ではなくて、目指すべき天井を決めてしまうというわけだ。
まして支出が減れば、目指すべき天井を低くすることができるのではないかとさえ、思っている。
全てが満ち足りていなくても、自分が大切にしたいことさえ、事が足りればそれでよい。
別に無理してマイホームでなくとも借家で構わないし、車だって乗れれば中古車で構わない。
どんな家・どんな車かよりも、誰と住み、誰と乗るかが重要なのだ。
昭和の仕事人たちからは「覇気がない」なんていわれそうだが、彼らの既得権益によって若い世代の「消費」が滞る現代においては、「収入増」よりも「支出減」の方が実益を伴うような気がしてならない。
保守化していく街と団塊親子を揶揄してみたが、他方、消費に辟易としている私自身は何か守るわけでもければ、果敢に攻めるわけでもない。停滞しているようにも見えるだろう。
ただ、もしそれを停滞と呼ぶのなら、私はもう停滞している場所から動かずに、そこに一つ新たな苗を植えてやりたいと思えてきた。
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事実、地方移住のお金の問題はかなりシビアです。特に限界集落は雇用がないので、、、
当面は市の臨時職員として働きながら起業を目指すことになりますが、起業した際に年収いくらを目指すのかについては、私自身が望む結婚・子育て・趣味etcを加味しながら、目標を何度も見つめ直す必要があります。
そんなときに思うのは、収入増ばかりに目を向けるのではなくて、支出を減らすこと。
「お金はあればあるだけいい」というのも理解はできるのですが、あればあるだけと言い始めるとお金を理由に犠牲にしなければならないものが出てくるのです。
特に、お金が沢山もらえるからといって、休みを犠牲にしたくないです。
休みを使って、「旅行に行きたい」「家族や友人と会いたい」って別に否定されるべきことではないですよね?
というよりも、休む理由に否定されるべきものなんてないか。
有給を使って、1日中家でTVゲームしたい人がいるなら、それはそれで尊重されるべきだと私は思います。なぜなら、それがその人にとって大切な時間だから。
だからこそ、その一方で、「そもそも望んでもないものはいらない」と割り切りたいなと思っています。
たとえば、車と家電も中古・安物でOK。極論、動けば何でもいい。見栄を張るために働くくらいなら、休みたい。
先週『売上を、減らそう。』(佰食屋・中村朱美著)という京都の飲食店経営者の本を読み、目指すはこれだなと思ってしまいました。
私が一番いいなと思ったのは、この会社が
「売上を伸ばすというよりも、販売目標数を売り切る」
ことを重視している点です。
佰食屋さんでは、ランチで100食を売り切ったら、それ以上の販売はしないそう。
なぜなら、売上増を求めて、営業時間を長くしてしまっては、従業員が夕方までに帰られなくなるから(本ではもっと沢山の理由が紹介されています)。
売上至上主義に疲れた私にピッタリかも。
だって、会社の売上が伸びても給料は上がらないのに、逆に売上が落ち込んだら給料や賞与はきっちり下がるんだもん。
この本については、いつかレビューしてみようかな。
そんなこんなで、お金のことを考えると気が重くなりますが、たまにはこういう投稿もありかなと。
なぜなら、移住希望者がなんだかんだ一番気になる部分ですからね。
積極的に自分の実情?窮状?(笑)を開示して、移住者希望者のヒントになればいいなと思います。
よければ、「さぬき広島」も候補に入れてくださいね!
というわけで、ここで今日はおしまいです!
お読みいただきましてありがとうございました!
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