八月

3ヶ月から半年に1つ、くらい

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3ヶ月から半年に1つ、くらい

最近の記事

一日千秋/秋、一千日

「他人から半永久的なぬくもりをもらう」ということは完全なフィクションなんだ、と納得できるようになりました。悲観ではなくただ単に、「サンタクロースはいない」「人魚姫にはなれない」とか、そういう類のものだと諦めがついた。無色透明なフィクションがわたしに入り込んでそのまま心にぶっ刺さるとき、こんな透明なナイフで傷ついてしまう程度のわたしが本当にちっぽけに思える。情報って通り魔みたい。わたしたちの些細な感情を無視して、瞬間最大風速で飛び込んでくる。血の飛ばない戦場でこれ以上「今度こそ

    • 〈🖱〉健やかな恋に縁がない

      孤独を怖がっているのに、「孤独にならないためには」じゃなく、「孤独と生きる」方向で考えているの面白いな〜。「孤独」の定義付けから難しい21世紀現在ですが、孤独と生きるって「孤独になった」じゃなく「孤独を選んだ」って言えることじゃないのかな。 だからどうか、ただ1人で生きてるような顔をしていただきたい。それから、一目であなただとわかる文章、画角、香り、印を存分に出していってほしい。勝手なことを言うと、自分の心臓を捧げてもいいと思えるような特別に出会うまで、孤独を選び続けてほしい

      • 失ったものへの祈りが詩になる、として。

        MacBookでnoteを書き始めてみたら、字体が少し違って違和感がすごい。変えようと思えば変えれるみたいだけど、慣れればこれも可愛く思えるかも、と思ってこのまま書き進めていこうと思います。(設定が面倒なだけ)見る人によっては字体も変わってないかも。 書き出さないと自分の中のもののままなんだけど、言葉にして外に出すことで、やっとそれを自分の内側から手放せるって感覚、わかりますか。誰にも言わずに自分の中だけで飲み込もうとしてもずっと忘れられなくて、手放せないことが苦しくなる。

        • 遥か遠い真下、春かと思いました。

          「私達、人より文章を書く側の人間だけどさ、」  「うん」  「私達が気持ちを込めて書いた手紙より、普段手紙なんか全く書かないような、…そう、『手紙なんか』って思ってるような人間が、その辺にあった裏紙をちぎってテキトーに書く、『お疲れ様』とかの方が尊い気がするんだよね」  「わかる、付箋に書かれてるやつね」  「そう。それで私達はそういうのを捨てられないタイプだからさ、こっそり保管しちゃうんだよね。」 「わかる、しかもそういう人って、謎に刺さる

        一日千秋/秋、一千日

          愛しくて愛しくて、虚しい

          脚本家・坂本裕二の書く言葉が本当に好きだ。現代を生きている物書きの中で、彼より言葉が上手い人間なんていないじゃん、と思うくらいには。「この言い回しすごく良いな」と思って出どころを辿ると、だいたいそこには坂本裕二の名前がある。実は彼の言葉が好きすぎて、これまでの彼の脚本の中から、特に惹かれた言葉を集めていました。「台詞の収集」。ちょっと変かも。集め初めて半年くらい経った。コレクションって披露してなんぼのものだと聞いたので、どうしようもないしnoteに載せておくね。 あ、2023

          愛しくて愛しくて、虚しい

          咲けば散るような関係と分かって

          いつものように2000字くらい書いて見返して「これはあんまりだろ」となったやつ。「あんまりだろ」の部分だけ残しています。 本当に「ずっと」がないことなんてもうわかっていて、それでも言葉よりもほかのもので「ずっと」があるかもしれないと思わせてくれたこと。その、空音。言葉に意味はないと知っていた。改めて無意味だと突きつけられてしまってはもう、これから何を見るんだろうか。行動ですか、視線ですか、温度ですか。 何か。言葉にできなくてもよかった、その何かで「ずっと」を思わせてくれた

          咲けば散るような関係と分かって

          自己愛の先に誠実さがあるとわきまえている

          大学は授業の出入りが比較的自由なせいか、はたまた「フランスは待ち合わせ時間の15分後に行くのが礼儀」という余計な知識がついたせいか、提示された〆切に対して、なぜかその数日後(自分の塩梅で決まる)を「本当の〆切」と認識する厄介な習性がある。病院や友だちとの待ち合わせも同じで、だいたい時間の10~15分後に着く。言わずもがな普通に社不。改めたほうがいい。(いつも迷惑をかけている友人方、すみません。来年から改めます。)今回もスケジュール帳に「〆切」と「本当の〆切」と2つ書かれていて

          自己愛の先に誠実さがあるとわきまえている

          他人に賭けたり祈ったりできない

          大人になって、経験からそれなりの社会性を身につけたことで、「信頼」や「安心感」で誰かと関係性を築けるようになってきた。負の感情でしか誰かと親密になれなかった時期を越えたことは嬉しい反面、穏やかな疎外感を感じる。わたしが「たまに落ち込んだりしながら、明るく前を向いて生きる」みたいな人間になったら、それはもう嘘なんですよね。「何が」かはわからない。でもそれって少なくとも、今までの十数年のわたしとは違う生きものだと思う。あの頃の、突き抜けていた若さゆえの衝動とか、視えていたものとか

