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【無料です】#3ブラームスピアノ小品集118-2とドイツの想い出【演奏あり】

※※150円と書いていますが記事は無料ですので安心して読んで下さい※※

こんにちは、カナダワーホリ中のHotaruです✨ファームステイを終え、バンクーバーに戻ってきました。

本日は、3回目のクラシック音楽のお話です。

#1はこちら
#2はこちら

このシリーズ(?)の前提:

noteで、「音楽のソムリエ」のようなことができたらいいな。
立ち止まりたいとき。〇〇な気分のとき。そっと寄り添う音楽を提供する。
まるでそれは、あなたにあったカクテルを提供するバーテンダーのように。
私は、クラシック音楽のうんちくは語れない。
でも、楽しみ方ってそれだけではないと思う。
私や周りの体験に基づくお話を、まるでエッセイのように綴って何かに寄り添うことができないか。

そんなことで書き始めたテーマです。

きっかけはこちら。

今回は、私にとって本当にかけがえのない1曲のお話です。

まぁもはやこれを書いてやりきった感があるのでシリーズ終了の予感。笑

#3 ブラームス作曲 6つのピアノ小品集 作品118-2 間奏曲

どの観点から話せばいいのだろうか。
思い入れが沢山ある、10年以上共にしてきている曲だ。

この曲は、高校2年生のコンクールで弾いた曲。

周りが派手な曲で圧倒させる技術力を用いて無難にポイントを稼ぐ中で、先生からこう言われて出会ったコンクール向きとはとても思えない曲。

「Hotaruちゃんの内側を表現するためには、たとえ万人受けしなくてもこういう曲があっている。みんなから好かれる平均点を狙わなくていい。たった一人の審査員からでいい。その人から最高点を貰いに行け。

先生は私の性格を本当によくわかっていた。

1.楽曲紹介と不器用な恋

音楽史の詳しいことは、そういうメディアを見てください。以下は私がざっと把握したことを勝手に解釈した内容です。

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10代の頃、それしか知らなかったからとりあえず「ブラームスが好き」だと言うと、変わり者だとか達観していると言われた。あと、ブラームスが好きという人は内向型人間が多い。多分、その印象は正しい。

ドイツ出身のブラームスという作曲家。

学校の音楽室に飾ってある作曲家の写真の中で(今もあるのかな?)、目つきが悪いベートーベンやカツラで頭くるくるのバッハにまぎれて、なんだか近づき難い男性の写真を目にしたことはないだろうか。

ブラームスは、本でかじった程度の知識だから真実は不明だけれども、同時代のカリスマたちにはかなわないと思ったから外見の差別化のため髭を生やしてみたり、当時流行っていたオペラを書かないぞ!と人と違う路線を生きようとしたらしい。

彼は、協調性がなく不器用なのだ。

そしてそういうのがいいな、と思った当時恋愛経験0だった17歳…。うーん。

この曲は、そんな不器用なブラームスが晩年、昔を思い出しながら書いた曲だと言われている。

6曲でひとかたまりとされる小品集のうちの2曲目。

「間奏曲」=ちょっと一休み、というサブタイトルがついている。

でも、2曲目で「一休み」って早すぎでしょ、とも思うし(笑)一休みでもなんでもなく、正直この曲が6曲のうちのメインディッシュだと思う。

ブラームスはそれすらも認めずにあえて間奏曲なんて天邪鬼に言ってみたのだろうか。(個人の感想です)

なぜ私がこの曲がメインディッシュだと思っているのかと言うと、ブラームスの人間関係に起因する。

諸説あるけれども、ブラームスは、自分の師匠の妻と仲が良かったらしい。

単なる人としての愛情だけだったのか、恋心を寄せていたのか、彼女と一時恋仲になったのか、師匠のことを考えてブラームスがひそかに思いを寄せただけだったのか、師匠の死後は家族のようなかけがえのない関係を築いたのか…よくわからない。

ブラームスは生涯独身だった。

よく言えば一途。
でも、悪く言えば・・・不器用すぎるのだ。

きゅん。(と、10代の私は思っていた)

「昔を思い出しながら」書いた曲と言われているこの曲。

この曲で思い出した「昔」とは、自分と師匠と師匠の妻のことなんだろう

と推測をしている。

き ゅ ん ! ! ! ! 

