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もっと、正しい間違い方をすればよかった

そんなものやめなさいと言う友達も、一緒に禁煙しようなんていう先輩も、冗談めかして心配するあの子もみんな「煙草は身体に悪い」って言う。
「百害あって一利なし」なんて、そんなことは全員わかっているよね。


煙草もピアスもタトゥーもなんだかんだ許容されている世の中で、選ぶものを間違えると、「一瞬のヤンチャ」が「一生の恥」になる。文字通り、一生の。''10年以上前の自分は他人だと思っていい'' なんて言われていますが、それでも取り返しのつかないことがある。そして10年でリセットされないものはもう一生リセットされない。煙草さえ10年辞めれば肺がなんとかしてくれるのに。つまり、ヤンチャの種類は慎重に選ぶ必要があるわけで、変に間違うと煙草よりずっと、ずっとずっと身体に悪い。もし今10年前に戻れたら、煙草を吸ったりピアスを開けるような、そういう間違い方を選ぶよ。未成年飲酒とか無免許運転とか、正面から学校に啖呵をきってみるとか。笑 そういう思い切った間違い方をしていれば、今ごろは「昔はヤンチャだったね」の笑い話になったと思うから。

わたしはもうここから誰と出会って何を経験しても何を得ても、いつかあの時作った一生の恥で痛い目を見るんだと思う。何か決定的な、確信に近い予感さえある。悪い夢だったら良かったのに。きっともう本当の意味で真面目に生きることも丁寧に生きることもできない。精神が安定しているとかしていないとかそういう話ではなくて、どれだけ穏やかな気持ちでいてもわたしはそういう役割の人間にはなれない。


それなら。
それならせめてでも、だらしなさに色気を孕むようなひとになりたい。

「孤独」とか言うと陳腐なそういうものを、自分で受容できるような。だから私の書くものは(というかわたし自身は)、人を引っ張り上げたり前を向かせる寄り添い方はできなくてもいい。好きな人たちが生きづらさを感じたときに、「これは自分にとって必要な生きづらさなんだ」って思える寄り添いかたをしたい。あなたが憂鬱なとき、わたしが隣でだらしなくゆらゆらとしていることを許してほしい。あなたが元気なときは、わたしを思い出してなんか変な気持ちになったらいいな。
とにかく好きな人間には、知らないところで勝手に落ちていかれては困るし、わたしと同じ落ち方をしてもらうわけにはいかない。あなたがなにかで落ちていくときにぼんやりついていきたいし、落ち切ったあとには何かで救われていくところを見せてほしい。自分の毒も好きな人間の毒も、ちゃんと毒のままの浴びるひとになりたい。
好きな人間が見せる暗くて重たい部分が、
わたしは一等好きなので。


日向の気分にいる人間まで自分の暗がりに引っ張り込んで、全く良くないね。恥の上塗りをしながら(何の話よこれは)とわたしが一番思っています  おしまい


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