          他人に賭けたり祈ったりできない

          文章を読むからこそ、文章は書けない

          バイトを削っているのも、近所のカフェにお金を払っているのも、卒論を書くためだというのに、進む気配が全くない。同士のみなさんこんばんは。今わたしは、自分の卒論に関係しそうな先行研究を20本(論文の数え方が「本」でいいのか不明)くらい読み漁ったところです。他人の立派な論文を読んではいろいろ考えて、一人で頭を抱える毎日から未だ抜け出せていません。1月10日16時が大学への提出期限?なんの冗談でしょうね。 「本/論文を読む」というのは、すでに完成された他人の考えや情報を自分の中に入

          文章を読むからこそ、文章は書けない

          もっと、正しい間違い方をすればよかった

          そんなものやめなさいと言う友達も、一緒に禁煙しようなんていう先輩も、冗談めかして心配するあの子もみんな「煙草は身体に悪い」って言う。 「百害あって一利なし」なんて、そんなことは全員わかっているよね。 煙草もピアスもタトゥーもなんだかんだ許容されている世の中で、選ぶものを間違えると、「一瞬のヤンチャ」が「一生の恥」になる。文字通り、一生の。''10年以上前の自分は他人だと思っていい'' なんて言われていますが、それでも取り返しのつかないことがある。そして10年でリセットされな

          もっと、正しい間違い方をすればよかった

          「きみしかいない。」を嘘にしたの。

          わたしの書く「きみ」が9割方あなたのことだった頃。 あの頃は、縁があれば自ずと愛を叶えてくれるものだと思い込んでいました。 そうだね、どこから書けばいいんでしょうか。 わたしはいわゆる「顔がいい男」に強い苦手意識があるんですが、口が上手い男には極端に弱い。恥ずかしい話、「口が上手い男」に惹かれるのは恐らく、多少わたしも口に自信があるからだと思う。少なくとも「自分の言葉でものを言う」点において、わたしは自分の顔なんかよりよっぽど自信を持っていることは確かです。それが祟って一

          「きみしかいない。」を嘘にしたの。

          全てを考えてしまうから何も考えなくても側にいられるようにして

          Twitterの本垢を消した。Instagramも消そうとしたけど、バイト中の暇つぶしがなくなるのは嫌だな、と思い止まった。もうTwitterもInstagramも見る専でいたい。ちょっと前まで「いつまた携帯をなくすかわからないからできるだけ思い出は投稿しよう」なんて思っていたのに。全部がなんだか面倒になりました。SNSとわたしの倦怠期なのかもしれない。 LINEって定期的に消したくなる。わかりませんか。むかし何かで見たんだけどこういうのを『人間関係リセット症候群』とかって

          全てを考えてしまうから何も考えなくても側にいられるようにして

          それでも、愛だったんだろうなと思う

          ※たぶんくら~~い気持ちになります。ここで打ち止めにしておきたい、家族の話。こっそり置いておきます。 両親は私に、何より「勉強ができる子」に育ってほしかったらしい。 幼稚園に入るより先に塾に入った。大好きだったママに怒られるのが怖くて、言われるままに毎日机に向かった。それでも勉強したくない、と泣いて、いつも怒られていた。5歳で幼稚園に入って、「他の子は九九も言えないのに、遊んでてズルい」と言ったとき、父親が私の幼稚園の制服を外に投げ捨てた。母は、それを黙って見ていた。

          それでも、愛だったんだろうなと思う

          追悼文、夏

          夏、自分でやらないと来ない。 夏って自動的に始まるものだと思っていた。プールも海も、花火も浴衣も、夏が始まれば勝手についてくるものだと思っていた。もうみなさんお気づきかと思いますが、どうやらそれは違うらしいね。冬はイルミネーションが勝手に生活を侵食してくるくせに、夏は自分で手作りしなきゃいけなかった。とんでもない季節だな。 『夏が始まった合図』はどこで聞けるんだろう、と考えていたらもう終わりに差し掛かっていて驚く。私たちは今年の夏の出来事のうち、いくつを来年まで覚えている

          追悼文、夏

          はじめました am4:00

          もっと早く始めておけばよかった、絶対。やっとはじめました。 昔から「何か新しいものに触れる」というのが本当に苦手で、特に環境が自分の意志と関係なく変わることが苦痛です。なんて、最初の最初で「苦手なもの」の話をするような人間です。はじめまして、はじめました。 「おジャ魔女どれみ」のアニメが大好きだったのに、なんだかやかましい妹が魔女の仲間に加わったとき、見るのをやめてしまいました。プリキュアもそう。私は昔から新キャラに手厳しい。今でも似たような感情になることがあるけど、最初

          はじめました am4:00