ぼくはたぶん、他人に興味がない
誰かとお話しするのが好き。
一緒にご飯を食べるのはもっと好き。
仮に直接会えない間柄であっても、その人の本を読んだり、ラジオを聴いたり。その人を知るということがとても好きだ。
つまり、他人がスキである。
ただ、ぼくは思う。
ぼくはたぶん他人に興味がない。
もちろん、究極的にって意味だけど。
他人の話を聞きたいのは、それを聞いた自分がどうなるのかを知りたいからだ。
そして、毎日書いている記事だって、全部自分のことだ。自分が見聞きしたことはもとより、経験したすなわち食べた・行った・作ったことをひたすらに書いている。そんなことだけは腐らずに何百日も続けている。
実はというと、ぼくは昔、新聞記者になりたかった。事実、採用活動にも参加していたし、なんなら最終選考まで残った会社も何社かあった。ただ全部落ちた。そして、実際自分としても選考途中から「新聞記者になるというのはなんか違う」と感じてももいた。
そして、今は思う。絶対に向いていない職業だろうなって。
少し前に、元新聞記者で現在はフリーライターという方に出会った。その方が新聞記者を辞めた理由は「他人のことを書くのに飽きちゃった」とのことだった。この理論で行くと、私はたぶんすぐに新聞記者になれていたとしても、すぐにやめたと思う。
だって、究極的には他人に興味がないから。
落とされる理由も、「なんか違う」と感じていたも、きっとこのせいだ。
改めて新聞を読み直してみた。全部他人の話だ。
記者らはつぶさに他人の言葉を拾い、それを事実として文字に起こしている。そこに記者の思いや意見なんてものは載っていない。取材された側の思いや意見は嫌というほど書かれているけれど。
私は自分の思いや意見を書きたい。
大学院で書いていた論文なんてものは、これの権化みたいなものだ。
自分が興味のある人に会いに行き、話を聞いて、挙句その人の話から「ぼくは、こんなことを考えました!」なんて声高に叫ぶのだから。
自分大好きも大概にしとけって話である。
この意味では日々の記事も、論文も全くもって同じだ。
もしかすると、ぼくはどこかで自分のエゴのために、他人を消費してしまっているのだろうか。そんなことを考えていくと、これから他人と話すなんてことをためらってしまうように思う。
ただ言い訳として、もう一つスキを挙げるとすれば、「お話しして楽しかったです」だとか、「こんな考え方もあるんですね」と言ってもらえることだ。たしかに、そんな人も、家に帰ったらぼくの言ったことなんて忘れてしまう、すなわち単なる消費で終わってしまうのかもしれない。
でも、それはそれでいいのだ。
なぜなら、それこそが自分もまた消費されているという紛れもない事実となるから。つまり、お互い様。なんなら、もっと消費してもらいたいとも思う。
もしかしたら私の方が消費量がやや多いのかもしれないけれど、それはもうご勘弁いただこう。だって、誰よりも他人のことがスキなので。
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実は、この記事は、先日来てくださったお客様とお話した内容を加筆したものです。
宿のオーナーしてるやつが「他人に究極的には興味がない」なんて言っちゃうのもどうなのかなと思ったのですが、、、とはいえお客様とお話している時間を自分にとっても、すごく大切な時間に感じておりまして。
もちろん宿で私自身をとことん消費してもらえば・もらいたいなと思っています。
★夜中までお客様とお話ししている宿はこちら↓
ご清読ありがとうございました。
トップ画像は島の砂浜です。
★宿主が考えていること↓(自己紹介記事です)
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