そんな曲がメインディッシュにならなくて何だというのだろうか?!

その心境を頑張って理解するために、当時、いろんな恋愛小説を読んだ。

最終的にイメージするために行きついた場所がBLだったのは当時私がオタクだったっていうのもあるけれども、二次創作化させて曲に合わせて小説まで書いてみた。

天才なんじゃないかと自画自賛するくらいの緻密さで、「このフレーズはこのセリフ」みたいに全部考えた。

私の妄想力、あっぱれ。

全然次元は違うけれどもNiziUのミイヒが同じようなことをしていて、めちゃくちゃ共感した。

とりあえずかわいい。

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ちなみに数年前、「この曲をきいて思ったことを絵にしてみよう」みたいな自主イベントを開いたことがあるのだけれども、そのときに多くの人が、「昔を懐かしむ」ということをキーワードに絵を描いていた。

事前知識0でも、多くの人にそう思わせた。
この曲にはそういう力があるのかもしれない。

とにもかくにも、118-2はそんな曲だ。

2.私をドイツに導いた運命の曲

どうして私がここまでこの曲に思い入れがあるのか。
それは、何を隠そうこの曲に出会ったことをきっかけに進学する大学も留学も決めたからだ。

恥ずかしいことを言ってみると、"運命の曲"だった。

よく、「学生時代にどうしてドイツに留学したんですか?」と聞かれる、その答えがここにある。
といっても、どう考えてもロジカルではないため、就活では話せなかった。

「#2ラヴェル」の話で書いたA先生の紹介で、私はとあるピアノのワークショップに参加をした。(以前書いたレッスンに通うことに燃え尽きたのはこのあとの話)

ドイツ人の先生だった。

私はこの曲を弾いた。
通訳で言われたことはあまり覚えていない。

でも、先生が私に言いたかったであろうことは、彼の目を見れば伝わった。
(これは本当に言葉にはできないけれども雰囲気で感じられるものがあった。私の拡大解釈する癖が、うまく作用してくれた。

「もっと広い世界を感じた演奏をしてみなさい。」

その、一言だった。

曲を表現するには、まだまだ見ている視野や経験が狭すぎたらしい。

なんだか衝撃が走った気がした。

高校3年生になる直前の春休み。
東京都内にある所謂進学校に通っていたので、偏差値が高い大学に行くことが「正」だった。

そのレールを外れるほどの勇気は持っておらず、私の世界は、1つの「高校」という場所で完結していた。

負けん気だけは強かったので、誰かと比較してできるだけランクの高い学校に行きたいというプライド(今から思うと承認欲求)はいっちょ前にあった。

でも、そんな認識とは裏腹に正直、東大とか早慶とかいろいろ言われても、心では何もピンと来ていなかった。

どんな学部を見てもぱっとしなくて、そもそも大学に行きたいの?大学って何?とかそういう根本で悩んでいて(就活もそうだが、「そもそも」論で躓きまくった10代~20代だった)、でもやりたいことも特になかった。

なんでみんなそんなに簡単に大学に行くことを当たり前に考えられるんだろう?なんでそんなにすぐに志望校決められるんだろう?って、とにかく疑問でしかなかった。「当たり前」を受け入れられないことに結構本気で悩んでいた。

音大に行くのも一瞬考えたけれども、当時ごたごたが発生していた家の事情も相まってぐちぐち迷っていた。

そんな自分だったけれども、この言葉を聞き、「とりあえず大学には行こう。そして、ブラームスに縁があるということでドイツに行こう。そのために日本でドイツ語が学べる(当時)偏差値が高い場所に行こう」と思って東京外国語大学のドイツ語学科への入学を決めた。(その直感が正しかったのかさておき)

入学後の私は、別にピアノを弾いていたわけでもないし、「海外×大学生」を組み合わせたらひっかかるようなサークルや学生団体のようなキラキラしたものとは一切無縁の生活をしていたが、黙々とドイツ語やドイツについてや"グローバル〇〇"とつくことについて学んだ。

