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一日千秋/秋、一千日

「他人から半永久的なぬくもりをもらう」ということは完全なフィクションなんだ、と納得できるようになりました。悲観ではなくただ単に、「サンタクロースはいない」「人魚姫にはなれない」とか、そういう類のものだと諦めがついた。無色透明なフィクションがわたしに入り込んでそのまま心にぶっ刺さるとき、こんな透明なナイフで傷ついてしまう程度のわたしが本当にちっぽけに思える。情報って通り魔みたい。わたしたちの些細な感情を無視して、瞬間最大風速で飛び込んでくる。血の飛ばない戦場でこれ以上「今度こそ大丈夫かと思ってたのに」と繰り返すくらいなら、最初から諦めていた方がずっとマシだ。

でも、恋とか愛とか言う訳じゃなく、縁というのは本当に存在するよ。誰かがもし、「運命なんてない」と言っても、「運命はあるよバーーーカ」と言える程度の人間ではある。


私が何かを書くとき、それは私自身の瞬時的な寂しさを埋めるための、応急処置的なものだともう知っている。私が誰か対して真剣に言葉を使うとき、それは私自身を救うための、いわゆる相殺的な救済措置であることも知っている。ここに書いている全てを普段から考えているのか、なんて言われるとそんな訳がなくて、むしろ思い通りにかけたことなんて一度もない。ただ言えるのは、noteは間違いなく私の憂鬱を燃料にして出来ているということ。自分の意思を越えて手が勝手に動くタイミングがある。日本語を使わなくなって、平坦な毎日を過ごして、何に対しても思うことがなくなればnoteに書くことは無くなるんだと思っていた。実際ここ数ヶ月はそうだったわけですが、それでも生活は続いていくから、それはそれで書き残せるようになりたい。書きたいように書くって難しいね。

今でも時々、手の施しようがない「虚しさの最大瞬間風速」みたいなのが来る。「来る」ではないかも。増幅して溢れ出てくるというより、普段は気づかないように蓋をしている寂しさや虚しさが、何かの弾みで蓋を壊して溢れてくる。つまりその時に寂しさが増えている訳じゃなく、一定量のマイナス感情に対する感受性が上下しているんだと思う。わかんないけど。それはそれで私の性質として折り合いをつけられればいいよね。




5月末から始めた就職活動が8月に終わった。世渡り上手だね、要領が良くてすごいね、と言われた。内定をもらえれば「私」という人間が社会に認めてもらえると思っていたけど、実際は内定なんて「就活生の '' 型 ''にきちんとハマれて良かったねメダル」程度の物だった。きっと社会に出たら、私はマトモじゃないのだと何回だって思う。そしてその度に、私はマトモなんだと思うことになる。悲しいくらい、平凡。こんな狭い部屋なんかじゃ、なんの哲学も通用しない。「あなたの言葉選びが好き、感性が好き、だからもっとあなたのことが知りたい。」と言いながら近づいてきた人は最後、化け物を見るような顔をしながら「わからない…もう疲れた」とか言ってどっかに行った。まるで自分を少しも歪ませずに、妥協できる範囲で他人から甘い蜜を吸おうとするような。お前らはただ「あなたがすきです」と言えれば満足なのか。あーあ、私が本当に化け物だったら面白かったのにな。中途半端な欲求は、許容された才能に埋もれて光を浴びずに死ぬ。だからと言って、許容されるために加工するような薄っぺらい側になりたくないから。私は私のまま私をやりたい。

23年も生きてきてまだこんなことをしてるの?って言われてしまいそうだ。

「わからない」と言って私ごときを化け物にしたきみ。きみの好きな小説も映画も男も見事につまんなくて本当に安心した。あなたに刺さるのは私だけだと思っていた。誰でも良かったみたいで安心した。そんなくだらない恋の話なんてほっといて、もっと「私たち」の話を面白可笑しく話したかったのに。あー、あなたのこと手放したくなくて、嘘ついてたのは本当は私の方だったのかもしれないね。あなたを見抜けなかったあの瞬間から。とにかくそんなつまんないものを好きになっちゃうきみを好きになっちゃって本当に良かった。私たちはいつか完全に、知らない人同士になる。

わたしの好きだった人間は、恐らくずっと、わたしのことを好きでいたいと思っているだけでした。あ、ちょっと強すぎるね、自分で書いておいてびっくりしちゃった。どうだろう、こういうのを全部「くだらない」と一蹴してしまえるのは、あなたが恨みに満ちた人間ではなく、恨みを買ってきた側の人間だからだよ、なんて。ごめんね、そういう浅い解釈であなたとバイバイさせて。





随分前、note公式から「一年記念バッジ」なるものをもらった。noteを始めて一年が経ったらしい。こんなに更新していないのにまだその程度かと思った。今年は時間の流れが本当に遅くて、安心しています。それくらい今、濃い日々を過ごせているってことだろうから。まぁわざわざカナダまで来ているんだからそうであってくれなくちゃ困る。今月でカナダに来て半年になった。未だにここで得たものより、ここに来たことで失ったものの方が多い。最後の日に、この全てを肯定できるといいな。

私の時間はどこからちゃんと地続きになるんだろうかやと思う時がある。日本での思い出も匂いも景色も、私の中では空港を発ったあの日で止まっているから、日本での私の時間は進んでいないんじゃないかと思う。帰国したらまた引き戻されるんじゃないかって。留学生活をまるで他人事みたいに、夢みたいに思うんじゃないかって。なんか上手く言えないからこれはまだ書く時じゃないってことかもね。


どうかこの霧が晴れたら、けりがついていますように。ここから願います。

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