そして、うっかりラケット振る2.5次元ミュージカルにハマり遠征費用と留学費用のダブル確保のためにアルバイトに明け暮れ、満を持して20歳でドイツに渡った。

後付けかもしれないけれども、これが、私がドイツに留学をした理由だ。

就活のためでも、その後の人生を考えたためでも、なんでもない。
ドイツで何をしようという明確なものがあったわけでもない。成し遂げたいことがあったわけでもない。ただ、ブラームスと関連している国だったから、ドイツを選んだ。世界には何があるのかを体感する入口になると思っただけだ。
そんなふわっとした計画性のない気持ちだったけれども、うじうじ悩んでいた私に訪れた好奇心だった。

うーむ、全然ロジカルではない。むしろつっこみどころが満載だ。

でも、私はドイツに行って本当によかった。日本人にとってドイツは好き嫌いが割と分かれる国だと思うけれども幸い私には合っていた。ヨーロッパ旅行もたくさんできた。

デメリットとしてはその後ドイツ語を使う機会は全然ないし、別にドイツへの執着はないから、この理由を話すのが面倒で(笑)誰かと話す時に出身大学名をなるべく伏せるようになってしまったことだろうか。

とはいえ「世界が広がる」って抽象表現すぎるでしょっ、と今ならつっこんでしまうけれども、導かれるように一歩を踏み出して本当によかった。

それ以来、私は人生で何か起きた時にはこの曲を弾くようになった。

出会い、新しい環境に行くとき、心が穏やかではないとき、重要なイベントの直前、物事が終わる時。

とりあえず、私の世界に何かあったらこの曲を弾くようになった。

そして、私にとって過去が増えていき、この曲がどんどん愛おしくなってきた。

誰しも人生山あり谷ありいろいろあるように、何度か書いているが私にとって、帰国後の就活から始まった日本で過ごす20代はきついことも多かった。書き出したらネガティブこじらせモードを120%発動できるw

だから、この曲をまるで精神安定剤のように、マインドフルネスのために、自分の感情を素直に表すために、自分の気持ちと向き合うためによく弾いた。

元も子もないことを言うと多分私は、音楽やピアノが純粋にすきというわけではない。本当に好きならyoutuberさんのように楽しくもっと外に開いて動くはずだ。

この曲にたった一人で向き合う時間がすきなのだ。

文字にするとだいぶ官能的で気持ち悪いけれども、愛おしく鍵盤を触り、ピアノがそれにきちんと応えてくれた一瞬を捉えた時なんかは、割と鳥肌が立つ。

この究極の自己満足的瞬間を、一番体感できるのだ。

「音楽を使ってみんなでわいわい!」という雰囲気に尻込みにする理由は多分ここにある。(そう気づいたのはここ数年のことだ)

10年以上一緒に連れ添っても尚、新しい発見をさせてくれる飽きることのないこの曲があるから、私はピアノを弾くんだと思う。

3.ということで久しぶりに弾いてみた。

もうすぐ5月も終わる1つの区切れ目である「今」の感情として、バンクーバーで出会ったピアノを使いブラームス118-2を弾いてみました。

ドイツに導いてくれてから、やっと再びカナダという海外に来てみて。なんだか区切りがいいのでこの曲以外とのお付き合いも模索しようと思えるようになってきた今日この頃。笑。

更に言うとピアノに執着してそこだけにフォーカスすると自己完結してしまう(=自分の為)のですが、そうではなく別のものを掛け合わせた関わり方(=社会にちゃんと還元したいこと)がなんとなくしっくりきて見えてきたので来月からは形にしつつnoteに書くことを目指しています。(ほのめかすだけほのめかしておく)

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ブラームスは、人生を振り返ってみると同年代のきらびやかな作曲家を見ながらいろいろ嫉妬とかたくさんの感情もあっただろうけれども、それでも最後は幸せだったんじゃないかな、と思います。

ちょっとポエマーなこと言うと、人それぞれに「過去」と重ね合わせられていくことで、この曲はこれから先もずっと生き続けるんだろうなと感じております。

スマホ録音の修正なし音源です。約6分間、お付き合いいただけると嬉しいです。

※※※無料で視聴できますが、10年以上寄り添った、ある意味では私の「パートナーさん」をインターネットに初めて載せてみるので、その時間分を考えて試しにおひねり価格設定も置いてみました。(うまくできてるのでしょうか??)クリックすると決済画面に移ります。非会員様にも対応しております。※※※

See you later!


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